昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
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広島 カープ、新 ユニフォーム を発表!

2008-11-26 | 広島 カープ
広島カープは、新球場の完成する来季から新しいデザインのユニホームでプレーすることが、明らかになった。今回は、過去5度の優勝を飾った75年から88年のユニホームに採用された濃紺色を21年ぶりに復活したモデルチェンジだ。  
 広い新球場で機動力野球を推進するカープにとって、常勝軍団復活を予感させるユニホームが誕生する。02年から7年間続けていたユニホームは、「赤い縦縞」が消え、ホーム用は上下 白ベース、ビジター用は球団史上初となる上着が赤、パンツが白のツートンカラーへとリニューアルされる。さらにチームカラーでもある濃紺のラインが21年ぶりに復活。新球場元年を迎える来期から、かつて黄金時代を築いた「縁起色」とともにカープの新しい歴史が幕を開ける。
    
 今回の「色」には黄金時代復活への思いが込められている。もともと、広島カープのチームカラーは、球団旗にも使われている紺色である。創設期から広島カープのユニフォームには、チームカラーの紺色を主体としたデザインを採用していた。

 広島カープの歴史を紐解くと、1950年代後半以降、カープはメジャーリーグのエッセンスを取り入れたスタイルのユニフォームを導入してきた伝統がある。

 広島市民球場の完成した翌年の1958年、真新しい球場のグランドには、紺色のキャップ、白地に「CARP」の赤い花文字を紺で縁取ったロゴと、袖と胸元に赤いダブル・ラケットラインの上着、紺色のアンダーシャツ、赤/白/紺のソックスを組合わせたボストン・レッドソックスにソックリなユニフォームが登場した。以後、この「CARP」の赤い花文字ロゴは、2001年に現行の「Carp」筆記体ロゴが採用されるまで、40年以上の長期にわたり使われ続ける。
        
        ■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
帽子のマークは、当初Hの中心にCを組合わせたデザインだったが、他球団と似通った意匠のため、写真のようにドイツ文字(Fraktur / 亀甲文字)と呼ばれる独特の書体を使い、小文字のcとhを組合わせたデザインに変更された。分野は異なるが、デザイナーの立場で考察すると、このchマークは、"躍動する鯉" にも見える極めて優れたデザインです。
        
 ビジター用も当初はホームと同様にレッドソックスのデザインを模倣し、グレー地に紺色のゴシック体で綴られた「BOSTON」の文字を、そのまま「HIROSHIMA」に入れ変えたシンプルなスタイルだった。
60年、胸番号の導入にあわせ、ビジター用は左下に赤い番号を付けたドジャース型に変更され、新たに躍動感溢れる筆記体ロゴが採用された。この筆記体ロゴは73~88年と昨年シーズン(07年~)からのビジター用、来シーズンのビジター用新ユニフォームにも使われている。ただし60~62年の綴りは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」・・・つまり英語表記ではなく、sとiの間のhが抜けたローマ字表記だったのは、ご愛嬌?(笑)

 1963年にフルモデルチェンジされたユニフォームは、帽子のマークは白いHに変更され、白地のホーム用は「CARP」、グレー地のビジターも「HIROSHIMA」の花文字ロゴを使い、帽子、上着の胸マーク、背番号、ベルト、ストッキング、アンダーシャツすべてが紺一色の、極めて地味な色で統一され、マイナーチェンジを重ねながら72年まで10年間使われる。
 1968年、経営母体が東洋工業(現マツダ)に一元化され、初めて球団OB以外の外部から招聘された根本監督が就任。その年から使用されたユニフォームは、前年までのユニフォームよりもラインの幅が太くなり、同じ紺色だがやや緑がかった濃いターコイズ・ブルーに変更され、一年目は開幕から快進撃。オールスターゲームの少し前まで首位の座につき、万年Bクラスだったカープが、最終的には球団創設いらい初めてAクラスの3位となり、70年まで使われた。
        
        ■週刊ベースボール50yearsⅡより転載
 71年、かって最下位から初の世界一に輝いたニューヨーク・メッツの「ミラクル・メッツ」を意識した、マイナーチェンジを行なった。それはカラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするよう帽子マークと濃いターコイス・ブルーのロゴ、背番号、ライン周りにはオレンジの縁取りが施されたワケだが、センスの良さは垣間見れるものの渋い雰囲気は変わらず、その年もトホホな最下位に終わる。
        
 このように球団設立以来、カープの帽子やロゴ、アンダーシャツには紺系色が使われていたが、1973年からクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに変更。またユニフォームの基調も濃紺にアクセントの赤を加えたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞、最悪の状況が続いた。
        
 ところが1975年、監督に就任したジョー・ルーツは、前年までのユニフォームをベースに、かって自身の在籍したインディアンスが採用し、改革と闘争の象徴として、帽子を濃紺から赤色へと変更し、オールスター戦ではカープの選手が大活躍。その余勢をかってカープは接戦が繰り広げられるペナントレースを勝ち抜き、前年までの3年連続最下位から球団創設26年目に初優勝を遂げ、日本全国に「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
        
 その後、77年からはアンダーシャツやロゴまで濃紺から赤に変わり、帽子のマーク、袖や襟のラインなどへ濃紺のアクセントが入ったユニホームで5度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。当時の赤いユニホームに織り込まれていた「濃紺」は、強いカープの象徴だったとも言える。
        
 1989年、山本浩二監督の誕生と同時に、袖などの細かい部分から濃紺が消えて「赤のみ」の配色になる。左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字、右胸に番号がレイアウトされたユニホームにモデルチェンジ。しかしレッズとは似て非なる凡庸なデザインであり、91年、最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。ホーム/ビジターが同じデザインになったため、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止された。なお94年ホーム用の袖に、同年開催されたアジア大会広島大会マスコットキャラクターのワッペンが入った。
        
 94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴがビジター用に復活。後年各球団が採用する襟から胸元のラケットラインをいち早く取り入れ、躍動感を表現している。
        
 01年の第2次山本政権誕生とともに球団創設期に使われていた縦縞が復活し、今シーズンまで使われたユニフォームとなった。ロゴも花文字から、ホーム用は筆記体に、ビジター用はブロック体にデザイン変更。
        
また袖(左投げ選手/右袖、右投げ選手/左袖)にエンブレム(炎のボールマーク)を付けて、“ 燃える赤ヘル ”の再興を期したが、チームは長期低迷から脱していない。
        
今年は勝率5割、クライマックス・シリーズ進出を賭けて最後まで三位争いを演じたものの、最終的には11年間連続のBクラスでシーズンを終えた。

そして来季、広島にとって「強い時代を象徴する色」の濃紺が21年ぶりに復活するというワケだ。

 今回発表された新ユニホームは、一見しただけでは目立たない部分にこだわりが隠されている。ベースとなる「赤」の輝度を変更。帽子のマーク、胸のロゴ、背番号などを「濃紺」で縁取り、上着の袖とパンツのサイドにも赤/紺のラインを効果的に使っている。
また上着に立て襟を採用したクラシカルなデザインは、オープンエア型天然芝の新球場にピッタリ。第一ボタンを外すと、立て襟の内側に入れた 赤/紺タインがチラッと見える仕掛けは、" Good Job ! " と叫びたくなるオシャレ心のある仕上りだ。
    
 ホーム用は清涼感溢れるデザインもさることながら、機能性も優れている。上着は特殊なメッシュの編み込みで作られて軽量化され、通気性、伸縮性も向上。北京五輪野球日本代表と同じ作製法を使った最新技術の結晶だ。
 ビジター用は上が赤、下が白で球団史上初となるツートンカラーが採用され、インパクトのあるデザインに仕上がった。赤は膨張色だけに選手が一回り大きく見え、相手に与える威圧感は増すことになりそうだ。
    
 来春オープンする新広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)は左翼101m(91,4 m)、中堅122m(115,8 m)、右翼100m(91,4 m)と、数値では左翼が広いが、ほとんどの地点は右翼側が広くなる。ファン感謝デーで公開された実物は、写真のようにロングサイズのパンツになっているが、赤松、天谷といった俊足選手を揃えた布陣となるカープは、ストッキングを見せるスタイルの着こなしをする選手も増えるだろう。
        
その場合は、真赤なストッキングより、MLBカージナルスのように赤×白×紺×白×赤のコンビネーション・ラインが入ったストッキングがオシャレと思うのだが・・・・。
        
 原爆投下から12年目の1957年7月24日、完成したばかりの広島市民球場の第1戦から3182試合目、老朽化により今季限りで閉鎖し51年の歴史を終える9月28日、広島市民球場でのリーグ最終戦。市民球場は広島市の復興のシンボルとして原爆ドームの真横、市の中心部に誕生し、希望の灯をともし続けてきた。カープの苦しみ、喜び、そのすべてを見つめてきた黒土のグラウンドがついにその役目を終えるときが来た。
将来のエース前田健太投手が投打に活躍、4番栗原健太内野手が有終の21号2ランを放ってヤクルトに勝った。このまま3位以上を死守してクライマックスシリーズに出場して勝てば、日本シリーズで戻って来られる。セレモニーではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れ、スタンドを真っ赤に染めた観客と選手は「必ず帰ってくる」の思いで1つになった。
    
 新ユニホームで新しい歴史を築けるかは、チームとファン全員の総力にかかる。
市民球場で行われたファン感謝デーで栗原、大竹が着用し、ファンに初披露されたニューモデル。新しい歴史は数々の名勝負を刻んだ場所、満員の観衆の前で、力強く幕を開けた。
新球場元年となる来季、広島カープは11年連続Bクラスという“過去”を脱ぎ捨て、新たな黄金期へ歩み始める。

夢のせて ― 日本一の天然芝球場へ 広島新球場

2008-08-13 | 広島 カープ
来年3月開業予定の広島新球場の輪郭が見え始めてきた。博多へ出張する新幹線に乗ると広島駅到着までの約30秒間、内外野オール天然芝のグラウンドを包むスタンドの建設の様子が見える。広島市民球場を引き継ぐ「夢のボールパーク」の全容に迫る。 
 日本一の“ボロ球場”から日本一の天然芝球場へ・・・・来年3月、広島に待ちに待った新球場が誕生する。右翼100メートル、左翼101メートルの広さのフィールドは、現在の広島市民球場より10メートル近く広くなり、センター122メートルも7メートル近く広い。「バットにかすっても入る」と投手から怖がられていた日本一狭い球場ともおさらば。セ・リーグでは最も広い球場となる。
      
        ▲来年3月開業予定の広島新球場(下のコンペ作品と比較してください)
 新球場建設の機運は1994年、広島商工会議所が現地にドーム球場建設の「ネオひろしま構想」を発表して高まった。2002年にはドームを前提にした複合型球場建設に向けて日米企業体「チーム・エンティアム」と合意したものの、翌03年には事業化を断念。
 ところが04年、球界再編の動きが起き、広島を本拠地とするカープと他球団の統廃合が報道されるやいなや広島県民や市民、地元経済界は、球場建設の早期実現に向けて立ち上がった。
広島カープは市民が支えてきた歴史を持つ。敗戦と原爆のつめ跡が色濃く残る1950年、親会社を持たない球団として誕生。だが1年目から選手の給料さえも捻出できない資金難で解散の危機に陥ったことを知った市民の間で「カープを救え!」との声が上がった。本拠地だった広島総合球場に寄付を呼びかける四斗だるが置かれ、人々は身銭を樽に入れ、愛するカープに夢を託したのだ。
      
        ▲元祖たる募金('51年)と'04~'05たる募金  ▲CHEMISTRY堂珍嘉邦も参加
 2004年11月、広島の「たる募金」が復活した。老朽化の進む広島市民球場に代わる新球場の建設資金集めが目的だった。県内外の約1200か所に、たるや募金箱が置かれ、1年間で目標を上回る約1億2000万円が寄せられ、新球場建設の機運を高めた。現球場の全面改築か、現在の建設地への移転か、紆余曲折を経て、06年に一般公募によるコンペの末 総工費約90億円をかけた新球場建設が決定。
      
        ▲選考委員会(コンペ)の最終審査に残った4作品
 一般公募全20作品の中から、
  ・レフトスタンドが新幹線側に大きく開かれ、新幹線の乗客も球場の観客ととらえている
  ・いろいろな観戦スタイルを可能とするような工夫を凝らし、多彩な観客席
の内容が評価され、21世紀の新たな広島のシンボルとして、市民・県民が誇りの持てる球場にふさわしい提案であるとして、最優秀案は決定された。
      
        ▲選考委員会(コンペ)で最優秀案とされた作品
 昨年10月に着工したアメリカンスタイルのボールパークとなる新球場の特色として、左右対称でないことが挙げられる。カープファンでぎっしり埋まる予定の一塁からライトスタンドは、広く感じるが、レフト後方は少し低く感じる。「グラウンドの開放感、通風、街との一体感を確保するため」といわれている。
グラウンドの広さも立派なら、観客席(3万350席=立ち見、芝生等を除く固定席数)も大きく変身する。狭くて階段の段差がまちまちでつまずくシーンがよく見られた現球場に比べ、観客席は緩やかな傾斜で、全面バリアフリーになる予定。大リーグの球場並みの横幅50センチ、奥行き85センチを確保。「砂かぶり席」も、本塁後方の一塁、三塁側両方と一、三塁の内野席に設置して、選手と同じ目線で臨場感を楽しめる。
      
        ▲内野2階席前方のテラスシートでは、テーブルを囲んで観戦できる
 新球場は、外野席にいろいろな工夫が凝らされている。
カープファンで埋め尽くされるライトスタンドには、現市民球場と同様に観客が一体となって思いっきり応援できるパフォーマンスシートが設置される。
ライトポール際に3段式に並べられたテラス状の「びっくりテラス」と呼ばれる観戦スペースやライト後方のスタンド下には細長い窓から観戦できる「のぞきチューブ」があり、センター後方の2階席には、レジャーシートを広げて団体観戦ができる芝生席も設けてある。
レフトスタンド後方にはスポーツバーやパーティーフロアがあるほか、レフトスタンド下には「砂かぶり席」、さらに「ただ見エリア」という入場券なしでも観戦できるスペースまであるのだ。
      
        ▲ライト側パフォーマンスシートからの眺め
 1階観客席の最後部には球場を眺めながら周回できる幅12m(内野)~8m(外野)の広いコンコースがあり、売店やトイレ、授乳室などを配置し、試合のない日もイベントスペースとして活用できる。
新球場のコンセプトとして「いつでもだれでも試合がない日もコンコースからスタジアムを見ることができるのが理想」と思われるが、野球だけでなく、ちょっとしたコンサートもできる広いコンコースや、「ただ見エリア」の設置などはそのひとつ。
      
        ▲コンコースからはグラウンドを眺めながら、球場を周回することができる
 レフトスタンド後方から100メートルも離れていない所をJR山陽本線の電車が、その先には新幹線が走っている。球場の雰囲気、楽しさ、素晴らしさを新幹線などの車窓から感じ取れるロケーションは、広島の新しい顔にもなるだろう。
      
        ▲JR広島駅東側から見える夜景
 広島市は、新球場周辺の施設充実にも力を入れている。新球場をボールパークとしてとらえ、緑地作りやスポーツクラブなどの誘致を決めている。広島新球場が、広島駅周辺の再開発に果たす役割は大きい。かつての「復興のシンボル」は、ファンの思いを背負う「新たな発展のシンボル」に、その役割を変えようとしている。単なる施設でなく美しい街の一部として、そこにプレーヤーがいなくても、野球観戦の想像力がかき立てられるような球場作りを目指してほしい。
      
        ▲広島駅から東へ約1,000m、徒歩でいける新球場の正面エントランス
 広いフィールドでは、攻守ともにスピードが生命線となる。広い球場では、守りを固め、少ないチャンスを生かす野球が勝つ。すべての選手が次の塁を狙う意識を持つ、カープ伝統の機動力の復活が低迷脱出のカギになる。今季は、走塁と守備に力点を置き、東出・赤松・天谷といった俊足強肩の選手を並べ、昨年までとは違う戦いを繰り広げ善戦している。

 都市再生の起爆剤という使命を担う新球場。求められるのは、経営と野球の新たなスタイル。
真っさらなキャンバスに、球団とファンはどんな絵を描くのか・・・・カープ ファンの夢は、膨らむ。

ALL-INレディ 登場♪ 

2007-05-03 | 広島 カープ
 GWを前に、知人のキャンギャル梨沙嬢からメールが入った。「カープの生ビール飲み放題の仕事行ってきました(=^_^=)  新聞のしゅざいもあったよー(*´Д`) 」  いや~、こんな嬉しい企画をファンは待ち望んでいたんですよ!!
 GW突入とともに絶好調の広島カープ。5月9日の中日戦から、広島市民球場が楽しいビアガーデンに変身する。9月までの計32試合に内野2階指定席と生ビール飲み放題、弁当などをセットにしたチケットを販売。¥1,000で販売されるおつまみを購入すると、試合ごとに違ったコスチュームで登場するALL-INガールと笑顔で乾杯、記念のポラロイド写真撮影のサービスが付く♪
          
 年に何回かは広島市民球場へ親戚の子どもや職場の男女数名たちと足を運び、カープのレプリカ・ユニフォームを着て、ライトスタンドでメガホンを打ち鳴らす店長だが、同年代の友達と内野指定席でビールを浴びるほど飲みながら、“一緒に応援してくれるALL-INレディと鼻の下を伸ばして記念写真を撮る”な~んて姿も一興です。
広島カープのHPには、※試合日によりコスチュームおよびALL-INレディは異なります。 と、オジサンには嬉しい注意書きが載っています。
          
       ALL-INレディに囲まれご満悦のブラウン監督・・・おお~丸見えですがな(*´Д`)

 ちなみに今回メールで情報をくれた写真右から2人目の梨沙嬢の身長は172cm、スリーサイズはB-84、W-58、H-86。 彼女はミネラルウォータを片手に
  「(店長と)二人で並んで歩いてたら壁みたいじゃない?」
  「このジーンズ、チェジュ・ウ モデルなんですyo~」
などと、どうでもいい話題を喋りながらパイングミをムシャムシャ食べてるおバカな姿と屈託無い笑顔が印象的な娘だ。

 5月10日(木)対中日戦は、「RCCラジオデー」としてカープ初優勝時に実況を務めた上野隆紘氏(元RCCアナウンサー)による始球式や、RCC女性アナウンサーによるホームランガールの登場も予定されてます。当日、場内ではミニFM中継での応援放送も行なわれるので、FMラジオを持って観戦するとより楽しめる。また昭和30年から各時代のRCCラジオ野球実況放送の一部を場内で放送する“「ラジオの歴史」プロ野球放送 ”も予定され、ラジオ&プロ野球ファンには堪らない企画です♪

 この日は仕事をサボって、市民球場でラジオ片手に、ビールを飲みまくり、ALL-INレディと記念写真撮って・・・などと、楽しい妄想が膨らみます。
いずれにしても野球にビールにコスプレと、いったい何を楽しんでいいのやら、目のやり場に困ってしまうウレシイ企画がはじまります。

広島 カープ、新 ユニフォーム 栄光のロゴが復活!

2007-01-26 | 広島 カープ
 広島東洋カープは1月19日、ビジター用の新ユニホームを発表した。グレーの地に赤の縦縞と袖は変わらないが、胸マークの「HIROSHIMA」のロゴが「Hiroshima」の筆記体になり、袖には白地に赤文字で刺しゅうされた「ALL-IN」ワッペンをつける。

     
  【写真・左】今シーズンから復活する栄光のロゴ 【写真・右】従来のロゴ
 懐かしいユニホームが復活する。胸マークと袖ワッペンの変更というマイナーチェンジであるが、生まれたときからのカープファンであり、分野こそ違うがIT&デザイン関連の仕事に携わる、この分野ではプロの端くれの店長としては、「18年間待ちに待ち続けた復活」なのだ。
 専門的な話は省くが、Hiroshimaのアルファベット文字を表現した場合にこのフォントは、最も躍動感と纏まり、力強さを表現した人間工学的に言うと『視覚誘導に優れた機能美』をもつ。
このビジター用ユニフォームの新ロゴは、1973年から88年まで使用されたスタイルで、その間のチームは1975年の初優勝をはじめとするリーグ優勝5回、日本一3回の黄金時代を飾った、いわば“吉兆ユニホーム”のロゴタイプであり、筆記体に戻るということに大きな意義がある。

 広島カープは昔からメジャーリーグのユニホームのエッセンスを取り入れたスタイルを導入してきた。

 '58年、レッドソックスを参考にした白地に赤と紺を組合わせたユニフォームが登場。当初ビジター用はグレーに紺一色でHIROSHIMAとゴシック系で胸ロゴが入っていた。60年にビジター用をドジャース型に変更し、今回とほぼ同じ書体を最初に採用している。ただしそのときは、「Hiroshima」ではなく「Hirosima」、つまりsとiの間のhを抜いたローマ字表記だった。

     

 その後'63~'72年の10年間は、紺(濃いターコイズブルー)一色の地味なユニフォームの時代を過ごした。カラーテレビの普及に伴ない、テレビ映えするようにと'71~72年の2年間は紺の周りにオレンジの縁取りが施されたが、渋い雰囲気は変わらなかったようだ。

     

 73年にクリーブランド・インディアンスを手本に、帽子のマークをHから横長のCに、またユニホームも紺を基調として赤をアクセントにしたニットのプルオーバー&ベルトレスタイプへと、大幅なモデルチェンジを行なった。しかしながら73、74年ともにダントツの最下位。3年間で3名の監督交代という前代未聞の状況・・・。

     

 現状打破の切り札としてジョー・ルーツにチームを任せたのは、75年のことだった。
ルーツはインディアンスのコーチだった72年、米国アリゾナでキャンプを張った広島ナインを指導したことが縁で、監督就任の前年にコーチとして来日。チームを「ファミリー」と呼び、キャンプでは実戦を想定した合理的で効率のいい練習を徹底する一方で、衣笠祥雄の三塁コンバート、主力投手を含めた大型トレードなどを断行。日本球界初の大リーグ出身監督が手掛けたのは、負け犬根性を一掃し、勝利への情熱を植え付ける意識革命。「冒険野球」を掲げて選手を鼓舞する姿は、昨年からカープの指揮をとるブラウン監督同様、あきらめムードのカープファンにも新しい広島カープの誕生を予感させた。

    
  【写真・左】初優勝のロゴ 73~76年 【写真・右】77~88年 日本一3回のロゴ
 75年、日本初の外国人監督ルーツ監督の就任とともに球団と選手の意識改革のシンボルとして帽子を日本球界で初めて「赤」に変更、快進撃を見せたが、15試合で審判・フロントと衝突して辞任。
 その後を引き継いだ古葉監督により万年最下位のカープが県民・ファンの熱い熱狂とともに悲願の球団創設初優勝を遂げ、以後カープは赤ヘル軍団と呼ばれ、常勝チームとなる黄金時代の幕開けとなった。

 89年、山本浩二監督の誕生と同時に、16年間使われた「Hiroshima」の筆記体ロゴは廃止され、左胸にはシンシナチ レッズを意識した「C」マークとCARPの文字がデザインされたユニホームにモデルチェンジ。91年最後のリーグ優勝を果たしたものの、93年には74年以来19年ぶりとなる最下位に転落、山本監督は辞任。94年からは三村監督が就任、翌95年にモデルチェンジしたユニホームは60年代から70年代前半に使われていた「HIROSHIMA」の花文字タイプのロゴが復活。さらに01年の第2次山本政権誕生とともに現行のユニホームが誕生したが、チームは長期低迷から脱していない。

     
          【写真・左】89~94年 【写真・右】95~00年

 カープは昨年、ビジターの試合では25勝47敗1分けと大きく負け越した。37勝32敗4分けと勝ち越したホームの成績と比較して、悲惨なものだった。ビジターでは96年に33勝32敗を記録して以来、10年間勝ち越しがない。さらに91年のリーグ優勝を最後に、16年間優勝から遠ざかっている。
 遠征先の勝敗を何とかしたい。球団関係者と現場が必死になって考えた打開策第1弾が、遠征用ユニホームのロゴを、強き時代のものに戻そうというもの。

 逆指名制度  FA制度  他球団への選手流失  球界再編  チームの危機

 財政難  苦悩する球団フロント  選手  勝ちたい  優勝を願うファン  

 青い目の監督  立ち上がった選手  チームを救え  樽募金 新球場

 野球への思い  選手が  ファンが  フロントが 

 ALL-IN   優勝に賭ける思いに  一つになった

 「広島カープ 復活へのスライディング」 が、今年 始動する

広島カープ “漢(おとこ)”黒田投手、残留を表明 FA宣言せず

2006-11-06 | 広島 カープ
 去就が注目されていた広島の黒田博樹投手(31)は6日、FA権を行使せず残留すると表明した。FAを宣言して阪神への移籍が濃厚とみられていたが、熟考の末に前日5日夜に決断し、球団に伝えた。

 4年12億円(出来高含む)の球団史上最高条件で契約を更改。また来季以降に契約を破棄してメジャー挑戦も可能な条項が加えられたが、国内では今後も他球団に移籍せず広島のために働く覚悟を示した。

          

 記者会見に現れた黒田投手に苦渋に満ちた表情は、もうなかった。
悩みぬいた末に黒田は決断を下した。広島市内のホテルでの会見。FA宣言せずに残留することを表明した。
 「僕はカープに育ててもらった。そのチーム相手にめいっぱいボールを投げ込める自信がなかった。プロじゃないと言われるかもしれないけど…。最終的にはほかのユニホームを着る自分が想像できなかった」

 黒田投手は入団十年目の今年五月、移籍先を自由に選択できるFA権を取得。二年連続でタイトルも獲得したリーグを代表する投手として、阪神やソフトバンクのほか、米大リーグの数球団がFAの動向に関心を示していた。
心は揺れ動いた。FA宣言する方向に傾いた時期が「確かにあった」という。その場合は、阪神への移籍が有力だった。自問自答しながら5日夜、黒田はカープへの思いを選択した。
「カープで強いチームを倒すことを一番の目標でやってきた。簡単に優勝できるチームに入って、それでモチベーションを保てるのか、と」。

          

 残留への決め手となったのは、背番号「15」のボードで真っ赤に染まったスタンドだった。「残留を願う気持ちを伝えよう」と、阪神、中日最終戦(十月十四、十六日)の二試合で、約四万人のファンが広島市民球場に駆け付けた。
 「このファンと一体になって戦ってみたい。今一番大事なのは、そういう気持ちではないか」
 「ファンの大声援…。判断材料の一つと言ったが、最後はそれが一番大きかった」
と振り返り、黒田は笑顔で語った。

 記者からの質問に彼は答えた。

―金銭や戦力面では、他球団と比べて恐らく好条件ではないでしょう。
 「カープだから(勝てない)と言われるのは悔しかった。カープでもできる、どこへ出ても恥ずかしくない成績を残す、という気持ちで常にやってきた。強い球団を倒すのが生きがい。地方球団に、そんな選手がいてもいいんじゃないか。」

―今の心境は。
 「自分の気持ちに正直に決断でき、すっきりしている。ようやく野球に集中できる。選手としては、満員の球場でプレーできることが何よりうれしい。今季の最終戦、ファンが僕に期待をさせてくれた。来季、どこで野球をしたいか。マウンドに立つならどこのチームなのか。それがカープでした」

          

 ボクは、今日の感動を忘れない。これほどまでに「純情」を貫いた黒田投手、本当の“漢(おとこ)”である!

 黒田投手の決断はカープとファンによるキャッチボールの始まりである。11月6日。誰もが久しく忘れていたカープへの誇りを感じただろう。不思議なほど自信と勇気を与えられ、感激した人も少なくないはずだ。そんなファンの思いこそ黒田投手が求める価値観だった。

 彼が言う「カープへの愛着」は、強い責任感にほかならない。カープを相手に投げる姿が想像できなかったという言葉は、カープを支えている自負心であり、カープで勝ちたい心からの叫びである。個人主義に走れない性格が、FA移籍の選択肢を消した。

 移籍を恐れて動いたファンの熱意はエースの心を動かした。「ファンは僕のことをどれぐらい必要としているのか、知りたい」。ファンにとっては「FAの悲哀を再び味わいたくない思い」「黒田抜きではもっと勝てなくなる思い」もあった。残留を願いファンが球場に詰めかけた十月の2試合の光景は、後の伝説になるであろう広島の財産である。

 積極的ではなくても黒田投手は大リーグへの気持ちを初めて公にした。来季以降、その意志がどう動くか分からない。明快なのは彼自身に成績へのプレッシャーが増し、残留に誠意を尽くした球団も強化策への本気度が試されることだろう。ファンにも心地よい緊張感が必要だ。

 おとこ気のある決断は、球団にもファンにも確かな自信をもたらした。

広島市民球場には22940人が“集結”、ファン絶叫…黒田よ残ってくれ!

2006-10-15 | 広島 カープ
 FA権を取得し去就が注目されている広島・黒田博樹投手(31)のチーム残留を願うファン22,940人が、10/14(土)対阪神戦の行なわれた広島市民球場に集まり、熱い思いを伝えた。

 10月中旬の消化試合としては異例試合の人数だ。開始前、私設応援団が右翼席のファンに配った6000枚の赤いカードが一斉に掲げられた。4メートル四方のメッセージフラッグや巨大横断幕も初登場した。巨大横断幕には、我らファンの偽らざる気持ちを見事に表現したメッセージが書かれていた。

   我々は共に闘ってきた  
   今までもこれからも・・・  
   未来へ輝くその日まで  
   君が涙を流すなら  
    君の涙になってやる   
   Carpのエース黒田博樹   

     全国広島東洋カープ私設応援団連盟

          

 二回裏終了後だった。残留の願いを込めて、応援団は行動に出た。黒田投手がベンチを出てブルペンへ向かうときだ。黒田はファンの声援を全身で浴びた。7回表が始まる前「黒田!」の大合唱が起きた。
試合開始前、三回表後、六回裏の後、八回裏後…そして試合終了後。残留へのメッセージを込めた大小の旗が振られた。そして、赤いボードをファンの一人一人が握り締めて高く掲げ、絶叫した。

 全国広島東洋カープ私設応援団連盟会長も、「最低限のことはしたかった。金本(現 阪神)が移籍したときは何もできなかった。8月末から週末を使って準備してきました。この熱情は見てくれたはず。応援合戦はあるけど、こういうことをするのは初めてです」と祈るように話す。
 広島カープは財政的には恵まれない、弱小球団だ。どこかの球団と違って、選手を育て上げるのは以前から定評がある。その代わりに年俸が高くなると、他球団に選手が流出してしまうのも仕方のないことだ。選手一人にに3億や5億の報酬は支払えない。
今季、阪神の3・4番、シーツも金本も元広島の主力選手だった。
金の有るところが戦力を集め、いい成績を出してまた金を寄せる・・・自由経済であるが故に仕方の無いところだが、巨人に代表されるように大金で集められた実績ある選手は、一概にいい成績を残せなくなってきた。だからプロ野球は面白い。
視点を変えれば、仮に黒田投手が抜けた後の広島カープは戦力ダウンをどう若手の台頭・新戦力で補うかも、「プロ野球」をマクロで考えた場合、興味深いポイントでもある。

 FA問題はこの日も白紙を強調した黒田投手。 エースもファンの気持ちはよく分かっている。「(今後の)判断材料に入ってくると思う。ブルペンからもよく聞こえたし、よく見えました。伝わるものがあった」。
今季、FA権を取得し、行使は決定的。阪神、巨人などが調査に乗りだしている。阪神が「4年13億円」の好条件でアタックを検討していることが、明らかになった。同投手はシーズン終了後に結論を出すが、FA宣言に踏み切れば阪神は全力で獲得に向かう方針。02年オフにオファーした金本の総額4年12億円を超える条件で争奪戦を勝ち抜く構えだ。
 広島もエースの残留に全力を注ぐ。ブラウン監督もこれまでに何度か残留交渉を行ってきた。フロントもシーズン終了後には本格的に交渉を開始する。過去、川口(巨人)、金本(阪神)、江藤(巨人)らには認めてこなかったFA権行使後の残留を認める方向へ、球団方針も転換した。
 「実力はもちろんだが、精神的にもチームの中心。09年に完成する新球場のマウンドにも上がってほしい」と広島球団関係者。選手会長であり、投手のキャプテンも務める黒田が流出するとなれば、大きな痛手となる。


その中で、この日の応援団やファンの行動は、黒田の身の振り方を決める一つの要因になるだろう。

ここは「男、黒田博樹の心意気」に賭けるしかない。
我ら赤ヘル・ファンの気持ちをどう受け止めるかは、彼次第なのである。

カープ本拠地、広島新球場の計画設計案 決定~!

2006-10-12 | 広島 カープ
 広島市は10月2日、老朽化の激しい広島市民球場(中区)に代わる新球場の設計案コンペの当選作品を発表した。やっとここまでたどり着いた。しかし困難はむしろこれからだ。厳しさを承知の上で、広島が踏み出した夢である。二〇〇九年春の完成に向け一つずつ乗り越える第一歩を踏み出した。 

          

 当選作品は、Ω型をした屋根のうねりが躍動するコイを表現しており、レフトスタンド側が大きく開け、球場北側の新幹線の乗客からもグラウンドが見えるユニークな球場。多様な観客席が用意されているのも特徴だ。広島駅から続く通路は、段差なしに球場を周回する広いコンコースにつながる。パフォーマンスシートや、パーティーしながら観戦できるパーティーフロア、選手のベンチと同じ高さで迫力満点の「砂かぶり席」など計3万500席。運動しながら観戦できる世界初のフィットネス観客席も。周辺に商業施設などを設置、試合のない日もにぎわうよう工夫されている。天然芝のオープン球場で、事業費は89・1億円。

 なお決定に先立ち9月28日、市民の見守る中、1次選考で20作品の中から選ばれた4作品の考案者による公開プレゼンテーションが行なわれた。

第①案:緑の丘・ビッグマウント「丘の上に新しいシンボルとなるような光の輪が私達のデザインのテーマです」

          

○ヤード跡地周辺を緑の丘として整備して、その上に楕円形の球場建設
○球場上部を1周する光のリングは、普段は半透明で様々な光の演出が可能
 (赤く光らせることも可能、うっすらと浮かび上がる「HIROSHIMA TOYO CARP」のロゴ)
○1塁側の2階席は、フィールドに向かってせり出している
○外野席の最前列はフィールドから30センチの高さ(当然フェンスはあるが)
○球場1周するカフェテリア、VIP席の計画もありそう
●ただし、光るリングを稼働させるための費用は90億には盛り込まれていない

*堅実だがイマイチ面白みがなく、他の3案と比べると魅力の点で劣る。
*シースルー席はいいアイデアだがこれはどの案にも流用できうる。

第②案:ダイナミックボールタウン 「シンボルは、すなわち鯉の躍動です」

          

○真上から見ると、カープのシンボル、鯉が泳ぐ姿をイメージしている。
○スタンドは1塁側をかなり大きく取ったデザイン
○さまざまなタイプのシートを提案
(内野にはグラウンドと同じ目線の砂かぶり席、外野の一部にはカフェテリアやパーティーエリア、テラスを設置)
○内野席のコンコースはかなり大きい、大リーグ並
○スポーツジムも併設
○提案者は野球をとことん楽しむための球場とアピール
●課題は運営面

  外野1F席6000、2F席3000
  内野1F席14000、内野2F席7000
*レフト席がほとんどないので現状だけを考えるなら阪神戦で困りそうだが、ビジターの皆さんは内野3塁側にでも行って頂こう。
*形状は基本的に初期エンティ案に丸みを持たせた感じ。稼動用に10mの余白をもたせてある。内野2F席のカバー部分の最後部で30m、西日対策か? 尚、この案だけがグランド軸が理想に近い南北方向、他は東西方向。
*屋根は球場外部に覆い被せる可動式、ヤードの形状に合せ西側が三角、東側が平行四辺形。

第③案:野球場からボールパークへ 「市民共有球場です、開放的で楽しめる球場を目指しました」

          

○特徴は外野近くにあるボールの形をした建物、その名も「ボールレストラン」、球場のシンボルであり1年中営業する。
○ボールレストランは84席、その他球場内のスイートルーム:10席、フィールドシート:1084席、VIPルーム(キャッチャーの真後ろ):定員10名
○内野の2階スタンドは宙に浮いたような構造
○外壁は6角形を組み合わせた構造で、そこにカープや企業のPRを流すことができる。
○バックスクリーンの裏には芝生シアターを設置、試合がない日でもさまざまなイベントを開催可能
●2階内野席が宙に浮くので、一体感に欠けるとの指摘あり

  内野1F19000、2F5000、外野5000、芝生1000(レフトの半分)
*上の画像の左下でわかるように完全な円形。2階席の裏側をハニカム構造のスクリーンにするという奇抜なもの。
*委員は1F席との一体感を気にしていたが、コンコースの階層が複雑で、屋根としても機能しそう。またBOX席はネット裏、内野両翼に設置。
*VIP用の他、家族が記念日に使えるよう一般開放するBOX席も設置。席のすぐ裏側が飲食設備になっておりケイタリングを実施。あと座席にも非常に気を配っていた。ただ、座席配分がよくわからないし、ちょっと問題。
*球形レストランはなくてもよかろう、これは蛇足っぽい。
*内野の桟敷席の横にブルペンがある。屋根は固定式だが、一体感のあるハムカム構造で透明な特殊樹脂で作られる模様。屋根自体は固定だが、パネル一つ一つが稼動するのか?一部のハニカムパネルは密閉はせず通風させるらしい。

第④案:カープフラッグスタジアム 「水の都広島に、よそにはないアミューズメント施設を作ることを目指しました」

          

○水の流れや波をイメージしたプランです。
○球場を覆う波のようなデザインは、「カープウェーブ」と呼びます。
○セールスポイントは、グラウンドの近くで観戦できること。2万5千席以上を確保しました(つーことは2階席は5千くらいかな?)
○さらに飲食施設を多く設置して、女性やお年寄りなど幅広い観客を集める。
○グループ席や親子席など、さまざまなタイプの席を提案します。
●他にアピールする点はないが、まあソツのない球場つー感じ、予算内でカープの要望をストレートに反映させた球場って感じかな。

  内野1F16000、内野2F5000、外野9000。
*バックスクリーン周辺が芝席で両翼が非対称でまんま翼のように広がっている。委員からはしきりとミッキーマウスのようと評されていた。
*③案に対して細かい質問が多かったのに比べ、単なる感想と抽象的なことばかり話していた。
*屋根についての説明は殆どなし。図をみてもよくわからなかった。

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<店長の辛辣・コメント>

第①案・・・ビッグアーチみたいで空撮するときれいだが近くに行くと棒だらけ、・・ったく!
第③案・・・第①案と同様。福岡系斬新派。サッカー的・・・ふざけるな!
第④案・・・宮城フルキャストのパクリ。屋根もない。ホントにミッキーマウスだ・・・なめてんのか!

 第②案・・・やはり、なんてったって第②案である! 
建物の中にいろいろ店が出せる。新幹線へのアピールで集客効果抜群。一見斬新に見えるが実は球場自体シンプル。鯉の形をしていて、遊び心もしっつかりあり、カッコいいし愛着が湧きそうな雰囲気。まさに広島人的なフィールド・オブ・ドリームじゃ。


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新幹線でUSJに行く家族のこんな光景が目に浮かぶ・・・・
 車内アナウンス 「次は広島~」
 息子 「ん?なんだありゃ?新井がホームラン打ったぞー!すげー広島」
 娘  「ママ連れってって」
 ママ 「しょうががないわね」
 パパ 「じゃあ予定を変更して広島にするか!」

 やっぱ球場で一番大事なのは安い席でも高い席でもその一人一人が満足して、リラックスでき、またも一度足運ぼうと思わせる工夫、そのあたりの各案の設計の違いも知りたかったですけどね。最低一人当たりのスペースは決められてるでしょうけど、グランドを見渡して見やすく、すばらしいと思える球場(経験上メジャー球場、エンジェルスタジアム等)もあれば、やけに遠くて視界も悪いという既存の日本の球場の違いと言うものは確実にあって、そのあたりがどう反映されてるのか単純に興味が湧きますね。 (簡単な設計図で見てわかるようなものじゃないと勝手に思ってますが。)
今回最優秀作品に決定した第2案のプレゼンしてた人が、球場によく足を運んでいて野球好きだということも聞いたので、そのあたりも大いに期待したいと思います。

 なおこの新球場が完成した暁のオープニングセレモニーでは、広島出身のアーティストによるセットリストを次の通りを予定しています。

 1.君が代 (矢沢永吉)
 2.燃える赤ヘル僕らのカープ (ポルノグラフティ)
 3.Baseball Kids(浜田省吾)
 4.勝て勝てカープ (奥田民夫)
 5.ヤングマン (西城秀樹)
 6.それ行けカープ (3万5千人の観衆全員で大合唱)
 (司会・進行) 城みちる、アンガールズ 

 ワシらみんなで、やっちゃるけんのぅ!