後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

金柑の蜂蜜漬け

2017年02月25日 | Weblog

我が家の庭にはかつてはいろんな果樹があった
今は僅かにサクランボ、ハランキョウ、金柑の3本だけ
今年の成り具合を見て、金柑以外の2本は伐採する予定
小生が面倒みられなくなったら、小妻が対応できないとの理由

金柑は約3メートルの高さになった

小妻とともに採ったのが210個
写真はその後なので400個ぐらいなっているのだろう

半分に割って種を取る
210個×2=420個から竹串でほじくり出す
210個の金柑は2.25kgだった
取り出した種は優に100gを超えていた

この金柑にたっぷりの蜂蜜を詰めれば出来上がり
蜂蜜代金がとても高価な一品だ

ブログ更新をサボっていた一か月も時間は容赦なく過ぎる

白鳥とゴイ鷺の朝の御挨拶

青首(マガモ)のオスは2匹仲良く泳いでいる
オオバンも変わらず一緒だ
渡り鳥は、渡ってきた場所ではずっと同じ場所にとどまっている
カルガモの子どもも次々に孵化したようだ

更新をサボるとなかなか書けなくなる
意欲が薄れるというか
やる気がなかなか起きない

新たな読者もおられるようなので
何とか綴っていきたいものである
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大根から世の中を窺う

2017年01月23日 | Weblog



今年の大根作りは来年への教訓だけを残した

来年の夏は、「鞍馬」という品種の大根を植えると決めた
近くの貝塚市の名産らしいが、種は京都由来だ
「暦を制する者は権力を握る」
播種の時期を違えば、農作物の収穫は覚束ない
ましてや一畝に二条植えするなどの欲に溺れた作付
天はお目こぼしなどしない
「大根」とは名ばかり、「中根」「小根」の山だ
「中根」は知人、友人、ご近所にお届けしている
「また大根か! そんな仰山、大根ばっかり喰ってられるかぁ」
と、叱られそうなので少し遠慮している
先日は40本引いたが、まだ畑にはたくさん残っている

問題は「小根」だ
畑の先輩、瀬戸口さんは「土に漉き込む」とのこと
収穫時に、外葉は掻きとって畑の土に漉き込むが
大根ごと漉き込むことはしていない

しかしこの小ささだと他人様にお分けすることはできない
少しだけ漉き込んでみた
せっかく作ったものだ やはり切ない

抜き取って、水道水で水洗いして、家の前に置いておいた

午後、外出から帰った小妻に聞いた
「もし、どこかの家の前に、無料の大根があったとして
 持って帰るか」と聞いたら、やはり「持ち帰らない」という

そりゃそうだろう
こんなに人を信じることができない世の中になってしまって
どんな毒が盛ってあるあるやかも知れず
「ただ」とはいえ、不気味に感じるのが当節の常識だろう
ところがである
3時間後には9本おいておいたが全て無くなっていた

一応は、不思議おじさんの家の前なので
誰が置いているのかは明確なわけだ
こんな索漠とした世の中でも
薄い薄い信頼、信用のようなものがあるのが分かった

少し気が早いがジャガイモを植えた
男爵とベニアカリ 合計70株
35個の種ジャガイモの購入金額は910円
肥料は貝殻石灰、牛糞、菜種油粕、骨粉
労働費等も勘案すれば、何と言う贅沢な趣味なのだろう


他人様の田んぼの裏作に土地を借りたので
比較的早く収穫できる品種を選んだ


その隣の玉ねぎ畑 草だらけである


この時期は除草が無いなどと思うのは全くの素人
畑の草の恐ろしさを知らない世迷いごとだ
畑の草と異なり、田んぼの草は手強い
しかも栄養不足気味である
無化学肥料(有機質堆肥・肥料栽培)の我慢のしどころだ
ご近所の玉ねぎは勢いよく育っているが
我が畑のひ弱い苗たちよ
お前たち よろしくな!


自宅の庭に植えていたキャベツとブロッコリーの初収穫
まあまあ立派ではないか
拍手!!!


日の出の時間も少しずつ早まってきた
毎朝の散歩で「山の公園」頂上から日の出を待つ
右が大阪最高峰の金剛山、左のクジラ型が葛城山
その間は中国・韓国の文化が往来した水越峠
この山の向こうが明日香だ


民謡の太鼓伴奏風景
これは地域コミニュティセンター文化講座の一つ

毎週、新たに数曲の練習をしている
その場で譜面を見てすぐに対応できる曲もあるが
一ケ月かかってもマスターできない曲がある

先日の練習で81歳の師匠から言われてしまった
「まだまだボケる暇が無いなぁ」
これは不十分な弟子の技量を叱る言葉であった

今夜、田舎の家を継ぐ次兄に豪雪見舞いの電話をした
60~70cm積もっているとのこと

雪の降った朝の輝かしい眩しさが懐かしいなぁ
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

世間胸算用平成28年

2017年01月07日 | Weblog

お誘いを受け
昨年から「古典を読む会」に参加させていただいている
このグループはすでに源氏物語をはじめとして
数々の古典の原典を読みこなしている
源氏物語などは3年近くを費やしたとのこと
不思議おじさんは瀬戸内寂聴さんの訳を読んだのみ
宇治十帖になると「読み通す」との執念だけで読んだので
物語を楽しむという思いはなかった

会に加わらせていただいた最初の古典は
井原西鶴の最晩年の作 世間胸算用だった
1692年刊行なので320年ほど前のことだ

世間胸算用は浮世草子
しかも「絵入り」と表紙に謳われ
副題は「大晦日は一日千金」である

大阪、奈良、京都、長崎などの
12月31日大晦日の街の様子を20の話にしたもの
現代風に言えば、まさに写真付きの週刊誌のイメージだ
お金に窮して年を越せない庶民の暮らしを
いかにも現場にいるかのように話に仕立てている
「絵」が臨場感を高めている

さてその平成28年度版である
写真はない
かといって絵を描く才能も無いので文字のみ
(西鶴は多芸で絵も描いたが、この本では絵師に委ねている)

息子が結婚して、夫婦で年末に来るという
もてなし(料理)の好みを尋ねると刺身が良いという
普段は近所のスーパーで刺身を求めるが
ちょっと良いものというと堺市南区の専門店まで足を伸ばす
この店は魚のレベルが高く賑わっている
ここ数年は野菜や肉類の充実も図っている
駐車場はいつも入りきれないほどである

混雑を予測して9時半にバイクで出掛けた
車だと駐車場に入れるだけでエネルギーを使ってしまいそうだからだ
着くとやはり車が溢れている

少しの野菜と牛肉(たたき用)を買った
いよいよ鮮魚売り場だ
唖然とした
売り場には何の魚も無かった
スッカラカンである
鮮魚も貝も干物も 
1パックも無いのである
ステンレスの売り台が鈍く光っているだけ

まだ9時半だ
ええっ !!
もう売り切れたんか!!??

調理場ではお兄ちゃんが二人ほどいて
何か掃除のようなことをしている

仕方なくレジで野菜と肉代を払う
レジのおばさんに尋ねる
「魚は売り切れたん?」
おばさんがぼそっと答える
「魚屋さんは道の向こうの駐車場や」
意味不明である

とにかく片道2車線の大きな道路を横断する
通行量が多いのでかなり危険だ
向かいは酒店の駐車場だが
その手前の歩道に何やら人だかり
スーパーで見かける商品を乗せたキャスター付きの多段棚が
あちこちに乱雑に置かれている
地面にもそのまま多数のパックが積み重ねられている
どこに何があるかは判別不能

煙草を吸ったオッチャンが
「〇〇が来たでぇ」と道の向こうのスーパーから
商品を乗せた棚を引いてくる

とにかく必要な魚のパックを探し出す
先客がお金を払っている様子である
「ええいっ 邪魔臭い! 1万円でええわ!」
見渡してもレジらしい場所がない
煙草を吸っているオッチャンに尋ねる
「どこで払うん??」
「ここや」
見ると足元にバケツがあり、
お札が無造作に放り込まれている
4パックを出すとざっと見て
「4,500円でええわ!」とのこと
袋を一枚無造作に渡してくれた
帰宅して計算したら4,880円だった
ほんの7、8秒で暗算する計算能力に驚く

異様である
あきらからおかしい
帰宅して小妻や息子にも報告
「何かあったんやろなぁ」と同情的

西鶴さんなら実しやかに物語に仕立てるだろうが
ここからは不思議おじさんの想像である

このスーパーは小規模なのであまりチラシを打たない
しかしこの年末は特別に大きなカラーチラシを
かなり広範囲(市を跨いで不思議おじさんの家まで)に撒いている
まさに売り時、稼ぎ時であったはず
販売の準備を夜も寝ずにしていたと思われる
しかし大晦日の早朝 
男たちがやってきたのだ

男たちは魚を売ることを許さない
そして準備された魚を道一本挟んだ歩道で売ったのだ

思えばレジのおばさんの言葉が奇妙だった
「魚は売り切れたのか?」との質問に対して
魚屋さんは道の向こうの駐車場や」と言ったのだ
このスーパー以外の人が販売していたのは明らかである
それが魚屋さんなのかどうかは不明だ
煙草を咥えながら魚を売る魚屋は当節あまり見かけない

昨日、お酒を買いに行ったついでに店を覗いてみた
しまったシャッターに貼り紙があった
「設備故障のため当面休業する」と記されていた
次々にに客が来るがみんな唖然としている
「これでつまづいたんちゃうか」
と指で丸を作って話掛けてくるオッチャンがいた

いやはや300年以上たっても
大晦日の人間模様は様々であることよ








コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

座標軸を確かめる

2017年01月05日 | Weblog

初「仕事」である
のほほんとした酒浸りの年末年始の生活に終止符(??} 
今日から地域センターの民謡講座の鳴り物(太鼓)を担当

鳴り物(主に太鼓)は、毎週、月謝を払って練習している
不思議おじさんが属する民謡会ではもちろん伴奏するが
それだけでは曲数が限られるため 
まるで相撲の力士のように出張して練習している
そのため週に5回も伴奏練習することもある
今日はその一つの出張伴奏だ

「太鼓」というと、勇ましく力強く叩くというイメージだろうが
民謡の鳴り物(主に太鼓)はそのイメージとは程遠い
繊細である
撥(ばち)は、ほとんど「握る」ことは無い
軽く手の中に入れているだけ
間違って撥同士がぶつかると、すぐに転げ落ちる

仕事を退いてもう3年になろうとしている
民謡を習って30年になる
鳴り物(主に太鼓」を習い始めてはまだ2年半だ
年末に楽譜を整理していたら、
美鵬流太鼓の譜面は150曲を超えていた

日本民謡は5,000曲以上あると言われている
市販されている民謡歌詞集でもせいぜい700曲くらいしか載せていない
不思議おじさんは30年習っているが
唄えるのは多分200~300曲前後くらいだろうか
数えたことは無い

大半の唄は「鳴り物」がついている
締め太鼓、平太鼓、鈴、鉦、拍子木、船漕音、石工音…
唱を盛り上げるための伴奏である

日本民謡の放送は極めて少ない
ラジオではNHK土曜日12時半からの25分間
NHKFM日曜日11時からの50分間
テレビではたまにNHKが日曜日に60分の番組を放映している

これらの番組では
歌い手、三味線や尺八、お囃子とともに、
「鳴り物」の紹介もある
美鵬駒三郎が不思議おじさんの先生の先生だ
そのお弟子さんは「美鵬」または若いころの「三波」の名を持っている
これらの放送の多くでその名に接することができる

民謡の太鼓にも鼓友会、望月会…などの流派がある
勿論叩き方も譜面も異なる
なかなかに奥深い


まるで徘徊者のように歩き回る不思議おじさんであるが
正月も変わりがない
31日の深夜11時に団地を歩き回ったが
電灯の付いている部屋は50%かそれ以下だった
15年ほど前は7割を超えていたのでかなり減少している
単身高齢者が増えて早く寝ているのか
紅白歌合戦がお年寄りの好みに合わずに早く寝たのか…
(因みに不思議おじさんは1秒たりとも観ることは無かった)
空き家が増えているのかもしれない

さて元旦である
相変わらず近所を徘徊した
注目したのは 日章旗である

皆様のご近所ではどうだったでしょうか

右傾化が頓に報じられる昨今だが
日章旗を掲げたお家は1軒しか見受けなかった
これが2017年の市民感覚だと思えた
ある種、見事なバランス感覚である
憲法を変えて戦争できる法律作りを受け入れるかのように見える国民だが
かと言って日章旗を元旦に掲げるわけではない
そのあたりを見間違ってはいけない

朝日新聞が元日から特集を組んでいる
「我々はどこから来てどこへ向かうか」
元日は「民主主義」
3日は「日本人」
4日は「成長信仰」
5日は「国家」

マスメディアには辟易の感も濃いが
年頭記事として根源的な問いを記事にする企画には惹かれる

混乱の時代だからこそ確かな座標軸が求められる

おりしもネアンデルタール人が食人をしていたことかニュースになっていた
ホモサピエンスとの混血も取り上げられていた
何も目新しいことではない
すでに学説として定着していたことの追認だが
「人間」⇒「現代人(ホモサピエンス)」を理解するうえで
改めて人の目に触れるようにすることは悪くはない

一昨年、韓国で協同組合で働く若い人たちに
「人類の争いと協同」につてお話した
2時間で、通訳が入れば実質1時間
中途半端になってしまったが…
人間同士の争いの歴史を踏まえて
「協同する」ことの意味を問うつもりだった

17世紀以降の資本主義の躍進と限界、
その中で意味を帯びた国家の現代的な価値と呪縛
社会主義との対峙で生き残った民主主義だが…
そしてより根源的な問いとして「これ以上豊かになる必要があるのか」

あり溢れる事象に接する日々
科学的な知見は不可欠だ
歴史に人間の本性を学ぶ率直姓も求められる
冷静に受け容れるには確かな座標軸が便りになる

宇宙誕生137億年にさかのぼり
生命誕生37億年、人類誕生700万年
ホモサピエンスの出アフリカ5~6万年
酉年にふさわしく、世界を俯瞰する目が要る

しかし
だから

たぶん

人類のほとんどは
自らが生み出した物質と仕組みによって
間違いなく滅びるのだろうと思う
そう思わない人が居ることが不思議である

かといって
それで生きる元気が
減じられるわけではない

旨いもんを喰って
美味しい酒を飲んで
親しい友と笑い合い
気を充たす活動に力を尽くす
それは何も変わらない

さあ 大根でも煮ることにしよう


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

何も無い腑抜けた正月である

2017年01月04日 | Weblog

最近、志保池公園に新しく増えた水鳥だ
名前を調べるとオオバン
パンはくちばしが赤いがこれは白
もとは冬の渡り鳥だったようだが今は留鳥


2羽で仲良く遊泳している
カルガモよりも少し臆病だ


志保池の主である白鳥の前を2羽が泳いでいる
志保池は須恵器や土師器の窯跡に造られた人工池
池そのものは40m×70mくらい
毎日、朝か夕方、または朝夕とも
トルテ君に連れられて訪れる



白鳥は一羽だけで冬は100羽ほどのカルガモが池を占拠する


中には一羽だけ青首(マガモ)がいる
食べればとても旨いそうだが獲ってはいけない
黄色い嘴をじっと見ていると
犬の顔に見えるから面白い


ゴイサギも小魚を狙っている

パンくずを遣る人もいて和やかな池のたたずまいだ

酉年だからというわけでは必ずしもない
もともと鳥が好きなのだ


元旦の朝 庭に蜜柑を半切りにして杭に刺した
一時間ほどすると やってきました
メジロの番い

さて今年はどんな一年になることやら







コメント
この記事をはてなブックマークに追加