17歳の鴇谷春生は、自らの名に「鴇」の文字があることからトキへのシンパシーを感じている。俺の人生に大逆転劇を起こす!―ネットで武装し、暗い部屋を飛び出して、国の特別天然記念物トキをめぐる革命計画のシナリオを手に、春生は佐渡トキ保護センターを目指した。日本という「国家」の抱える矛盾をあぶりだし、研ぎ澄まされた知的企みと白熱する物語のスリルに充ちた画期的長篇。
出版社:新潮社(新潮文庫)
『ニッポニアニッポン』を初めて読んだのは、もう十年弱近くも前のことだ。
そのときの僕は、これはとんでもない傑作ではないかと思い、うち震えたものである。
だが今回久しぶりに読み返してみたが、当時の僕が感じたほどの興奮を感じることはできなかった。
感性というものは否応なく移ろうものらしい。
しかし傑作とは思わないまでも、なかなかの佳品であり、力作であることは確かである。
主人公の鴇谷春生は、ひきこもり気味の独善的な少年である。
空気を読まずに、おしゃべりを続けて、周りの空気を乱すところがあるし、自制心は足りず、他人に攻撃されれば、暴力で仕返しする。根拠のない自尊心を持っていて、それをもとに他人を小馬鹿にし、ネットの中に閉じこもっては、視野狭窄的な考えに固執している。
(どうでもいいが、ネットの描写に時代を感じておもしろかった)
基本的に、自分を客観的に見ることのできない、自分の世界に閉じこもった人のようだ。
本木桜へのストーカー行為は典型だと思う。
こういうタイプの人は、たまにいるので、その描写の様に感服した。
キャラクター造形は見事である。
そんな彼は、自分の名字に鴇の字が入っていることから、トキに対して感情移入し、自分の考えを、トキに対して勝手に重ねるようになる。
この過程が、個人的にはおもしろかった。
この作品では、感情移入の相手は、トキだったけれど、それは別のもの、たとえばイデオロギーのようなものと置き換えても成立可能なのだろう。
ガジェットこそ現代的だが、見ようによってはとても普遍的だ。
この手のタイプの人にとって、トキであれ、イデオロギーであれ、何でもいいのである。
基本的に彼らは自分がしたいことの理由に、イデオロギーを利用しているだけでしかない。
まさに「春生はトキを出汁にして「人間の書いたシナリオ」をぶち壊したいだけ」でしかないといったところだ。
それは、適応できない社会に対しての、彼なりの反発とも見える。
その僕の解釈はともかく、彼は自分の狭い世界に没頭し、トキの密殺や解放といった視野狭窄的な行動へと突き進むことになる。
そんな視野の狭い、自分の世界に閉じこもった彼だけど、引き返すポイントはあった。
言うまでもなく、瀬川文緒との出会いにある。
そのとき春生は文緒に対して親切に行動した。もしもそのとき、彼女にもう少し心を開いていたら、ちがう結果になったのかもしれない。
だが彼はそうしなかったし、できなかった。
春生は文緒と桜を混同していたけれど、それは彼が自分の世界に閉じこもり過ぎていることを象徴しているのかもしれない。
価値観の修正は、他者との関係の中から生まれる。
しかし他者との関係を拒絶した春生は、あくまで自分の世界にとどまるばかりだ。
そして彼は自分の狭い価値観のまま、トキ保護センターを襲撃することになる。
しかしその果てに待っていたものは、ただの虚しさでしかなかった。
彼が成したことには何の意味もなく、彼に何ももたらしはしない。
「Nothing really matters」というラストのフレーズがあまりに悲しく響く。
それは、現実と彼の見たい世界との齟齬の結果でもあるのだろう。
そういった幼い妄執の崩壊の様が、非常に力強く、胸に突き刺さる。
むかしほどの感動はなかったが、それでもまぎれもない力作と感じた次第だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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