私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

島尾敏雄『死の棘』

2013-03-31 18:49:24 | 小説(国内男性作家)

思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。
出版社:新潮社(新潮文庫)




幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが。不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある。
ってのは、『アンナ・カレーニナ』の冒頭部だけど、本作はその典型のような作品だ。

主人公の「私」は家庭がありながら、ほかの女と関係を持っている。それがために、妻は錯乱状態となり、深く後悔した夫は、妻とやり直そうと心に誓う。
要約するならそういう話だ。

夫の浮気。それは不幸な家庭の一典型だろう。
そしてそんな彼の過ちのために、家庭崩壊を引き起こすこととなっている。


そういうわけで、一番悪いのは浮気をした夫である。
だから読んでいる間、主人公の「私」にはまったく同情しなかったし、数多くの言い訳に少しだけいらいらもした。
だが、それでもこのような環境に自分が置かれたら、さぞきついだろうな、という風には感じるのである。

実際、妻は疑心暗鬼の塊だ。

妻は、浮気をした夫を信頼できないらしく、浮気していたころの過去をいつまでも責め、そのときの状況を話すようひたすらに問い詰め、浮気のすべてを夫の口から言わせようとする。
その攻撃は、本当に執拗なほどだ。

確かに、そんな攻撃を招き寄せたのは「私」なのだろう。「私」が妻の信頼を得られなくても、それはすべて「私」の問題でしかない。要は自業自得だ。
しかしそう思ってみても、その執拗さは辟易せざるを得ない。


それにいくら被害者とはいえ、妻の方も充分におかしいのである。
当事者である夫が忘れかけていることを、ひたすらに暴きたてようとし、それができないと夫を打擲する。
そんな妻の行動は狂気そのものだ。

特に同じような問いを、いつまでもいつまでもいつまでも、くり返しくり返しくり返し、行なっているところなどは、その思いを強くする。
あまりのくり返しに、読んでいるこちらは、うんざりするほどであった。

しかしそのうんざりするという状況こそ、「私」が体験したことでもあるのだ。
そのため「私」自身も、どうすればいいのかわからず、途方に暮れることとなる。

そんな彼には同情できないけれど、何となく哀れめいて見えるのが良い。
そしてやがて本当に狂ってしまう妻も、哀れと言えば哀れにちがいない。


だけど、本当に哀れなのは、まちがいなく伸一とマヤの二人の子どもたちだろう。
父と母が互いにいがみ合うのは、二人の問題である。
だがそんな地獄のような毎日に、二人の子どもたちは否応なく巻き込まれる。

子どもたちに、両親のケンカはどう映ったのだろう、と考えると、かわいそうな気もちになってしまう。
伸一は父親を、幼いながら否定的な目で見ているようだが、その気もちも充分にわかる。
幼い子どもが見聞きするには残酷な時間であったことだろう。

伸一のモデルになった島尾伸三は、『小川洋子の偏愛短篇箱』所収の作品の中で
でも、私はそんなに幸せでも自由でもあったわけではありませんでした。だって、母は、いつも得体の知れない真っ暗な底無し沼を抱えていて、家族を暗い底無しの――奈落の底と父は言っていたけれど――混乱へ引きずり込むのが日常だったから。家族の顔と気持ちの中から笑顔が完全に消えるまで、彼女は黒い言葉を吐きつづけるのですから。

って語っていることからしても、大変な少年期を過ごしていたことに気づかされる。

親の事情に巻き込まれる子どもはひたすらにむごい。


というわけで、主人公たちの行動が受け入れられず、すなおに楽しめなかった面はある。
だが崩壊した家庭の状況をつぶさに描いており、その生々しさと迫力に圧倒されたことは確かだ。

内容が内容だけに再読したいとは思わない。
だがその迫力ゆえに、ざらざらした不穏な何かを胸の中に残す一品でもあった。

評価:★★(満点は★★★★★)

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