Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

ソーシャルメディア研究WS@湯村

2012-03-30 15:20:07 | Weblog
3 月 27〜29 日は「ソーシャルメディア研究ワークショップ2012」に参加した。昨年は鳥取大学で行ったが,今年は鳥取駅から約1時間の場所にある兵庫県北部の湯村温泉で行った。夢千代日記の舞台になった歴史のある温泉地である。以下は初日の風景・・・まだ全員は揃っていない。



マーケティング,社会学,社会心理学,情報工学,物理学といった異分野の研究者と実務家が集まり,ソーシャルメディア研究の交流をしようという趣旨だが,果たしてそこから有意義な対話が生まれただろうか・・・以下ではぼくなりのいささか偏ったまとめを試みる(以下敬称略)。

昨年のワークショップの宿題の1つは,ソーシャルメディアにおける情報伝播と影響の区別であった。最初に登壇した水野(明大)は,ワッツが火付け役となったインフルエンサー論争をレビューし,論点を整理しつつ今後の研究構想について語った。具体的成果を伴っていないのが彼らしい。

逆に非常に具体的な情報伝播の事例を報告したのが安田(関大)である。東日本大震災直後に起きたコスモ石油に関するデマツイートの拡散と収束のプロセスが分析される。本人のフォロワー数やフォロワーのフォロワー数の多い少数の人物が多大な影響を及ばしたことが可視化されている。

だが,こうした「インフルエンサー」は必ずしも高い専門知識を持つわけではなく,オピニオンリーダーとしての条件を満たしていない。では,彼らはどういう人々なのか。データをつぶさに分析していくことで,ソーシャルメディア上の情報と影響の伝播の実態が見えてくると期待される。

ソーシャルメディア上の情報伝播は,受け手に選択(受容)されることで起きる。では,受け手はウェブ上で発信された他者の情報をどのような場合に信頼するのだろうか。澁谷(東北大)はこれをある種の推論とみなし,肯定-否定情報の混合という要因を加えた統制実験を行っている。

一方,池田(東大)は社会心理学の立場から,山岸俊男の信頼,安心,互酬といった概念に基づきソーシャルメディアの情報に対する態度を研究している。さらには SNS 上のソーシャルアドの効果分析も紹介されたが,そこでは具体的な人間関係に基づく信頼が重要な役割を演じている。

ソーシャルメディア上の情報への信頼形成は,武田(NII)が報告した Wikipedia 上の「議論の質」を予測する問題とも通底する。こうした「集合知」の研究に政治学における討論型世論調査の研究が役立ちそうだという助言が得られるあたりに,学際的なワークショップの価値がある。

心理的な要素が重要なのは,戸谷(同志社)が報告した寄付マーケティングもそうだろう。もしそれがソーシャルメディアを利用する方向に進むのなら,寄付行為を社会性のなかで捉える必要がある。まさに『ドラゴンフライ・エフェクト』で取り扱われているテーマである。

以上の発表はソーシャルメディアに対する個々のユーザの心理や意思決定プロセスに関連しているが,そこはブラックボックス化して,集計量としてのクチコミを分析するアプローチもあり得る。石井,新垣(いずれも鳥取大)の「ヒットの数理モデル」関連の研究がまさにそうだ。

映画の観客動員数とブログ投稿量の関係は比較的安定している。また,ポジティブな内容とネガティブな内容の比率は平均的に一定だという。こうしたことが多くの財についていえるなら,ブログ投稿量というマクロな変数に分析を集中させることで,かなりのことがわかるはずだ。

吉田(デジハリ)はブランドに対するネット上のクチコミが 3.11 を契機にいかに変容したかを指摘する。浅野(ホットリンク)はソーシャルメディアからの「傾聴」を本格的に始めているビジネスの最前線の様子を,福田(鳥取県)は地方自治体での取り組みを紹介する。

今後ソーシャルメディアのデータが購買データ紐づけられると,ネット・クチコミが消費行動に及ぼす影響をミクロレベルで分析できるようになる。だが現状では問題が多く,藤居(東急エージェンシー)のように,パネルが自己申告したネットワーク特性に依拠して分析するのが現実的だ。

ミクロからマクロ,またその逆の相互作用について,データや実験から解明できる範囲は限られる。松本(鳥取大)の報告のように,マルチエージェント・シミュレーションは今後もっと利用されていいはずである。いうまでもなく実証性をどこでどう担保するかが難問として残っている。

・・・ということで,今回のワークショップでもソーシャルメディアに関する様々な研究の現状を概観できて有意義であった。それらは簡単に交わることはないが,研究者どうしが交流を深めことがまず先決で,そこから今後何かが生まれてくるのではないかと期待したい。次回が楽しみだ。
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岩井克人氏講演会@明大

2012-03-24 09:40:13 | Weblog
3月21日に明治大学リバティタワーで岩井克人先生の講演会が開かれた。直前にそのことを知り何はともあれ聴講した。演題は「自由放任主義の第二の終焉―不均衡動学再説―」(この講演に関連する詳しい論文はここからダウンロード可能)。主催は「ポスト・ケインズ派経済学研究会」。

副題にあるように,岩井先生の議論は,基本的に1981年に出版された Disequilibrium Dynamics に立脚している。そこで主張されたのは,資本主義を「純粋化」すると経済の不安定性が増すということだ。現下のグローバル資本主義の拡大がそれを促進していると岩井先生は危惧する。

なぜそうなるのか。一言でいえば,資本主義とは本質的に「投機」に基づくシステムだからである。もっとも,新古典派を代表する経済学者のフリードマンにいわせれば,安いときに買って高いときに売る投機は経済を安定させる。逆のことをする投機家は市場で淘汰されてしまうはずだ。

しかし,これはモノを対象にした牧歌的な市場の話だと岩井先生は一蹴する。これに対してケインズは,プロの投機家たちが相互に予想し合ってしのぎを削る金融市場を研究対象にした。彼のアイデアを端的に示すのが『一般理論』12章に登場する,あの有名な「美人投票」の喩えである。

これがふつうの美人コンテストと違うのは,最も得票数が多かった候補に投票した者が勝者になることである。したがって,多くの人々が誰に投票するかを予想して「勝ち馬に乗る」ことが必要となる。そして,他の投機家も同じ予想をしていることを予想して意思決定しなくてはならない。

そして,さらにそのことを他者が予想し・・・とこの自己循環は無限に続く。「美のイデア」とは無関係に「美人とは美人だといわれているもの」にすぎない,と岩井先生は喝破する。こうしたメカニズムが働くとき,予想のゆらぎによってバブルもパニックも生じ得る。不安定性が発現する。

上述のストーリーで,投機家たちは極めて「合理的に」行動している。にもかかわらず,というよりそれ故に,市場は「非合理な」振る舞いを見せることになる。この点が,個人の非合理性(限定合理性)を出発点にした行動経済学とは違うと岩井先生はいう(行動経済学の意義も認めつつ)。

さて,話はここで終わらない。貨幣の存在が不安定性に拍車をかける。なぜなら貨幣は投機の純粋形態だからである。貨幣は,他人が貨幣として受け取ることを予想しているから貨幣になる(価値の社会性)。他の人もそれを予想しており,そのことをさらに・・・と無限の連鎖が始まる。

似たようなことは見込み生産される消費財にも当てはまるが,それらはいつか必ず実需,あるいは消費者の効用と結びつく。金融派生商品ですらそうなる。ところが,それ自体は紙切れにすぎない貨幣にはそれがない。貨幣を媒介にしたモノの取引は,貨幣に関する純粋な投機だという。

貨幣の存在を前提に,総需要と総供給が一般に均衡せず,累積的な物価の変化によりハイパーインフレあるいは恐慌が起きると主張したのがヴィクセルである。岩井先生の不均衡動学理論は,貨幣が市場を持たず,その不均衡が調整されない点にマクロ的不均衡が持続する理由を見いだす。

マネーマーケットと呼ばれる市場があるではないかという批判に,岩井先生はそれは一般にはコール市場のような短期証券の市場であり,一般的交換手段である貨幣の市場ではないと答える。そういった証券もまた,貨幣との交換によって一定の価値を担保されていることに注意したい。

さらに議論は続く。本質的不安定性を抱えた資本主義経済が,ときおり危機を迎えつつ長期的には安定しているのはなぜか。それは名目賃金の硬直性や資本移動の規制,政府の介入といった「不純物」が価格の完全な伸縮を妨げているからだという。それを見いだしたのがケインズだと。

つまり,われわれが生きる経済は,さまざまな「非経済的」要因によってかろうじて破綻を免れているにすぎない。しかし,人が自由を希求する限り,資本主義以外に選択肢はない。懸念されるのは,資本主義を純粋化すれば理想社会に近づくことができるという最近の思潮だという。

このような岩井先生の理論に感銘を受ける者は(自分を含め)少なくないと思うが,経済学者のなかでさほど受容・継承されているようには見えない。異端派であっても一定のサークルを形成する例は少なくないのだが・・・。あまりに革新的なので,そうした継承・発展が難しいのか。

岩井理論を経済学者がスルーするのは,それが内包する予測不可能性のせいかもしれない。「不純物」が経済に安定性をもたらしているとしても,それらが経済の軌跡をどう導くかは定かではない。「不純物」を研究対象とする社会学や政治学が代わりに予測してくれるとも思えない。

他方,資本主義の崩壊を願う立場からも,それが何とか生き延びしてしまう可能性を証明する岩井理論は面白くないはずだ。つまり方向性は違えども,何らかの理想社会に到達し得るという単純明快なビジョンの持ち主からは岩井理論は不興を買う。たとえそれがより現実的だとしても。

このことは非経済学にとっても他人事ではない。マーケティングにしろ経営学にしろ,こうすれば成功する(あるいは失敗する)という明確な道筋を示すことが期待されている。そんなものは存在せず,何とかやっていくしかないという議論は歓迎されない。たとえそれが現実だとしても。

不均衡動学の理論
(モダン・エコノミックス 20)
岩井克人
岩波書店

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アップルの“賞味期限”

2012-03-23 13:34:52 | Weblog
週刊東洋経済3/24号の第2特集は「アップルの“賞味期限”」。いま絶頂期にあるかのように見えるアップルだが,ジョブズ後にどんな死角があるだろうか。冒頭の記事では,クック体制での静かな変化を指摘しつつ,今後の懸念材料として,コンテンツ業界との関係が挙げられている。

週刊 東洋経済 2012年 3/24号
東洋経済新報社

寄稿しているジャーナリストは林信行,西田宗千佳,本田雅一の3氏。林氏は「実は iPad で目覚めるのは産業側」という記事で,産業界での導入事例を紹介している。警備保障,中古車販売,病院,通販,百貨店,ホテル,外食・・・いずれもサービス業である。漁業や消防署の例もある。

同じページにある囲み記事で,ドコモが iPhone の導入をためらう理由が解説されている。その一方で,Android には iPhone の50倍もウィルスが存在するので,法人市場で嫌われているという。このような問題に直面しているドコモは,結局 iPhone 導入に踏み切るだろうと示唆している。

西田氏の「ジョブズなきアップル 強さは本物か」では,アップルの強みを製品へのこだわりと少品種大量生産によるコストダウンに求める。既存の制約にとらわれないデザインは,大量生産によってはじめて賄われる。しかし,少品種への絞り込みはリスクを伴うことが指摘される。

本田氏は「アップルが競争のルールを変えた」という。Android には多くのハードメーカーが参入し,全体としてシェアは拡大しているが,お互いの競争から価格低下,新製品投入のサイクル短縮化という悪循環を起こしているという。その結果,メーカーは窮乏化を避けられない。

それに対して,アップルはクローズドなコンテンツ流通網を構築し,ハードで収益を上げるビジネスモデルを確立した。それは盤石に見えるが,本田氏は,アップルが今後も成功し続けるかどうかは iCloud がどうなるかにかかっているという。そこで躓くと流れは変わるかもしれない。

かつてアップル,IBM,モトローラが PowerPC を導入しようとしたとき,インテルの幹部たちが招集されて「いかにインテルを潰すか」のシミュレーションを行ったという話がある。一見盤石に見えるからこそ,それを崩壊させる弱みを考えることが,真の強さの理解につながる。
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山岸俊男教授退職記念講演会@竹橋

2012-03-19 07:33:29 | Weblog
3 月 17 日の午後から,学術総合センター(竹橋)で開かれた北大の GCOE「心の社会性に関する教育研究拠点」の総括シンポジウムに参加した。午後のセッションの冒頭は CALTEC の下條信輔教授の発表であった。「社会脳」に関わる下條研究室の最新研究動向が猛スピードで語られた。

そのあと京大の山本真也氏がチンパンジーの利他行動,阪大の西條辰義氏がメカニズムデザインの実験,北大プロジェクトメンバーの結城雅樹,大沼進,高橋泰城の各氏がそれぞれの成果を報告された。個人的に興味を惹かれたのは高橋氏の行動神経経済学の研究であった。

行動経済学が発見してきた再現性の高いアノマリーの神経科学的基盤を徹底して求めていくことは,社会科学を自然科学に回収していくような印象を与える。そうした研究のラディカルさに驚き,興味を惹かれるとともに,それに「回収されないもの」に想いを馳せたりする。

最後に,山岸俊男,長谷川英祐,下條信輔,坂上雅道,西條辰義,巖佐庸,亀田達也という豪華メンバーによるパネル・ディスカッション。最初に下條氏が長谷川氏に質問する形で始まったように,進化生態学的な観点から「心の社会性」を論じることに焦点が当てられたように思う。

ちなみに長谷川英祐氏は『働かないアリに意義がある』という非常に面白い新書を書かれている。パネル・ディスカッションのなかでも,経済学で生まれたゲーム理論は生物学で大成功したのに,経済学ではなぜうまくいっていないのか,といったなかなか興味深い指摘をされていた。

長谷川氏だけでなく,メイナード-スミスなども,生物学でゲーム理論が成功したのは,ゲームの利得を客観的に数値化できるからだと述べている。確かにそのとおりだが,それだけではないように思える。現実との関係の仕方もまた,生物学と経済学ではかなり違う。

唯一の経済学者である西條氏は,経済学者は現状の記述だけに満足せず,制度設計まで目指すと述べられた。それに対して,数理生物学の権威で本来抽象的なモデルを研究されている巖佐氏が,限定合理性を考慮するとはいえ抽象的なモデルで本当に制度設計できるのかと疑問を投げかけた。

個人的には、このあたりの議論を興味深く感じた。自然科学者の目から見ると,現実への適合性が低いモデルを使って規範的な議論をしても意味がない,ということだろう。それはきわめて常識的な見方に思える。しかし,社会科学にとっては,それはあまりに素朴すぎる見方かもしれない。

翌日は,この GCOE の精神的支柱であったと思われる山岸俊男教授の退職記念講演会。タイトルは「ヒトと人の間〜進化・文化・制度」。冒頭,山岸先生はご自分の研究対象は「リヴァイアサン問題」を解明することだと語る。本来利己的な個人からなる社会に,なぜ秩序が生まれるのか。

山岸先生の膨大で影響力の大きい研究を簡単にまとめることはできないが,あえていえば,ゲーム理論を基礎として上述のリヴァイアサン問題に被験者実験を通じて挑むことといえる。社会的選好を仮定してリヴァイアサン問題をなきものにするようなアプローチには否定的なお立場のようだ。

もう1つ興味深かったのは,一見「文化の差」のように見える現象を,周到な実験を繰り返して,選好は同じだが置かれた状況への知覚が違うという形で説明していることである。これらの点は標準的な経済学・ゲーム理論と親和性が高い。だからこそ学際的研究の核になっているのだろう。

ぼく自身はこれまで,山岸先生や多くのゲーム理論の研究者が研究する利他的行動,協力,信頼・安心といった問題よりも,下條先生が報告された,無意識レベル(あるいは身体レベル)の「心の社会性」に関心があった。ただ,たとえばデマの問題を扱うとなれば前者も無視できなくなる。

デマはしばしば受け手の反応を視野に入れて意図的・戦略的に流される。その受け手がさらに拡散させるかどうかにも何らかの思惑が働く。とすれば,これはゲーム理論的に記述できるかもしれない。書棚にはすでに山岸先生の著書は何冊も並んでおり,準備万端整っている・・・。

信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム
山岸俊男
東京大学出版会

ネット評判社会
(NTT出版ライブラリーレゾナント057)
山岸俊男,吉開範章
エヌティティ出版

文化心理学〈上〉
心がつくる文化、文化がつくる心
(心理学の世界 専門編)
増田貴彦,山岸俊男
培風館

文化心理学〈下〉
心がつくる文化、文化がつくる心
(心理学の世界 専門編)
増田貴彦,山岸俊男
培風館

文化と実践―心の本質的社会性を問う
石黒広昭,亀田達也,山岸俊男,石井敬子,佐伯胖,北山忍
新曜社

「しがらみ」を科学する
高校生からの社会心理学入門
(ちくまプリマー新書)
山岸俊男
筑摩書房
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神さま、そろそろカープに優勝を!

2012-03-17 08:28:50 | Weblog

このタイトルを本屋で見かけたら,四の五のいわずに買うしかないじゃろう・・・。

神さま、そろそろカープに優勝を!
迫勝則
宝島社

だが,神様頼みだけでは情けないので,以下の本も買った。カープでは野手の選手層の薄さ(特にファーム)が問題だと指摘されている。内部だけでは無理なので,外部からの補強が必要というのだが・・・。ああ,神であれ科学であれ,かくも長く優勝から遠ざかったカープをお救い下さい!

プロ野球を統計学と客観分析で考える
セイバーメトリクス・リポート1
岡田友輔 ,鳥越規央,道作,三宅博人,蛭川皓平,森嶋俊行, 高多薪吾,Student
水曜社
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橋下徹氏の著書を読む

2012-03-16 10:33:53 | Weblog
いま最も注目されている政治家といえば,おそらく前大阪府知事・現大阪市長の橋下徹氏だろう。支持や期待が高い一方で,ビジョンなきポピュリストだとか,いや危険な思想を持つ確信犯だとかいわれて批判されている。そんな彼の主張を詳しく知るべく,昨年秋に出た橋下氏の著書を読んでみた。

体制維新
―大阪都 (文春新書)
橋下徹,堺屋太一
文藝春秋

本書では主に大阪都構想について説明されている。大阪市を8〜9の基礎自治体に分け首長を公選で決める,大阪府全体の広域行政は大阪「都」が一元的に担い,国際競争力のある都市を目指す・・・少なくとも前者の部分は悪くないように思える。後者についてはどうなんだろう・・・。

この構想をめぐる論争と政争は,本書の出版1ヶ月後に行われた大阪府・市のダブル選挙で一応の決着がつくことになった。橋下氏と維新の会の勝利を受けて,国政レベルでも与野党が大阪都構想に迎合する方向で動いているようだ。構想の実現可能性が高まっているように見える。

橋下氏は本書で,道州制は簡単に実現しないので,まず大阪都から始めるべきだと語っている。いま橋下氏が率いる大阪維新の会は国政に進出しようとしており,国の仕組みを大きく変えることへの期待が高まっている。地方から変えていくという本来の戦略は今後も維持されるのだろうか・・・。

事態は予想以上のスピードで進んでいるように見える。しかし,そもそも大阪府知事としての橋下氏の手腕はどうであったのか。昨年の春に出版されたジャーナリストの吉富有治氏による本では,橋下府政に対して一定の期待を表明しつつも,かなり厳しい評価もなされている。

橋下徹 改革者か壊し屋か
―大阪都構想のゆくえ (中公新書ラクレ)
吉富有治
中央公論新社

この本の最後で,吉富氏は橋下知事と平松(前)大阪市長が連携するように説いている。現実には橋下氏は主張を貫いて選挙で勝利を収め,現実は新たなステージに進んでいる。いま大阪都構想がどう議論され,どちらに向かおうとしているのか,ぜひとも続報を期待したいところだ。

橋下氏の半生に関する記述を読んで,彼は弁護士である以前に起業家だと思った。弁護士を目指したのは,大学時代に学費を稼ぐために始めた事業が詐欺に遭ったことによる。独立して自らの弁護士事務所を開くのも随分早かった。顧客の企業を通じて多様なビジネスについて学んできた。

起業家は素早い意思決定を求められるし,朝令暮改も結果が正しければ許される。そうしたスタイルは独裁的であり,思いつきが多くて一貫していないと批判されがちである。しかし,すでに破綻した経営体の再建には,こうした起業家的リーダーシップがかなりの程度有効ではないだろうか。

最近では,橋下氏は高校の卒業式での君が代斉唱時に,教師が起立(斉唱)することにこだわっている。重視されているのは愛国心の涵養という以上に,学校における校長を中心とした命令系統の確立のように見える。橋下氏は民間企業を基準にして役所や学校を評価することが多い。

ぼくが国立大学から私立大学に転職して驚いたのが,事務の方々の生産性と柔軟性だ。それは民間企業に近く,大学はすべからくお役所仕事というイメージが崩れた。税金を無駄なく使うために,役所や公立学校に民間企業のような効率性や職務規律を導入すること自体は間違っていない。

ただ,そのためのやり方がかなり性急だ。そこがいかにも起業家らしいといえる。橋下氏の執拗な学者批判も同様だ。学者は現場を知らず,対案なく批判だけすると攻撃される。自分の経験と判断力に自信があるのも起業家らしい。しかも,こうした学者批判が庶民感情に合致することを心得ている。

本当に議論すべきことは,目指すべき国家像の是非だろう。橋下氏は大阪都を核に関西州を作り,大阪をシンガポールのような都市国家とすることを目指していると吉富氏はいう。そうした方向が大阪にとって幸せなのか,さらには近隣の地域にとっても幸せなのか,解は自明ではない。
こういう結びがいかにも「対案を出さない学者の悪弊」っぽい・・・
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3.11 からの1年

2012-03-11 14:46:00 | Weblog
3.11 からの1年間,多くの人々の溢れ出る善意や勇気を目撃する一方,悪意や憎悪にも数多く遭遇した。その繰り返しで過ぎた1年は,いつにもまして長く感じられた。ぼく自身は被災地について,テレビや印刷物を通じて断片的にしか知らない。結局,傍観者でしかなかった。

IT 業界には,震災直後から自主判断で素早く動く人々がいた。その一端は,5月に開かれた広報学会のセミナーや,11月の経営情報学会で伺うことができた。広告業界にも自分たちのスキルを活かして被災地を支援する人々が多くいた。いろいろな業界・分野からそういう人々が現れた。

「研究」という職能においても同様だ。経済学者による復興や放射能汚染に対する政策提言も活発であった。『原発危機の経済学』を出版した齋藤誠氏を含めて12月の行動経済学会でパネル討論が行われた。同じような動きは,他の学会でもいろいろあったに違いない。

残念ながら,マーケティングや消費者行動に関する学会では,ぼくの知る限り,そうした動きはなかったように思われる。世間ではコーズマーケティングとかソーシャルビジネスということばが氾濫しているにもかかわらずだ。そのことは,実質的に何もしなかった自分と重なっている。

春先には,デマや風評被害の拡がりが深刻に思われたので,文理様々な分野の研究者たちと共同研究の可能性を探ったが,申請は採択されなかった。ただ助成がなくてもやれることはあった。実際,某社から大量のtweetデータを頂いたのだが,手つかずのままになっている。

他にも,以前から何人かの研究者や実務家と考えてきた地域振興のアイデアを,被災地の復興支援へ適用しようと某助成に応募したがこれも不採択。だがふだんとは違い,誰かが自分たちより優れたアイデアを出して採択されたなら,自分たちの不採択は残念なことではない。

マーケティングの研究者ですら,研究という行為を通じてどれだけ現下の社会に貢献できているかを問われる状況にある。マーケティングとは平時の「軽い」問題解決であって,被災者支援や放射能汚染といった「重い」問題解決では出番がない・・・と言い切ってよいのかどうか。

この問いに対して,自分は1年かかって何も答えを出すことができなかった。
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第12回MASコンペティション

2012-03-10 10:16:17 | Weblog
構造計画研究所で開かれた 第12回MASコンペティション に参加。感想はここのところ毎年同じで,人流・交通・避難といった工学的なテーマが多いなあ,というもの。特別講演で山影進先生が仰っておられたように,artisoc は本来社会科学のために開発されたツールなはずだが・・・。

特に経営・マーケティングは,artisoc の教育向け貸与の利用目的で歴代3位に入るものの,このコンペでの研究発表は途絶えている。唯一例外は,奈良産業大学の棚橋豪先生の「ネットワークシステムと遊牧商人」。もっともこの研究はマーケティングというより「理論商業史」かもしれない。

棚橋氏の研究は,都市間のネットワーク形成に商人が果たす役割を,抽象モデルとして表現したもの。遊牧商人はランダムに配置された都市をランダムウォークで結びつけ,その後そこに商流が発生する。その結果が出来上がるネットワークに,媒介中心性の高い拠点が出来上がっていく・・・。

マーケティングの領域でエージェント・シミュレーションを使おうとする場合,たとえば小売吸引力モデルに適用しようといったことがすぐに思いつく。だが,棚橋さんの研究は,地中海交易におけるベネツィアの役割を理解するのに使おうというわけだ。その普通ではない発想が素晴らしい。

現在のところ「ヤッコー」(やったらこうなった)の域を超えていないが,ネットワークの生成プロセスを緻密に分析し,何らかのマクロ的な規則性を見いだすことができれば画期的な研究になる気がする。ネットワーク科学に関連する研究があるとしても,歴史との対応づけはユニークだ。

シェリングやアクセルロッドがそうであったが,記憶に残るモデルのほとんどは抽象モデルである。artisoc のような便利なツールを使うと,そうしたモデルは比較的簡単に組めるが,問題は単純ながらも物事の本質を突いたモデルを作れるかどうかだ。その評価基準はさほど明確ではない。

しかし,現在のようにマーケティング・サイエンスにもエージェント・シミュレーションにもそれぞれの理由で停滞感があるとき(いずれもぼくの勝手な感想だが),抽象的な理論研究がその突破口になり得る。そのためには人文科学から自然科学まで,幅広い視野が必要だ・・・。

もう一つインスパイアされたのが,東京大学の和泉潔先生による「教育現場におけるMASの利用事例紹介:プログラミングだけでないプログラミングの講義」という講演だ。副題が示すように,プログラミング以前のモデルの仕様設計を重視した実習型の教育の実践が紹介された。

グループ作業の最初に行われるのが,マインドマップを使ったシステムの理解である。そのための教材もいろいろ工夫されている。本になるとか,今後何らかのかたちで公開されると非常にありがたい。エージェントモデルの設計方法論が書かれた文献は意外に少ないように思う。

和泉さんの実習は東大工学部を中心に,経済学や経営学の学生も参加して行われている。グループに1人はプログラミングのスキルを持つ学生がいるという条件は,文系の学生だけを相手に行う場合には満たしにくいかもしれない。とはいえ,何らかやりようがあるのではないか・・・。

文系学生のなかには,理工系に比べてプログラミングやデータ解析のスキルで劣るが,面白いモデルを考えつく能力ではひけをとらない者がいるはずだ。彼らに対して artisoc が有効なツールにならないか・・・そのための教育プログラムはどんなものか・・・妄想が広がっていく。
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成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈

2012-03-08 13:23:12 | Weblog
マイクロソフト(日本法人)の社長も務めた成毛眞氏によるスティーブ・ジョブズ論。その内容は次の3点に要約できる:

1)ほとんどの人がジョブズになれない。
2)実はジョブズは「いわれるような」天才ではない。
3)とはいえジョブズから学べる点は多々ある。

最初の点は,ジョブズの伝記の読者の多くが感じたことではないか。ジョブズと同じように振る舞うと,ほとんどの人は失敗するだろう。彼の成功のため,幸運の女神は何度も微笑んできた。著者がいうように,日本市場で日本語でビジネスをしている限りそもそも無理,というのも確かだ。

第2の点で,著者はジョブズをアインシュタインのレベルの天才ではないとする。ジョブズは優れたセールスマンにすぎず,ただ「半歩先の未来を形にする能力が異常に発達していた」と述べる。もちろん,それがビジネスにとっていかに価値があり,稀有なことかを著者はよく心得ている。

成毛眞のスティーブ・ジョブズ超解釈
成毛眞
ベストセラーズ

成毛氏は,1980 年代のマイクロソフトでは,アップルは「売れない変わったものを作っている」小さなパソコンベンダーの1つとしか見ていなかったと述べる。そんな会社が,いまではマイクロソフトを凌ぐ企業価値を持つ企業になった。本書でもその理由がいくつか語られている。

iTunes がもたらしたネットワーク外部性とか,マイナー時代に培ったミュージシャンとのつながりとか,いずれも納得がいく説明が並ぶ。ただ,そこで語られていないことでぼく自身が重要だと思うのは,テイストの問題である。それが素地にあったうえでの雪崩現象だったと考えている。

では,圧倒的な市場支配力を持つ(そして著者がいうように音楽を深く理解する人間が社内にいた)マイクロソフトはなぜその市場でアップルに対抗できなかったのか。なぜ「半歩先」に踏み出せなかったのか。同社を熟知する著者だからこそ語り得る理由をぜひ聞いてみたいと思った。

本書の3番目の特徴は,ジョブズをけなしたかと思えば褒めるという「非一貫性」である。それは,著者なりに公平にジョブズを評価しようとすることの証でもある。挑発的なメッセージで始めながら最後はバランスのよい語りで締めることも,スーパーセールスマンの要件の1つかもしれない。
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JACS「ブランド戦略論を展望する」

2012-03-06 09:46:37 | Weblog
昨日は早稲田大学で開かれた,日本消費者行動研究学会の公開セミナーを聴講した。テーマは「ブランド戦略論を展望する 〜理論と実務の現在と未来〜」。登壇されたのは,研究者からは久保田進彦,青木幸弘,田中洋の各先生。産業界からグーグルの岩村水樹,サントリーの和田龍夫の両氏だ。

久保田先生(東洋大学)の「ブランド・リレーションシップ研究の現在」は,この分野に無知な自分に大変勉強になった。ブランドとは顧客との関係性のなかで成立する。自己適合性,パートナーシップ,愛着,愛,同一化,ブランド知識といった様々な角度からの研究が進んでいるという。

青木先生(学習院大学)は「ブランド・エクイティ研究の展望」で,アーカー以来の研究の流れを振り返る。元々ばらばらに行われていたブランド研究が,エクイティという概念のもとで統合的に扱われるようになったが,最近また多様化し,分散しつつあるという懸念を表明されていた。

田中先生(中央大学)は最後の総括で,個人の心のなかにあるブランド,企業の知財としてのブランド,社会が共有する文化としてのブランドという次元の違い(とその対立)を指摘。そして,ブランドと柔軟な関係を取り結ぶ企業のあり方(Brand-Inspired Company)を提唱された。

青木先生,田中先生の発表を聴きながら,ブランド研究の難しさをひしひしと感じた。一方,久保田先生のリレーションシップ論は,ブランドの持つ多義性,曖昧性,不安定性を積極的に肯定しているように思えた(いずれもぼく自身の勝手な誤解,曲解だろうとは思う)。

一方,実務家の方々の発表を聴きながら,ブランド「戦略」という概念への疑問を拭えなかった。紹介された事例はいずれも優れたマーケティングの実践であり,大変勉強になった。ただ,それらは果たしてブランド「戦略」と呼ぶべきものなのであろうか・・・。

というか,そもそも「ブランド戦略」なるものを優れた実務家はほとんど意識していないのではないだろうか。誤解ないようにいえば,「グーグルらしさ」「サントリーらしさ」といったDNAとしてのブランドは,実務家においてしばしば強く意識されているのは間違いない。

しかし,強いブランドを持つ企業では,ブランド・エクイティという擬似的な資産項目を目標として,それを系統的に managing したり building しようとするアーカー先生以来(?)の発想(マネジメント論としては自然な考え方だろう)で実践がなされているようには思えない。

その意味で,最後の質疑応答で司会者が「強いブランドを作るには?」と問うたとき,ブランドは身体における骨格のようなものだと考えると,それは筋トレによって身につくものではないと答えた久保田先生の発言が腑に落ちる(・・・この点もまた,ぼくの誤解かもしれないが)。

もちろん,骨格は遺伝的要素に加えて,長期に及ぶ食生活やトレーニングの蓄積によって形成される。しかしそれはいわば「人生の来歴」であり,白いキャンバスに絵を描くようにはデザインできない。その点で,田中先生の brand-inspired という概念と通底するように思うのだが・・・。

このセミナーは,アーカー先生の Managing Brand Equity の出版 20 周年を記念して構想されたという。同書の出版は偉大な第一歩であり,それに続く多くの研究を生みだし,実務にも一定の影響を与えたに違いないが,ブランドとはいまもなお大きなミステリーなのである。Viva, Brand!
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知識共創フォーラム2012@JAIST

2012-03-05 10:40:18 | Weblog
3月3〜4日,北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)で開かれた知識共創フォーラムに参加した。昨年,3.11の直後に第1回目が開かれ,今回が2回目となる。ぼく自身は初めての参加である。共著者とその共著者を除き,報告者も聴講者も全く面識のない方々ばかりであった。

宿泊したのは金沢駅前のホテル。予約しているつもりで訪れたら予約されていなかったところから躓きが始まった。MacBookAir のACアダプタを自宅に忘れてきたことが躓き第2弾。報告の日にプロジェクタにつなぐケーブルをホテルに忘れたことが第3弾・・・さらに失敗はあったが省略する。

会場となった JAIST は金沢からは二本列車を乗り継ぎ,専用バスに乗る。計約1時間。本数が限られるので,時刻表に注意しながらの行動となる。そう広いキャンパスには見えないが,構造が入り組んでいる。会場からバス停への移動では連日,主催者の方々にお手間をかけてしまった。

参加者は全体で3,40人ぐらいだろうか。実験室のような教室に一堂に会して発表が行われる。報告が15〜20分,質疑応答が20分という構成なので,議論に充てられる時間がかなり長い。報告だけでは理解できなかった内容が,質疑を通じて腑に落ちたり閃きを得ることが何度もあった。

(↓会場の様子)


報告内容の多くは「知識科学」ということばでまとめることができる。これは主催者である JAIST の知識科学研究科を束ねるコンセプト。情報科学,認知科学からデザイン,知識経営など,幅広い分野をカバーする。創設期に在籍した野中郁次郎氏が残した影響も無視できないようである。

招待講演は哲学者である下嶋篤先生(同志社大学)による「知識機構と認知の分散性」であった。 JAIST に長く在籍されていたということで,この講演で述べられた「知識機構」という考え方が今回のフォーラムにおける(特に JAIST からの)発表者の多くに共有されているようであった。

ぼくの発表は「広告クリエイターはいかにインサイトを獲得するか?」。生稲史彦氏と行ったクリエイティブ・エージェンシーの取材(論文はここ)を基に,消費者インサイト獲得の論理に関していくつか仮説を提出した。検証はないがシーズ・セッションなのでそれもありと判断した。

キーワードは,棲み込み(ポランニー-石井淳蔵),未来の消費経験のシミュレーション(藤本隆宏),消費者の樹=超顧客主義(片平秀貴)などなど。これらをクリエイティブ・マーケティングの論理として統合的に整理していきたいのだが,まだまだ理論的・経験的研究が不足している。

発表直後の質疑応答だけでなく,懇親会や休憩時間に多くの方々から質問やコメントを受けた。知識科学の研究者たちの関心を惹いたことは大きな喜びであるし,マーケティング研究のある種の責任を感じた。また,橋本敬先生から,今後読むべき文献の示唆を受けたのも収穫であった。

JAIST に集まっている大学院生の方々とお話できたことも刺激になった。彼らの多くは大学のそばの寄宿舎に住み研究に没頭している。そこでの相互作用を通じて,新しい知が生み出されていくことを大いに期待したい。加えて学外者へのホスピタリティの高さも印象的であった。

いくつかサービスサイエンス関係の発表もあった。やはり知識科学あるいは知識機構という共通のプラットフォームが存在する点が面白い。グループで研究を進めるとき,各種方法論のごった煮状態で終わらせないためには,ある意味での思想的な紐帯が必要かもしれない。

橋本先生が最初の挨拶で,知識共創を対象として研究するだけでなく,このフォーラム自体が知識共創の場になるという希望を表明された。ぼくの場合,いただいた多くの知識を自分の頭のなかで熟成させる必要がある。その結果,時間差知識共創が起きることを夢見ている。

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