後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

日本人は農耕民族である

2017年05月12日 | Weblog
日本民謡をもう30年も唄っている

不思議おじさんは子どものころから歌が好きだった
高校は文芸部、陸上部とともに合唱部にも所属していた
毎日放送の合唱コンクールで彦根東高校で歌った
県内で4位だった 
指導はうら若き橘高先生だった
今でも歌える

大学では演劇部と同時に能楽研究会でお能も習った
いろいろあって独学でドイツリートもレコードが擦り切れるほど練習した

35歳くらいになって日本民謡を習いたいと思ったが
どこにに行けばよいか分からないまま年月が過ぎた
娘のピアノの先生が、和泉市の尺八の先生を教えてくれた
それからもう30年近く経った
忙中閑有りというか、忙しすぎる仕事の合間に
日本民謡だけは習いに行った

昔でも、世間はゴールデンウィークは連休で浮き立っていたが
不思議おじさんは、31歳以降、祝日に休んだことは無い
土曜日も休んだことは原則としてない
というか、場合によっては日曜も出勤していた
大企業に勤めたお歴々とは訳が違う
地べたに這いつくばって勤めを続けてきた

そのなかでも木曜日夜8時からの民謡だけは通った
8時に間に合わないことも度々だったが、とにかく続けた

いろんなコンクールや発表会にも出た
日本コロンビア民謡大会青年の部6位が過去最高の栄誉
でも大したことは無い

定年後、民謡太鼓を始めた
視野が開かれた
民謡を客観的に見る視座を得た
他人が唄っていることを冷静に聞き分けることができるようになった
一昨年、関西最大の民謡コンクール
産経民謡大賞壮年の部(50歳以上)で敢闘賞を受けた
望外の喜びだった
産経新聞にも記事と氏名が載った

ところか昨年は予選落ち
訳が分からないまま雌伏の日々

さて今年、昨年に続き健声の部(70歳以上)でチャレンジ


何ということだろうか、高石会場予選では一位通過!!!
もうこれだけで充分という気分だ

因みに決勝は/30にサンケイホールで開催される
当日券だと入場券は3,600円だが
このブログを見て来る人は誰もいないと思うが、予約券なら3,100円
その場合は不思議おじさんに申し込んでほしい

決勝ではあまり成果を期待していない
期待するほどダメな結果になることを十分に経験してきたからだ


これは不思議おじさんの畑から見た火事の現場
極近の畑では、泡消火剤の影響でイチゴの収穫を諦めたようだ


不思議おじさんの畑はお蔭で影響なし
何せ135株も植えたので収穫もそれなりにあるが
地主さんをはじめとしてお世話になっている方々に配っている
沢山の方に日常を支えられていることを改めて実感する


自宅庭の畑も連作障害の恐れがあるので
今年からトマト、キュウリ、ナスビ、唐辛子は畑で栽培することにした

民謡では「めでたい」との歌詞やお囃子が出てくる
もちろん「芽出たい」である
いろんな作物の芽が出ると、本当に嬉しくなる

まだ目が出ない作物 アシタバ
そのうちに出るだろう

今日は、ポットに綿と落花生の種を植えた
いずれも2日間水漬けにした種

果たして「目出度く」芽が出るだろうか?


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火事だぁ!!

2017年05月09日 | Weblog
(この写真はネットから拝借した)
(またこの火事は「大阪 火事」で検索すると記事がある)


昨夜と言うか、早朝と言うか、2時半ごろのこと
一緒に寝ているトルテが、突然ガバッと起きて
戸を開けて(彼は鼻で開けられる)居間に行って吠えだしたのだ
余りに激しい吠えようなので不思議おじさんも跳ね起きた
まずは2階に上がってベランダ等を見回す
と、1階のシャッターを揺さぶるような音がする
手持ちの電灯をもって庭に出ると、ボンボンと花火のような音が聞こえる
東の臨家方向を見ると、夜空にも真っ黒な煙が立ち上り
紅い炎がチラチラと見える
「ユーシン化学の工場だ!」と方向と距離感から直観した

なぜか入れ歯を入れて、パジャマ姿・サンダルで外に出た
カメラを持ち出すのを忘れていた
消防車の集まる音が聞こえる
ボンボン、パーーンという破裂音が連続的に聞こえる
セブンイレブンの若い店員2名も道に出ている
煙道の住民も不安げに遠くを眺めている
畑仲間のSZオバサマも道で携帯電話で話をしている
やっと放水が始まったようだ
道に水ではち切れんばかりのホースが大蛇のようにうねっている
消防隊員も同じ方向へ駆けていく

やはりである
黒煙と紅蓮の炎はユーシン化学から出ている
塗料製造会社で、いつもシンナーの匂いが漂っている
塀が高くて中は見えない
その塀沿いの角を曲がると不思議おじさんの畑まで100mもない
(写真の角を右に回ったところに畑はある)
大勢集まった近所の人の中に話好きのSYおじさんの姿を見つけた
彼の自宅は火元から30mほど
さらに塀の向かい側にはNMオバサンの3階建てもある
(朝に改めてみると、出窓の枠が焦げていた
 風が無かったのが幸いだった)

爆発音はドラム缶のようだ
爆発はさらに続き、黒煙は勢いよく上がり、炎は衰えない
20分後、ようやく爆発は止まった
しかし火は容易く消えない

類焼することもないと判断し帰宅
そんな恰好で,鍵もかけずに飛び出したことを
小妻に強く叱られた

そして今朝方、雨との予報だったので
トルテの散歩を終えてイチゴの収穫に向かう
不思議おじさんの畑には被害はなかったが
塀に沿った畑を耕しているSZオバサンのイチゴ畑は
泡消火剤で真っ白になっていた
トマトや茄子の苗にも泡消火剤が降りかかっていた
さて 安全性はどうなのだろうか
土に問題は残らないのだろうか

SYおじさんも来ていて
かれは読売テレビの取材を今しがた受けてきたと言っていた
昼のテレビニュースで比較的長く取り上げていたが
SYおじさんのコメントは放映されなかった

騒ぎも一段落し、イチゴを収穫していると
向こうからダブルの礼服を着たようなおじさんと
作業服を着た3名の若い人が畑に来た
「ユーシン化学の社長の○○です。お騒がせしてすみません」
畑まで出向いてのお詫び行脚とのこと

今日は眠くて、ぼんやりと過ごすことに相成った

トルテはシャッターが揺れる音に反応したのだ
優秀な耳を持っていることは間違いなさそうだ

因みに、小宅と火元の中間に転居してきた義妹は
ドラム缶の破裂音にも、消防車の音にも気づかなかったという

どういうこっちゃ

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さよならだけが人生だ…2

2017年05月07日 | Weblog
別れることは辛い
二度と会えないことも辛い
だがどうしようもないことであることも分かっている
この世では 会えば必ず別れるものだ


小妻が自分の退職記念に不思議おじさんに買ってくれたもの
不思議おじさんは体が硬くて重度の肩こり症だった
マッサージ屋さんやピップエレキバン、ひ針のお世話になって来た
手が痛くて揉むことができない小妻は機械を買ってくれた
抜群のもみ動作であった

徳島に単身赴任していたこともあり
大阪に置いてあっこともあり
あまり使用頻度も上がらなかった
そのうち何か動きが変になった
動作がおかしいのでメーカーのパナソニックに電話した
修理はすでに他の関連会社に管理が移されていた
電話で聞いた限りでは部品交換すれば数万円で直るとのことだった
「診断に1500円(1000円?」+税」が必要とも言われた
「直らないかもしれない」とも言われた

修理に来た人は髪の毛を見事にパーマして丁寧にオイルで撫でつけていた
近所の高齢の女性の使用者から見たら「ほとんど使っていないに等しい」と彼は言う
診断が終わって担当者は15分ほども車の中で会社本部に電話をしていた
不思議おじさんはトルテの散歩もあり外で待っていたが
結局のところ2000円ほど払ってすべて終わりだった

何の説明もなくもちろん修理もしてくれなかった
これがpanasonicという会社の実態である

つまりpanasonicは金だけ取って
合理的な説明は何もせずお金だけ取って逃げた
到底お勧めできる会社ではない゜

それから約5年、
孫たちがこの家に来て、この不完全マッサージ器を使うが
もちろん充分な動きはしない
それでも機能の7割くらいは使えたので
孫たちのために置いておいた

それがこの連休中、ついに使用中に電源が切れるなどの不具合が発生
いよいよ寿命が来たようである
機械人生を全うしてとのことなら南無阿弥陀
お教の一つも唱えたくなるが
これはpnasonicへの恨み言にしかならない

企業として作った品物への責任が全うされていない
子会社や関連会社にどんどんアフターケアが先送りされ
製品の本質的な問題は不透明になっていく
これが日本の一流企業の「仕事」とは情けない

中小企業だって 自分が作ったものへの責任では
大企業以上にコストと時間をかけてフォローしている
松下さんが作った「Nasional}や panasonicのブランドに
同じ関西人として誇りを持って生きてきたが
それももう地に堕ちた

panasonic製品を2度と買うことは無いだろう

ジャパネット高田さんがFUJI医療機さんの販売キャンペーンをしていたが
筋肉が衰えてほとんど無い不思議おじさんにはもう不要と判断した
年に数回来る孫や息子の嫁が使う頻度は僅かのものであろう

近々の内に廃品買取業者にお願いしないといけないが
重たい、幅がある、なとで運び出すのは難行だろう

不思議おじさんの家は、古墳のすそ野に位置している
東北方面には11階む建ての高層マンションがあり、生駒山からの電場が届きにくい
現在は難視聴区域として認定され<COMから電場を供給してもらっている
仕方なくJーcomに加入してBSやCS、さらにはCATVなとせも契約している

連休の後、娘や息子夫婦の嵐が過ぎ去った後
川柳では「孫が残こすした置き土産」だが
パソコンやAV機器の不具合ではかなわない
リセットしてみるも無残

<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/9a/71aedcd5a7d811b069a17ea04d0042af.jpg" border="0">
撮りためたHDDも新たな機種変更で消されてしまうという
慌てて藤沢周平の「獄医立花登手控え」の先週分を観たが
特に画質に問題はなく見られた
はてさていったいどんな故障なのか

形あるものは必ず壊れる
ましてや形ないものはもっとたやすく壊れる

こんな痛い経験を重ねてきた不思議おじさんは
絶頂の時にいつも呟く「○○さん、ありがとう、そしてさようなら」
この言葉が心の奥から絞り出されている時
不思議おじさんの喜びは最高張になっている
トップを知る人は、潮が引けた後の冷めた浜の景色も知っている


火曜日に採りに行ったが僅か粒ほどだっ15粒ほどだった
3日後今朝、息子夫婦のために採りに行ったら、ザルいっぱいに

酸味が強く野生の味がする
酸味が強く主張しているか、甘みの登場をサポートしている
巻貝に一部か齧られている粒もあるが、全体には綺麗にできた


僅か3日でこんなに違う収量
これが旬の勢いである。


修理の前に、せめて「刑事フォイル」最終回の画像を連れておく
戦争は勝とう負けようと
戦争に直接参加しようかが、田舎で蟄居しようが
全ての階層の人たちに
否応なくその被害は何らかの形で及ばせる
それは爆弾の破撃だけではなく
人が人を疑い猜疑し、相互監視する社会のことである

こんな優れたBBCのとドラマもも終わった
刑事フォイルは歴史から学ばない政治家たちへの教材であり
金曜日夜の一服の気付け薬、清涼剤であった

なにせJーcomのテレビ接続機器が不調になり
撮りだめていたHDDの画像が消えてしまうからだ
テーマ音楽を録画して せめてもの思い出とした

「こころ旅」の高い音のテーマ音楽が消えていくーーーーーーーーーーー
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夏野菜を植え付けた

2017年04月29日 | Weblog

「草取物語」は、とにかくこのような形で終わった
昨日の裡に耕運機を動かして耕したが
なにせ雑草が生い茂っていた土の固いこと
「刃が立たない」ので3回も往復した


交換した土地で作付け可能な一本の畝
トマト、キュウリ、
杭一本が550円ほどもする
苗はホームセンターなら58円だが
信用できる育苗店なので80円~100円
野菜は買った方が絶対に経済的
まぁ道楽ですなぁ


ナスビ、ピーマン、パブリカ、しし唐も植えた
夏の水遣りが思いやられる
自宅の庭なら水道で一発解決だが
この畑に水源はない
自宅から持っていくか池から汲み上げるしかない

さらに大好きな黄色マクワウリ、
カボチャ二種、と一株だけ小玉スイカも植えた
ネット等で管理しないとアライグマに食べられるらしい

イチゴにも鳥除けのネットを張った

自宅の庭には万願寺唐辛子を3本植えた
青じその種も播いて今日のお仕事はおしまい

トロトロ ドロドロに疲れ果てた

採ってきたきぬさやとスナップエンドウでお酒を頂いた

それだけが果報である

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草取物語(その2)

2017年04月28日 | Weblog

山菜の女王とも呼ばれるコシアブラ
縁あってその採取のお誘いを受けた
場所は公開できないが、兵庫県である
山間地にはまだ山桜が咲いていた

不思議おじさんもコシアブラは初めてである
タラの芽なら、養殖栽培みたいなものも売っているが
コシアブラが市中に出回っているとは聞いたことが無い

なかなかの収穫量であった


勿論定番料理は天麩羅である
手前は芹


お世話いただいた方は、84歳の元気な農家
元は大工さんだが、農業にはまって
今はなんと一町歩の畑を一人で耕しておられる
信じられないバイタリティである
その方の畑と言うか荒地に生えている蕗、芹なども頂いた

コシアブラはさっと熱湯にくぐらせて刻み、味噌和えにもした
頂いた春キャベツは油で炒めて塩で味付けしただけ
これが不思議おじさんの大好物である

こんな話を続けていると「山菜取物語」になってしまう

さて「草取物語」の続きだ

人間にとって「隣」というものは厄介な存在である
それは日常生活において誰もが実感するところだろう
不思議おじさんは、今夜も臨家の2匹のホワイトシェパードの
極めて大きな鳴き声が、数時間も続いているのに頭にきている

隣はもちろん「国」についてもそうである

2年前に「隣」についての考察を少しまとめた
韓国での講演を依頼されたときである
「隣」との関係を新たに結ぶ手立てとして
「協同組合」という手段に光を当てる趣旨であった

畑でも「隣」は厄介な存在である
ましてや畑地で畝と畝を接している場合は格別だ
畝をまっすぐに立てるのは大変むつかしい技術だが
曲がって隣の畝を侵食しないよう気を付けなければならない

翁は基本的には争いを好まない質だった
隣の鹿児島弁爺さんを「立てる」ようにしてきた
「百姓の先輩として一目置いてますよ」との態度を常に見せてきた
おだてであろうが、褒められて悪い気を持つ人は少ない

鹿児島弁爺さんと翁の関係では貸し借りが過去にあった

翁が百姓をはじめて最初の年
備中と鍬だけで耕したので腰を傷めて数か月畑に行けなかった
その間に、鹿児島弁爺さんが割り込んできたのだが
翁が物置として使っていたスペースを勝手に占拠し
翁の道具類を無断で外に出し
そこに専用の小屋を作ってしまったのだ
翁は「まぁしょうがないか」と問題にはしなかった
翁は喧嘩が嫌いであった

亡くなった方の畑との間に
緩衝帯として一本の畝の幅の畦道があったが
鹿児島弁爺さんが「ここをくれへんか」と言ってきたとき
備中と鍬しかない翁には耕作能力が無いので
「そうやな、まぁかまへんで」と了承した
気の好いことである

亡くなった方はほぼ新品の耕運機を遺された
その奥様が、鹿児島弁爺さんをこの畑に引き込んだのだが
耕運機を翁に斡旋してくれたのが鹿児島弁爺さんだ
まぁ彼等は知人同士だったので渡りに船だった
中古の耕運機を翁は手に入れることができた
それは相場よりは少し高い価格だったが
翁は、購入金額の5%を鹿児島弁爺さんに渡した
要求されたわけではないが、お礼のつもりだった
気の良いことである

鹿児島弁爺さんは、ケチと言うほどでもないが、
物を他者にやるということをあまりしない
それでも翁は、豆類などの苗をもらったことがある
逆に、翁はイチゴの苗を多数分け与えたことがある
できるだけ波風立たないようにしてきたのである
気の良いことである

さて青森オバハンは、いよいよ畑耕作を放棄することが分かった
鹿児島弁爺さんが、スーパーでたまたま出会い
「あの畑をどうするつもりか」と問い糺したそうだ
そしてその全てを自分゛引き継いで耕作すると
畑仲間に一方的に宣ったのである

「誰よりも広い面積を耕しているやんか!」と畑仲間が言うと
「前に耕していた面積の半分しかない」と反論する
それが鹿児島弁爺さんの「基準」らしいのだが
それを押し通すことの不合理には全く頓着していない
いい気なものである

翁は次の言葉を直接には聞いていなかったが
鹿児島弁爺さんはさらに宣言したそうだ
「俺はこの畑の管理を任されてるんや」
こうなると能天気と言って良いほどだ

この畑地を最も長く借りている女性二人も
さすがにこの言葉にはカチンときたらしく
「昔から借りてるのは私らで、あんたと違うで!」
爺さんは黙ったそうだが、主張は曲げなかったそうだ
気が強い爺さんだ

この女性(それなりにご高齢)二人は、
この2年ほどトマト、キュウリ、ナスビなど
爺さん手作りの苗をもらって割く付けしていたが
このような雰囲気を事前に察知して
この夏野菜の苗を断ったそうだ
爺さんはそれなりにショックを受けていたらしいとのこと
爺さんも人間ということか

人は他者に喜んでもらえることを喜びとする
しかしそのことによって優位な立場づくりを行ってはならない
関係性が変容し、友好関係が主従関係に変化する
楽しい畑仕事にそんなことを持ち込まれてはかなわない

翁は、そのような危険から身を遠ざけるため
苗はもちろん、資材や堆肥、肥料もすべて自前だ
そのうえで好意で頂ける場合は有難くお受けしている
女性二人からは、トウモロコシの種やサツマイモの苗を頂いたことがある
爺さんからもらったことは前述のとおりだが、依頼したわけではない


鹿児島弁爺さんの手前勝手で強引な畑地分捕りは
翁と高齢女性二人、さらにご近所のおじさんの憤慨をもろともせず
まるで多数派自民党の強行採決のごとく決定したのである

しかし翁はある種の反撃に出た
と言うか、鹿児島弁爺さんが更に目論んでいるであろうことを
先取りして提案したのである

それは畑地の整理、つまり翁と爺さんの畑地の交換である

耕作地が入り組み、耕運機の使い勝手が悪く
畝と畝があちこちで接してしまうので、やりにくいのである

爺さんが喜んだのは言うまでもない
翁の畑地はすでに耕して肥料も入れてあるが
交換地は雑草が繁っている
改めて耕して畝を立て、堆肥も入れなければならない

爺さんは気を良くしたのか、20メートルの畝一本を
翁が耕作する分として新たに分け与えた
「一体、爺さんは何様なのだろうか」
周りの関係者は寄るとこのように言っているが
面と向って云う気はない
誰も畑仕事でまで変な人間関係を作りたくないからだ


翁はとにかく黙々と草を取った
貝殻石灰を散布し
耕運機で耕して畝を立てた

これで、鹿児島弁爺さんと境界を接するのは片側だけになった
水溜め桶や耕運機の置き場もそのうちに移動する
まだキヌサヤやイチゴなどは収穫できていない
完全な交換はその後のこととなる

翁は、これで何とか気分よく畑仕事をすることができそうである
めでたし めでたし

ホントにお目出度いお話でした








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