私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

中上健次『岬』

2013-11-02 06:09:45 | 小説(国内男性作家)

郷里・紀州を舞台に、逃れがたい血のしがらみに閉じ込められた一人の青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみを鮮烈な文体で描いた芥川賞受賞作。「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」「岬」収録。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




僕はこの本に★を5つつけるが、それもすべて表題作『岬』に負うところが大きい。
内容は重いけれど、エピソードの一個一個が大変力強く、物語のパワーを見せつけられる。そんな一品だったからだ。


主人公の秋幸の家族は、大変複雑である。
秋幸の実の父親は、彼が生まれる前に母と別れているし、彼には二人の姉と一人の兄がいるのだが、それも父親違いである。そして現在は実父とも兄たちの父親とも違う別の義父と連れ子の義兄と一緒に暮らしている。ずいぶんややこしい。
加えて、兄と姉と、母と秋幸とは、秋幸が幼いころ、別々の家に住んでいたという過去がある。それが事態をさらに複雑にしている。

家族は言うまでもなく、人間集団の中でも、根源的なものだ。
それゆえにそこにはいろんな感情が生まれるけれど、事態が複雑だと、生まれる感情もかなりややっこしくなるらしい。


そんな中でことさらに明確なのは、秋幸の父に対する憎悪だ。
彼が生まれるとき、父は別の二人の女にも、同時に妊娠させていた。加えて実の娘を娼婦にさせて、平気でいるような始末。

そんな父を、秋幸はろくでなしだと思っているらしく、妹が娼婦になっていることに、不愉快な思いを抱いていることが伝わってくる。
そのせいか、父と同じになりたくない、という思いから女を知らないまま生きてきた。

父への憎悪が、そのまま性への恐怖と結びついているように映り、その切羽詰まったような感情が、ひたすらに息苦しい。


そしてその息苦しさは、彼が育った町とも深く関係していることだろう。

彼が育った紀州は、山々と川と海に閉ざされた町でせまく、自分の別れた父とも簡単に顔を合わせることができる。
一言で言えば、そこには逃げ場がないのだ。
どれほど父に憎悪を抱えていても、娼婦の妹に困惑にも似た思いを抱いていても、せまい町で生き続ける限り、それを否応なく見せつけられてしまう。

その閉そく感が、小説全体を支配していて、忘れがたい。


だが親を憎んでいるのは、何も秋幸だけではないのだ。
秋幸の父違いの兄は、かつて自分を捨てた母を恨み、包丁を持ち出す事態にまで及んだこともある。

実際母は結構冷たいところもある。
寝込んだ末におかしくなってしまった娘の美恵に対して冷たい態度を取っていたし、わりあい関係も良さそうな芳子からも、母さんらしいにせえ、となじられている。

秋幸は父を、そして兄や姉たちは母を恨み、身勝手にふるまう親によって、ツケをはらわされていることを憎んでいる。
それもまた一つの閉そく感だろう。

そしてそれはたとえ、人が死んだとしても、途切れることなく襲ってくるのだ。
生きている者は、自殺した兄や、亡くなった父を追慕し、あるいは囚われてもいる。それはまるでトラウマのようだ。

そういった重層的に取り囲まれた物語の雰囲気が、胸苦しく、圧迫するようにこちらまで迫って来る。


そして最後の秋幸の行動は、そんな不幸な空気から生まれたものだと思うのだ。
言うなれば、それは破壊願望なのである。
娼婦になったかもしれない実妹という存在を、彼はその行為を通してある種否定したかったかもしれない。そんな風に僕には見える。

もちろん彼の行動は、先々さらに彼を苦しめることだろう。
だが背徳に走ることで不幸を背負った彼は、結局不幸に走らざるをえないまでに追い詰められていたとも思えてならない。

そしてそれだけに、そこには鬼気迫る空気にあふれて、忘れがたいものがある。
ともあれ、狭い空間の中に凝縮されたような重たい雰囲気が、胸に突き刺さる一品である。



そのほかの作品も、不幸な家族関係ゆえに、屈折を抱えている者たちが多く登場して読み応えがあった。


『黄金比の朝』

こちらの主人公は母を憎んでおり、縁を切りたいとも思っている。
やとなとして働き、体を売っていた母を軽蔑してもいるのだろう。
しかし料理を持ってきてくれたときのことを思い出すあたりは、憎悪だけでは語り尽せない母子の関係を思わせ、心に残った。



『火宅』

ほかの女を孕ませ、博打も好きだった父親に対する屈折した憎しみが忘れがたい。
と同時に、自分の妻に向かうその暴力性は血の因果を思わせて、どこか苦かった。



『浄徳寺ツアー』

快楽の滓が親の足を引っ張る、という親子観しかないような男、母が自殺したことに傷ついている女。
そこには家族に関する不幸があるし、負の感情がある。
しかし世の中には白痴の子の親のように、どんな状況でも子供を愛せる親もいる。
親子の関係性は一面では語り尽せない。そんなシンプルなことを読み終えた後に感じた。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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