後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

玉ねぎ収穫でヘロヘロ

2016年05月27日 | Weblog

これが今日の最終的な成果のスガタである


雨が遠かった
玉ねぎを収穫するタイミングを計りかねた
溜池文化の泉州では、池からの放水が米作りの始まりだ
農家はそれまでに田の準備をしておかねばならない
豆類や玉ねぎを引き抜き、土を耕して水入れを待つ

不思議おじさんが借りている畑は
元々は水田だったが今は畑地のみで使用している
しかし池から水が放出されると水浸しになる
それまでに玉ねぎを収穫しておく必要がある

近所の皆さんは2,3日前に硬い土に苦労して掘り起こされた
手で引き抜くことができず、ショベルで掘り起こしたとのこと
不思議おじさんは、4月の草抜きで左腕の腱鞘炎を患ったので
何とか雨が降って土地が柔らかくなるのを待っていた
そして昨夜から今朝にかけての恵の雨


泉州玉ねぎの茎はすでに枯れている
ちょっとべと病に侵されたのかもしれない
小玉傾向だが、収穫には影響はない


赤玉ねぎは元気そのものだ
まだ収穫するのはちょっと早いような気もするが
球は大きい


我が50ccのホンダカブが大活躍だ
普通の玉ねぎなら一杯いっぱいに積み込んで120個
赤玉ねぎは茎も枯れていないので80個
スピードを落として我が家に持ち帰る
腰のベルトも忘れない
熱中症対策のドリンクも必携だ


ウッドデッキにブルーシートを敷き
紐で括る
友が直接取りに来てくれたので括る手間が助かる
それでもおおよそ650個の玉ねぎを括り終えたのは4時間後
蚊取り線香を5個配置したがそれでも蚊に食われた

麻糸(ジュート)のひもを利用した
堅く結ぶため、指に力を込めるが
なにせ柔い身体だ 
左右の中指の第一関節外側の皮膚が剥がれた
赤チンを塗って、バンドエイドや軍手をして作業を続ける

畑では、掘り起こした後に貝殻石灰を施した
里芋の移植や秋ジャガイモの作付が待っている
それに耕運機を近隣に迷惑なく動かすには
近隣の作業の進行と当方の都合を勘案しなければならない
なかなか気を使うところではある

明日はお知り合いにお届けすると共に
不思議おじさんも乾すための準備をしなければならない

もうエエ歳なんやから
700個以上の玉ねぎ割く付けは今年限りにしたい
自分で食べるだけだったら150個でもお釣りがくる
あーーーーあ 疲れたよーーーー




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日本酒祭

2016年05月23日 | Weblog
庭の紫陽花が咲き始めた
これはごく普通のヤマアジサイ


小さな大阪府といえども、大阪市中心部に行くには1時間は必要
通勤や仕事なら何とも思わなかったが
この歳になると、その気を興さないとなかなか足が向かない
この前のお出かけは5月8日(日)だった
大阪国際会議場・リーガロイヤルホテル
2年前まで務めていた学校法人100周年記念行事
数年前の企画段階では「3000人」と聞かされていたが当日の参加者は1200人
式典は特に何も興を催すものはなかった
ただ一点、卒業生でもある能楽師による
能「高砂」の特別舞台には圧倒されるものがあった

式典で興味があったのは、
学校法人経営陣の入れ替わり模様
栄枯盛衰は世の習い
権勢を誇ってもいずれは他者に取って代わられる
人の世の常の無残な物語を目の当たりにしたものだった
権力者は、あれほど前職者に冷酷になれるものなのである


さて月曜日の朝から この暑いのに大阪市中心部にお出かけした
難波の高島屋で開催されている「日本酒祭」の最終日



全国50の蔵と地酒専門の5店、それに酒の肴の店が15店ほど
日曜だと混雑必死なので、最終日の月曜午前に出掛けたというわけだ
次々に試飲していたら、たちまちのうちにいい気分になってしまった
ボディのある好みの酒を4本求めた
あらかじめ用意していたリュックに詰めたが
帰りは登山の訓練をしている有様 重かった…
ブログにアップするといったら、お店の方がポーズを取ってくれた


言い訳になるが、日本酒を買いに行ったわけではない
同じ行くなら、それは買うしかないだろう、ということである
もともとはお酒の肴として出店している鮒鮨の「魚治」からの案内があったから
もう何度も書いたが、先代は不思議おじさんの高校の同窓生
陸上競技部でも一緒だった
滋賀県には鮒鮨店が少なくないが、味は店によってそれぞれ異なる
「魚治」の鮒鮨は雑味が無く上品である
今日は息子さんは不在だったが同郷の従業員さんと話ができた


右が鮒鮨の尻尾の部分
もちろん鮒が美味しい 特に卵は旨い
しかし実はその周りの漬け米が美味いのだ
日本のブルーチーズと言って差し支えない
左は氷魚(ひうお)…鮎の幼魚の山椒煮

年金暮しにはちょっとやり過ぎの贅沢をしてしまった

人生百年 古来稀なり

今のうちに楽しんでしまうのだ
ねぇ 杜甫さん

(余禄)
高島屋という百貨店名は京都の呉服屋さんがその出自
1831年に創業しているのでもう15年ほどで200年を迎える
この「高島」は不思議おじさんの出身地 滋賀県高島市に由来している

福井県敦賀生まれの「新七」という若者が京都の呉服屋に奉公していた
しかしその店はつぶれてしまったが、米屋の飯田儀兵衛さんに見込まれ
米屋さんで働くうちに、ついには長女と結婚して店を継ぐことに
飯田儀兵衛さんの出身地が滋賀県高島市だったというわけだ

新七は呉服屋への想いが強く、米屋の隣に呉服屋を開いた
それが発展して今日の百貨店になったというわけだ






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古希(古稀)は同窓会開催適期らしい

2016年05月10日 | Weblog

高校の同期会開催案内を頂いた
「同窓会」という組織ではなく
「古希を祝う会」を作っての呼びかけだが
参加者は相当に多いようだ
会の幹事11人の内、10人が女性で代表も女性だ
「同窓会」といえば多くは男性陣が前面に出ているなかで
まぁ異色の会ではある

実は3日ほど前に中学校の同窓会案内も頂いていた

実年齢で70歳を迎えるという節目だから
ということなのだろう

先日、大先輩に「古稀」の由来を教えていただいたので
改めて調べてみた

多くの人は、中国の詩人、杜甫の漢詩に
「古稀」が由来していることは知っている

杜甫は「人間は70歳まで生きることは稀だ」と確かに言っている
どんな文脈でその言葉が使われているのかはあまり知られていない

そもそも杜甫がこの「曲江」という七言律詩を書いたのは47歳
さらに言えば杜甫は59歳で没しているので
杜甫が自らの70歳という長寿を言祝ぐために書いた詩ではない

この漢詩を書いたころの杜甫は帝の怒りを買い
朝廷に出廷しても面白くない日々を送り
気落ちした毎日をお酒を飲んで紛らわしていた
 
 朝 囘 日 日 典 春 衣 
 毎 日 江 頭 盡 醉 歸
 酒 債 尋 常 行 處 有
 人 生 七 十 古 來 稀
 穿 花 蛺 蝶 深 深 見
 點 水 蜻 蜓 款 款 飛
 傳 語 風 光 共 流 轉
 暫 時 相 賞 莫 相 違

(訓読)朝(てう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゆんい)を典(てん)し、
毎日 江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを尽くして帰る。
酒債は尋常、行(ゆ)く処(ところ)に有り。
     人生七十 古来稀なり。
     花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え、
     水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ。
    伝語(でんご)す 風光、共に流転(るてん)して、
    暫時(ざんじ) 相(あひ)賞して 相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れ、と。

(通釈)朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、
    いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
     酒代(さかだい)の借金は普通のことで、行く先々にある。
    この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、
    今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。
     花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウは、奥のほうに見え、
    水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。
    私は自然に対して言づてしたい、
    「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、
    お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。 

以上は「小さな資料室」のホームページから転載させていただいた

失意にあった杜甫の心を満たしたのはお酒であった
あちこちに酒代のツケがあり、それはいつものことだ、
また気落ちした心を楽しませてくれるのは
チョウチョウやトンボが遊ぶ自然の光景だった

70歳まで生きるなんてことは滅多にないのだから
今のうちに人生を楽しんでいるんだよ

少し悲しく刹那的な気分を孕んだ詩だったのだ

さて70歳まで生きてしまった

今の時代に杜甫が生きて詩を書いたら
「人生百歳 古来稀なり」ということになるだろうか
その100歳も珍しくなくなってきているが…

不思議おじさんが100歳まで生きるということはあり得ないので
それに病院には少し厄介になっているものの飲み食いは普通にできるので
今のうちにお酒を飲み、民謡を唄い、庭で花を愛で、畑で自然と触れ
人生という虚しさに気づかないふりをして時間を過ごすことにしよう

ところで「古稀」が本来の漢字であるが
現在では「古希」と書くのが普通になったようだ
案内状には「古希」と表記されている

第2次大戦後に制定された常用漢字に「稀」という漢字が無く
当て字として「希」が使われたとのこと
「希」は「のぞむ・願う」という意味だが
「まれ」という意味も含んだ漢字だったので採用されたらしい
因みに同様の当て字には下記のものがある
 企劃→企画  広汎→広範  貫禄→貫録
 臆測→憶測  熔接→溶接
(余禄おわり)
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科学 非科学 未科学

2016年05月02日 | Weblog

いゃあ いろいろと想いが込められてしまったイチゴ
まずは昨年の出来に調子に乗って作付面積を増やし過ぎた
そのために連鎖的に他の作付面積にしわ寄せがきて
里芋をとりあえず芽だしだけの仮植え付けにしたり
オクラを瓜やカボチャの間に植えたりとてんやわんやである

しっかりマルチをして鳥除けのシートも被せてあるが
タニシのような二枚貝がイチゴを喰ってしまう
こいつは大根まで喰うので見つけたら踏みつぶしている


もう二週間前になるが庭の金柑を収穫した
軽く湯掻いて水に晒して苦みを取り除いた
半切して竹楊枝で種を取り除く
小妻と共同作業で2時間を要した
大半は蜂蜜漬けに 残りは砂糖(黒糖)煮にした
民謡大会前にトローチやヴィックス、のど飴を
朝から舐め尽している不思議おじさんにとっては有難い武器になるはずが
小妻が毎日大量消費している…
美味しいからしかたがないか(笑)



摘み立て山椒は 口福 腔福 シアワセそのもの
生きててよかったなぁって 思える
何にも代えがたい木の芽だ
筍はもちろん、刺身にも豆腐にも合わせる
それだけでお酒が進むというものだ

毎日のように畑通い
草は待ってくれない
一日6時間 もう何日草を取っているのだろう

3月末から4月の5回の日曜日
そのうち4回は民謡大会に時間を費やした
和泉市民謡大会 産経民謡大賞予選
奈良県民謡全国大会 大阪楽謡会第16回発表会
その間も4つの民謡会の太鼓伴奏と自らの太鼓練習を続けている
師匠からは津軽物の練習をするよう指示されているが
不思議おじさんのが所属している会では津軽物は教えてくれない
従って馴染が無い
もちろん聞き知っている唄は数多いが
唄え といわれると自信が無い
唄えない唄の鳴り物伴奏は難しい
悩ましいことである

さて「未科学」のことだ
地震予知には多額の税金が投じられているらしい
しかし税金がほとんど使われていない科学分野もあるとのこと
「非科学的」という言葉は多用される
科学とは「再現性があること」が前提となる
誰がやっても同じ結果にならねばそれは科学ではない

しかし方法論が確立されていない場合
必ずしも再現性が保証されていない分野もある
将来には科学となりうる分野だ
例えばUFB 銀行の名前ではない
ウルトラ ファイン バブル
インフルエンザウィルスほどの微細な大きさの泡のことらしい
浮きもせず壊れもせず液体中にとどまるとのこと
その発生装置や測定技術が進んでするらしい
その効用は様々に膨らんでいるとのこと

未科学の分野はまだまだ残されている

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山に登って喋って喰って飲んだ一日のこと

2016年04月24日 | Weblog

いやはや楽しい一日であった
毎年のことである
様々な分野の達人(一人を除く)が三々五々集まり
西行が眠る弘川寺の裏山で持参の昼餉を頂く
不思議おじさん出身大学の元学長もお元気そうだ
不思議おじさんはNHKの朝ドラは見ないが
朝ドラが機会となって大学に五代氏の銅像が建立されたらしい
その除幕式がテレビのニュースで盛んに報道されていた
同窓会会長兼職の元学長もご満悦の様子だった


夜はメンバーがお一人変わった
不思議おじさんの右は元副学長だがそれこそ不思議に話の馬が合う
因みに亡くなられた藤野先生、元学長、そしてこの元副学長
お三人とも理学部ご出身なのは何かのご縁? 
写真の右隣りは産経新聞元編集委員の方で
その右は産経新聞愛読者 文学博士 不思議おじさんの恩人である

他の方々も古いお付き合い
フランス文学や流体工学、中世日本歴史などを専門として7
学者人生を送ってこられたか方々である

まあ不思議おじさんの政治的立ち位置について
時々揶揄されることは無くはないが
学者先生とのお付き合いについては
所属or出身大学に偏りはあるものの
政治的にはそう酷く偏っていないことが
少しはお分かりいただけたら幸いだ
こんな宴会写真で判れと言うのもひどい話だが… ゴメン


そうそう弘川寺の海棠桜の看板の表記はいまだに『樹齢350年』だった
写真右端の文学博士が看板にまつわる昨年の様子を
4月1日付の大阪日日新聞に書いておられる
ぜひご一読願いたい
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/160401/20160401039.html
どうでもよいことだが先生の肩書の
「生涯学習センター講師」とあるのは
不思議おじさんが用意させていただいた役割である


さて大阪にはこんなバスも走っている
「金剛バス」である
南海バスも、近鉄バスもあるのに「金剛バス」である
大阪で一番高い山
日本で二番目に登山客の多い山
不思議おじさんが一番多く登った山
しかもそのルートは5つ6つ
それが毎朝のトルテ君の散歩で遥かに望む金剛山
南海鉄道や近鉄鉄道7の駅から金剛山に結ぶバスだが
河内長野、富田林、河南、太子では生活の足だ
私たちも弘川寺には天王寺に集結して富田林に行きこのバスに乗る
はずだったが、2時間も待つことになりタクシーを利用した
帰りは間違いなく乗った

まあ春爛漫のひととき
こんなことをして命を永らえる日もあるということだ 


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