ともかく2008年を振り返ってみる。個人的には,職場が変わったことが最大のイベントだろう。前半は,つくばと東京で週3日授業があった。また,新たに担当する科目の準備にかなり時間を費やした。特に「統計学」。商学・経営学を学ぶ者が最低限習得しておくべき統計学とは何かを模索しながらの1年だった。「入門」を考えることは,いかに奥深いことかと思う。
今年の冒頭には「クリエイティブ・マーケティング元年」などとブログで宣言したが,実際行った授業は65点ぐらいの出来栄えだろうか。かろうじて及第点にしたのは,後期に行った優れた実務家のゲストスピーチに助けられたからである。新しいアイデアの生成や起業家的マーケティングなど,当初カバーしようと思っていたテーマを盛り込むことができなかった。
ここ数年,いまの時期は修論や卒論の提出間際で慌ただしかったが,その一部がその後の研究につながっていく楽しみもあった。実際,今年 MASコンペに出したアフィリエイト広告のモデルや,バンクーバーやワルシャワで発表したクチコミ伝播のシミュレーションは,学生たちとのコラボの成果であった。いつかまた,そのような機会が巡ってくるだろうか…。
今年は研究上価値あるデータが蓄積された年でもあった。「サービス」の顧客調査は2回目まで進んだ。本来は教育用に開発されたデータだが,研究でも成果を出したいと願っている。森,岡平,馬場,高階の各氏と行った iPhone 3G 普及プロセスの実証研究は,11月に学会発表したものの,まだ掘り起こされていない情報がたっぷり残っている。
世のなかについていえば,トヨタが70年ぶりに赤字に転落するというニュースが衝撃的であった。世界と日本の経済がここまで急速に悪化すると予測していた人は,今年の前半にはそうはいなかったはずだ。こういう大きな問題は,マーケティングやマネジメントの研究者に出る幕はなく,餅は餅屋,マクロ経済学者の見解に耳を傾けるべきだろう。
戦後,日本の経済学を率いてきた小宮隆太郎氏の日経「私の履歴書」が,今日で最終回を迎えた。数々の政策提言を行ってきた小宮氏なので,最終回に,「百年に一度」「未ゾウユウ」(麻生首相)の事態への診断と処方箋が示されるかと期待したが,残念ながらそれはなかった。それは後進に残された宿題ということか。
いま批判の矢面に立たされている小泉政権の時代,竹中平蔵氏にを筆頭に,少なからぬ経済学者が政権へ参画した。標準的な経済学の立場からすれば,規制緩和や民営化は全面的に歓迎すべきことだったが,最近ではそうした「改革」に協力した有名な経済学者が「懺悔」を表明して,話題を呼んでいる。いろいろ考えさせられる出来事だ。
あとで誤りに気づいたら,率直に反省するのが美徳である。ただし,いったん抱いた信念を逆風にめげず,やせ我慢して貫くこともまた美徳である。集合知のメカニズムが,社会のなかで起きる弁証法だとしたら,極論にこだわる個人が何人かいることが社会的に望ましい。特に有識者には,そのことが期待されているのではないか。
変転する時代だからこそ,時流に流されず,一貫した主張を行う研究者に価値がある。そこで思い浮かぶのが岩井克人氏だ。彼は『不均衡動学』以来,市場メカニズムが有効に働くのは,社会的・認知的な制約がある場合であることを主張している。「すぐに役立つ」経済学を志向していないが,それが真に役立つことが,いまになってはっきりしたように思える。
自分の話に戻そう。社会や経済についてはもちろん,消費者行動についても確からしいことが何もいえそうにない時代だからこそ,それについて語ろうとする者は,思考を鍛えられる時代だといえる。藤本隆宏氏は,不況の時代こそ企業の能力構築が問われると語っているが,社会や経済に関する研究者もまた,その能力構築が問われている。
…という話を一般論で終わらせないことが,自分自身の「最後の」能力構築競争である。来年こそと,今年もまた思う。だが,確実に残された期間は減ってきている。そのことの自覚だけは,はっきりとある。
今年の冒頭には「クリエイティブ・マーケティング元年」などとブログで宣言したが,実際行った授業は65点ぐらいの出来栄えだろうか。かろうじて及第点にしたのは,後期に行った優れた実務家のゲストスピーチに助けられたからである。新しいアイデアの生成や起業家的マーケティングなど,当初カバーしようと思っていたテーマを盛り込むことができなかった。
ここ数年,いまの時期は修論や卒論の提出間際で慌ただしかったが,その一部がその後の研究につながっていく楽しみもあった。実際,今年 MASコンペに出したアフィリエイト広告のモデルや,バンクーバーやワルシャワで発表したクチコミ伝播のシミュレーションは,学生たちとのコラボの成果であった。いつかまた,そのような機会が巡ってくるだろうか…。
今年は研究上価値あるデータが蓄積された年でもあった。「サービス」の顧客調査は2回目まで進んだ。本来は教育用に開発されたデータだが,研究でも成果を出したいと願っている。森,岡平,馬場,高階の各氏と行った iPhone 3G 普及プロセスの実証研究は,11月に学会発表したものの,まだ掘り起こされていない情報がたっぷり残っている。
世のなかについていえば,トヨタが70年ぶりに赤字に転落するというニュースが衝撃的であった。世界と日本の経済がここまで急速に悪化すると予測していた人は,今年の前半にはそうはいなかったはずだ。こういう大きな問題は,マーケティングやマネジメントの研究者に出る幕はなく,餅は餅屋,マクロ経済学者の見解に耳を傾けるべきだろう。
戦後,日本の経済学を率いてきた小宮隆太郎氏の日経「私の履歴書」が,今日で最終回を迎えた。数々の政策提言を行ってきた小宮氏なので,最終回に,「百年に一度」「未ゾウユウ」(麻生首相)の事態への診断と処方箋が示されるかと期待したが,残念ながらそれはなかった。それは後進に残された宿題ということか。
いま批判の矢面に立たされている小泉政権の時代,竹中平蔵氏にを筆頭に,少なからぬ経済学者が政権へ参画した。標準的な経済学の立場からすれば,規制緩和や民営化は全面的に歓迎すべきことだったが,最近ではそうした「改革」に協力した有名な経済学者が「懺悔」を表明して,話題を呼んでいる。いろいろ考えさせられる出来事だ。
あとで誤りに気づいたら,率直に反省するのが美徳である。ただし,いったん抱いた信念を逆風にめげず,やせ我慢して貫くこともまた美徳である。集合知のメカニズムが,社会のなかで起きる弁証法だとしたら,極論にこだわる個人が何人かいることが社会的に望ましい。特に有識者には,そのことが期待されているのではないか。
変転する時代だからこそ,時流に流されず,一貫した主張を行う研究者に価値がある。そこで思い浮かぶのが岩井克人氏だ。彼は『不均衡動学』以来,市場メカニズムが有効に働くのは,社会的・認知的な制約がある場合であることを主張している。「すぐに役立つ」経済学を志向していないが,それが真に役立つことが,いまになってはっきりしたように思える。
不均衡動学の理論 (モダン・エコノミックス)岩井 克人岩波書店このアイテムの詳細を見る |
Disequilibrium Dynamics (Cowles Foundation Monograph)Yale University Pressこのアイテムの詳細を見る |
自分の話に戻そう。社会や経済についてはもちろん,消費者行動についても確からしいことが何もいえそうにない時代だからこそ,それについて語ろうとする者は,思考を鍛えられる時代だといえる。藤本隆宏氏は,不況の時代こそ企業の能力構築が問われると語っているが,社会や経済に関する研究者もまた,その能力構築が問われている。
…という話を一般論で終わらせないことが,自分自身の「最後の」能力構築競争である。来年こそと,今年もまた思う。だが,確実に残された期間は減ってきている。そのことの自覚だけは,はっきりとある。