後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

世間胸算用平成28年

2017年01月07日 | Weblog

お誘いを受け
昨年から「古典を読む会」に参加させていただいている
このグループはすでに源氏物語をはじめとして
数々の古典の原典を読みこなしている
源氏物語などは3年近くを費やしたとのこと
不思議おじさんは瀬戸内寂聴さんの訳を読んだのみ
宇治十帖になると「読み通す」との執念だけで読んだので
物語を楽しむという思いはなかった

会に加わらせていただいた最初の古典は
井原西鶴の最晩年の作 世間胸算用だった
1692年刊行なので320年ほど前のことだ

世間胸算用は浮世草子
しかも「絵入り」と表紙に謳われ
副題は「大晦日は一日千金」である

大阪、奈良、京都、長崎などの
12月31日大晦日の街の様子を20の話にしたもの
現代風に言えば、まさに写真付きの週刊誌のイメージだ
お金に窮して年を越せない庶民の暮らしを
いかにも現場にいるかのように話に仕立てている
「絵」が臨場感を高めている

さてその平成28年度版である
写真はない
かといって絵を描く才能も無いので文字のみ
(西鶴は多芸で絵も描いたが、この本では絵師に委ねている)

息子が結婚して、夫婦で年末に来るという
もてなし(料理)の好みを尋ねると刺身が良いという
普段は近所のスーパーで刺身を求めるが
ちょっと良いものというと堺市南区の専門店まで足を伸ばす
この店は魚のレベルが高く賑わっている
ここ数年は野菜や肉類の充実も図っている
駐車場はいつも入りきれないほどである

混雑を予測して9時半にバイクで出掛けた
車だと駐車場に入れるだけでエネルギーを使ってしまいそうだからだ
着くとやはり車が溢れている

少しの野菜と牛肉(たたき用)を買った
いよいよ鮮魚売り場だ
唖然とした
売り場には何の魚も無かった
スッカラカンである
鮮魚も貝も干物も 
1パックも無いのである
ステンレスの売り台が鈍く光っているだけ

まだ9時半だ
ええっ !!
もう売り切れたんか!!??

調理場ではお兄ちゃんが二人ほどいて
何か掃除のようなことをしている

仕方なくレジで野菜と肉代を払う
レジのおばさんに尋ねる
「魚は売り切れたん?」
おばさんがぼそっと答える
「魚屋さんは道の向こうの駐車場や」
意味不明である

とにかく片道2車線の大きな道路を横断する
通行量が多いのでかなり危険だ
向かいは酒店の駐車場だが
その手前の歩道に何やら人だかり
スーパーで見かける商品を乗せたキャスター付きの多段棚が
あちこちに乱雑に置かれている
地面にもそのまま多数のパックが積み重ねられている
どこに何があるかは判別不能

煙草を吸ったオッチャンが
「〇〇が来たでぇ」と道の向こうのスーパーから
商品を乗せた棚を引いてくる

とにかく必要な魚のパックを探し出す
先客がお金を払っている様子である
「ええいっ 邪魔臭い! 1万円でええわ!」
見渡してもレジらしい場所がない
煙草を吸っているオッチャンに尋ねる
「どこで払うん??」
「ここや」
見ると足元にバケツがあり、
お札が無造作に放り込まれている
4パックを出すとざっと見て
「4,500円でええわ!」とのこと
袋を一枚無造作に渡してくれた
帰宅して計算したら4,880円だった
ほんの7、8秒で暗算する計算能力に驚く

異様である
あきらからおかしい
帰宅して小妻や息子にも報告
「何かあったんやろなぁ」と同情的

西鶴さんなら実しやかに物語に仕立てるだろうが
ここからは不思議おじさんの想像である

このスーパーは小規模なのであまりチラシを打たない
しかしこの年末は特別に大きなカラーチラシを
かなり広範囲(市を跨いで不思議おじさんの家まで)に撒いている
まさに売り時、稼ぎ時であったはず
販売の準備を夜も寝ずにしていたと思われる
しかし大晦日の早朝 
男たちがやってきたのだ

男たちは魚を売ることを許さない
そして準備された魚を道一本挟んだ歩道で売ったのだ

思えばレジのおばさんの言葉が奇妙だった
「魚は売り切れたのか?」との質問に対して
魚屋さんは道の向こうの駐車場や」と言ったのだ
このスーパー以外の人が販売していたのは明らかである
それが魚屋さんなのかどうかは不明だ
煙草を咥えながら魚を売る魚屋は当節あまり見かけない

昨日、お酒を買いに行ったついでに店を覗いてみた
しまったシャッターに貼り紙があった
「設備故障のため当面休業する」と記されていた
次々にに客が来るがみんな唖然としている
「これでつまづいたんちゃうか」
と指で丸を作って話掛けてくるオッチャンがいた

いやはや300年以上たっても
大晦日の人間模様は様々であることよ








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座標軸を確かめる

2017年01月05日 | Weblog

初「仕事」である
のほほんとした酒浸りの年末年始の生活に終止符(??} 
今日から地域センターの民謡講座の鳴り物(太鼓)を担当

鳴り物(主に太鼓)は、毎週、月謝を払って練習している
不思議おじさんが属する民謡会ではもちろん伴奏するが
それだけでは曲数が限られるため 
まるで相撲の力士のように出張して練習している
そのため週に5回も伴奏練習することもある
今日はその一つの出張伴奏だ

「太鼓」というと、勇ましく力強く叩くというイメージだろうが
民謡の鳴り物(主に太鼓)はそのイメージとは程遠い
繊細である
撥(ばち)は、ほとんど「握る」ことは無い
軽く手の中に入れているだけ
間違って撥同士がぶつかると、すぐに転げ落ちる

仕事を退いてもう3年になろうとしている
民謡を習って30年になる
鳴り物(主に太鼓」を習い始めてはまだ2年半だ
年末に楽譜を整理していたら、
美鵬流太鼓の譜面は150曲を超えていた

日本民謡は5,000曲以上あると言われている
市販されている民謡歌詞集でもせいぜい700曲くらいしか載せていない
不思議おじさんは30年習っているが
唄えるのは多分200~300曲前後くらいだろうか
数えたことは無い

大半の唄は「鳴り物」がついている
締め太鼓、平太鼓、鈴、鉦、拍子木、船漕音、石工音…
唱を盛り上げるための伴奏である

日本民謡の放送は極めて少ない
ラジオではNHK土曜日12時半からの25分間
NHKFM日曜日11時からの50分間
テレビではたまにNHKが日曜日に60分の番組を放映している

これらの番組では
歌い手、三味線や尺八、お囃子とともに、
「鳴り物」の紹介もある
美鵬駒三郎が不思議おじさんの先生の先生だ
そのお弟子さんは「美鵬」または若いころの「三波」の名を持っている
これらの放送の多くでその名に接することができる

民謡の太鼓にも鼓友会、望月会…などの流派がある
勿論叩き方も譜面も異なる
なかなかに奥深い


まるで徘徊者のように歩き回る不思議おじさんであるが
正月も変わりがない
31日の深夜11時に団地を歩き回ったが
電灯の付いている部屋は50%かそれ以下だった
15年ほど前は7割を超えていたのでかなり減少している
単身高齢者が増えて早く寝ているのか
紅白歌合戦がお年寄りの好みに合わずに早く寝たのか…
(因みに不思議おじさんは1秒たりとも観ることは無かった)
空き家が増えているのかもしれない

さて元旦である
相変わらず近所を徘徊した
注目したのは 日章旗である

皆様のご近所ではどうだったでしょうか

右傾化が頓に報じられる昨今だが
日章旗を掲げたお家は1軒しか見受けなかった
これが2017年の市民感覚だと思えた
ある種、見事なバランス感覚である
憲法を変えて戦争できる法律作りを受け入れるかのように見える国民だが
かと言って日章旗を元旦に掲げるわけではない
そのあたりを見間違ってはいけない

朝日新聞が元日から特集を組んでいる
「我々はどこから来てどこへ向かうか」
元日は「民主主義」
3日は「日本人」
4日は「成長信仰」
5日は「国家」

マスメディアには辟易の感も濃いが
年頭記事として根源的な問いを記事にする企画には惹かれる

混乱の時代だからこそ確かな座標軸が求められる

おりしもネアンデルタール人が食人をしていたことかニュースになっていた
ホモサピエンスとの混血も取り上げられていた
何も目新しいことではない
すでに学説として定着していたことの追認だが
「人間」⇒「現代人(ホモサピエンス)」を理解するうえで
改めて人の目に触れるようにすることは悪くはない

一昨年、韓国で協同組合で働く若い人たちに
「人類の争いと協同」につてお話した
2時間で、通訳が入れば実質1時間
中途半端になってしまったが…
人間同士の争いの歴史を踏まえて
「協同する」ことの意味を問うつもりだった

17世紀以降の資本主義の躍進と限界、
その中で意味を帯びた国家の現代的な価値と呪縛
社会主義との対峙で生き残った民主主義だが…
そしてより根源的な問いとして「これ以上豊かになる必要があるのか」

あり溢れる事象に接する日々
科学的な知見は不可欠だ
歴史に人間の本性を学ぶ率直姓も求められる
冷静に受け容れるには確かな座標軸が便りになる

宇宙誕生137億年にさかのぼり
生命誕生37億年、人類誕生700万年
ホモサピエンスの出アフリカ5~6万年
酉年にふさわしく、世界を俯瞰する目が要る

しかし
だから

たぶん

人類のほとんどは
自らが生み出した物質と仕組みによって
間違いなく滅びるのだろうと思う
そう思わない人が居ることが不思議である

かといって
それで生きる元気が
減じられるわけではない

旨いもんを喰って
美味しい酒を飲んで
親しい友と笑い合い
気を充たす活動に力を尽くす
それは何も変わらない

さあ 大根でも煮ることにしよう


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何も無い腑抜けた正月である

2017年01月04日 | Weblog

最近、志保池公園に新しく増えた水鳥だ
名前を調べるとオオバン
パンはくちばしが赤いがこれは白
もとは冬の渡り鳥だったようだが今は留鳥


2羽で仲良く遊泳している
カルガモよりも少し臆病だ


志保池の主である白鳥の前を2羽が泳いでいる
志保池は須恵器や土師器の窯跡に造られた人工池
池そのものは40m×70mくらい
毎日、朝か夕方、または朝夕とも
トルテ君に連れられて訪れる



白鳥は一羽だけで冬は100羽ほどのカルガモが池を占拠する


中には一羽だけ青首(マガモ)がいる
食べればとても旨いそうだが獲ってはいけない
黄色い嘴をじっと見ていると
犬の顔に見えるから面白い


ゴイサギも小魚を狙っている

パンくずを遣る人もいて和やかな池のたたずまいだ

酉年だからというわけでは必ずしもない
もともと鳥が好きなのだ


元旦の朝 庭に蜜柑を半切りにして杭に刺した
一時間ほどすると やってきました
メジロの番い

さて今年はどんな一年になることやら







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新年あけましておめでとうございます

2017年01月01日 | Weblog
「酉」は酒壺の象形とか。
酉を部首とする漢字は六十余。
さんずいの「酒」あっての生きる楽しみ。
酌み交わす酒に酩酊し、醒めてはまた酎に酔う。
齢七十を過ぎて酢や酸の奥深い味もまた心地良い。
醇、醸、醴…麗しい字がこの一年を言祝いでくれるかのよう
昨年のように醫者のお世話にならぬよう健康への気配りも肝に銘じます。
 トルテ君に連れられて日に3回・合計90分の散歩を
毎日の時間を過ごすための気力、体力の駆動力としながら、
今年も畑仕事、日本民謡の唄と鳴り物、読書、料理、庭いじりを楽しみます。
感謝の気持ちを忘れずに。
皆様のご健康とご多幸を祈念申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2017年元旦
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自前の肴でお酒を頂く

2016年12月30日 | Weblog

手前にあるのは本日初めて掘った辛味大根
おすそ分けした先で「ねずみ大根」との名を教えていただいた
長野県ではそのような名があるらしい
なるほどよく見ると根はねずみの尻尾のようにも見える
蕎麦を食べるときの薬味として重宝されるらしい
初めて掘ったので早速大根おろしにした
確かに一般的な大根より辛味があるが甘みもある
茎と葉は厚揚げと一緒にゴマ油で炒めた
酒(不思議おじさん宅では料理酒も純米酒にしている。
紙パックに入った2㍑のものだが、
最近は燗酒もこの酒で頂いている)
醤油、塩、ガラスープ(顆粒・化学調味料なし)で味付け


昨日掘った里芋を蒸してきぬかづきで頂いた
「きぬかづき」は平安時代の女性の衣服に由来する
里芋を皮ごと蒸して、3分の1ほど皮をむいた姿のこと
味噌をつけて日本酒で流し込む


里芋はこの時期になると茎も葉も枯れる
これが収穫のサインだ


掘り起こした里芋は親芋の周りに小芋が付いている
ひげ根がいっぱいついている


ひげ根を取って茎をきれいに切る
今年は畑地が不足して、芽が出てから植え替えた
そのためやはり少し小ぶりである
ちょうど食べごろのものは来年植え付け用の種芋として残した
写真を撮り逃したが、もみ殻を入れて地中に埋めた
2種のサトイモは3年前に滋賀の兄からもらったもの
その粘りと地味深い味は格別である
神戸の娘から「是非送れ」との強い依頼がある
その美味しさが忘れられないからだ


またも頂き物だ
琵琶湖固有種である「イサザ」の煮ものとエビ豆
故郷の懐かしい味である
お酒が進む


こんなものまでいただいた
福井弥平商店の「萩の露」の中汲み
NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で取材されていた
比良山の清冽な伏流水で造っている
以前の職場ではその酒を取り扱っていた


今日は朝から野菜の収穫
大根、人参、辛味大根、中葉菊菜、法蓮草(次郎丸)
採って、洗って、袋に詰めて
6軒の知人、友人宅にお届けした
受け取り食べていただく人が居る
それが畑仕事の励みになる
有難いことである

自分に価値を置くから
落胆や後悔、挫折などの感情に苛まされることになる
自らを控えめに
周りに感謝の念をもって人と接する
難しいがそのようにしたいと思っている



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