私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

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『一瞬の風になれ』 佐藤多佳子

2009-08-03 22:09:55 | 小説(国内女性作家)

春野台高校陸上部、一年、神谷新二。スポーツ・テストで感じたあの疾走感…。ただ、走りたい。天才的なスプリンター、幼なじみの連と入ったこの部活。すげえ走りを俺にもいつか。デビュー戦はもうすぐだ。「おまえらが競うようになったら、ウチはすげえチームになるよ」。青春陸上小説、スタート。
出版社:講談社(講談社文庫)



正直言うとこの作品、読む前はそこまでむちゃくちゃ期待してたわけではなかった。

本書は端的に言うなら、陸上部を舞台にした青春小説である。
主人公は陸上に打ち込み、友人にしてライバルの、天才肌の少年と競いながら伸びていく。そこには挫折があり、努力があり、勝利があり、そして甘酸っぱい恋があり、ときどき笑いもある。
それだけ書けば充分だと思うが、ともかくとっても王道な物語だ。

もちろん設定だけ聞けば、おもしろそうではある。読めば楽しめるんだろうなという確信はあった。
でもここまで王道では、すごくおもしろい、とまでは思わないんだろうな、と思っていた。

だが本書は、そのまっすぐな王道の展開が、深く心に響く作品になっている。


そんな風に胸に迫るのは、やっぱり雰囲気の描写が上手いからだろう。
高校生の陸上部の雰囲気が、よく出ているのである。
実際のいまの子の部活の風景は、ひょっとしたら少し違うのかもしれないけれど、少なくとも本当にありそうだと思える力にあふれている。そのリアルな雰囲気が一読忘れがたい。

そして、その雰囲気の描写には、文体の力も一つの助けとなっている。
美文ではないが、主人公の一人称は疾走感があり、勢いがある。文章は若々しく、血肉の通った高校生活を描くのに、それは非常に適している、と僕は思う。
それに疾走感のある文体のため、陸上シーンの描写などは身体感覚に訴えかけるものがあり、読み手の昂揚感をもあおるのだ。
そのため、この小説を読んだ後は、習慣で走っているからってのとは無縁に、「走りてえな」と心から思えた。
感情に訴え、共感力を引き起こす、その文体は本当に大きな魅力だろう。


それらの美点のおかげで、僕は読みながら、主人公たちのことをすなおに応援することができる。

彼らの陸上に打ち込む生活は、本当に爽やかで一所懸命そのもの。
僕は高校時代、だらけた水泳部員で、主人公たちほど、熱心に部活に打ち込んでいたわけでもない。
そのため、読んでいて後ろめたさもあるのだが、同時に、何となくなつかしさも呼び起こしてくれる力がある。

もちろん、そんな個人的な記憶を抜きにしても、主人公たちの姿は読んでいて、感動してしまう。
三年という短い高校生活の中、懸命に何かに打ち込む高校生の姿は胸に迫るし、チーム同士の友情や連帯感も泣きたくなるほど美しく、読んでいてじーんとしてしまう。
失敗したり、なかなか目標に届かない自分に焦ったり、悔しがったりする気持ちや、誰かに恋する甘酸っぱい感情なんかも胸に響いてならない。

極端な言い方かもしれないが、まるで自分もその場にいて、一緒に呼吸をしているような感覚に陥ることができるのだ。
だから主人公の感情や、何かに打ち込む姿に、そこまでシンパシーを覚えるのだろう。

物語のラストは、主人公たちが一番打ち込んでいる4継で終わる。
そこで主人公たちは期待通りのレースをし、予想通りのラストを迎える。王道であり、ベタでもある。
だがそれをベタだと非難する気にはなれなかった。

それはすべて、僕が、主人公たちと呼吸するように、物語と一体となって読んでいたことが大きい。
だからこそ、主人公たちの三年間の集大成である4継のシーンに深く共感し、心から感動することができる。


思うのだが、そういう風に、登場人物と一体になったように小説を読むっていうことは、読書においては、とっても幸福な体験なのではないだろうか。
登場人物と同じよう感情を、読み手も共有することができる、そういう経験って、あるようでいて、なかなかない。

この『一瞬の風になれ』は、僕にとって、そんな幸福感をもたらしてくれた。
それだけをとっても、本書はまさしく一級の青春小説なのである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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