私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『ボディ・アーティスト』 ドン・デリーロ

2011-10-10 22:00:00 | 小説(海外作家)

映画監督の夫を自殺で失ったローレン。精神のバランスを崩す彼女の前に、謎の男が現れる。まともに口を利くことができず、時間の経過も認識できないらしい男は、やがて自殺した夫の声で話し始め、知りえないはずの夫婦の会話を再現し始める。彼に引きずられるようにローレンの「現実」も変化をはじめて…。一人の女性の変わりゆく姿を透明感のある美しい文体で描いた、アメリカ文学の巨人デリーロの精緻な物語。
上岡伸雄 訳
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)




おもしろいストーリーの作品か、と問われたら、はっきり言って、そうでもないよ、と答えざるをえない。
しかし変に何かが引っかかる作品でもある。

その何かとは、恐らくは物語世界の描き方にある。
個人的な印象を述べるなら、本作では物事の境界が溶融しているように感じられるのだ。


だがそのことにくわしく触れる前に、中身について軽く触れよう。
物語は、ある夫婦の日常のシーンから描かれる。
だがそれを読んでいると、この夫婦は微妙にすれ違っているな、というのが何となく伝わってくるのだ。二人はそれぞれがそれぞれのことを考えていて、会話もあまりかみ合わない。

もちろんそれは空気のように馴染んでしまった夫婦の親密さをあらわしているとも言えるかもしれない。
でも逆にそれは、馴染みすぎて、肝心な言いたいことを、互いに言うことができていないことを示してもいる。
つまりは、親密そうに見えて、二人はバラバラな存在でしかないということかもしれない。
そして後者の予感の正しさは後に証明されることとなる。なぜなら、夫は自殺してしまうからだ。

当然妻はショックを受けるわけだが、そんな妻の前に、謎の男が家の中に迷い込んでくる。
そして物語は、冒頭でも触れた特徴的な描写の世界へと突き進んで行く。


この物語の中では、人称や時間など、あらゆる境界が溶融してしまうかのように感じられる。

たとえば死んだ夫と、突然家の中に迷い込んできた男とは、両者とも「彼」という人称で語られるためか、まるで同一であるかのような印象を受ける。
その男が夫の話し方を真似することもあり、よけいその印象を強くなるばかりだ。
そしてやがては、生者と死者、実在と非実在、過去と現在の境目がだんだんと混乱していくこととなる。その感覚がちょっとおもしろい。

彼女の世界が、そのようにして溶融したのは、謎の男の存在に、死んだ夫との記憶を重ね合わせたことが大きいのだろう、と僕は思う。
それは謎の男の特技が、他人の物まねだからという性質もある。
だけどそれ以上に、彼女がその男の中に、夫の影を見たいと、少なからず願ったたからではないかと、いう気もしなくはない。そう思わなければ、その男がいたと思われる精神病棟のある施設にすぐさま連絡を取っていただろう。
そしてその自身の願望の中に、彼女は、夫の死を乗り越えるスタートラインを見たのかもしれない。


本書は退屈と感じる場面も多い。
しかし少なくとも、特徴的な語りで、物語を立ち上げていく様はきわめて巧みで、簡単には忘れがたい味わいがある。
趣味ではないが、こういう作品もありなのかもしれない。そう感じる一冊であった。

評価:★★★(満点は★★★★★)

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