私的感想:本/映画

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『津軽』 太宰治

2010-10-27 20:11:38 | 小説(国内男性作家)

太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家”からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
出版社:新潮社(新潮文庫)




先日、青森県に旅行へ行ったのだが、そのとき津軽地方にも立ち寄った。
弘前から339号を北上し、岩木山を横目に見ながら、五所川原を過ぎて、金木の太宰の生家に立ち寄り、十三湖を過ぎ、小泊を抜け、山道で事故りそうになり、竜飛崎に至るというのが具体的な流れだ。下道なので、地味に遠い。

それらの地域を旅して感じたのは、太宰治の『津軽』の存在感である。
もっとも太宰の生まれた国だから、太宰をピックアップするのは自然だけど、特に津軽地方の人たちは、『津軽』に対する愛着が深いように感じた。

そういう理由で、今回『津軽』を再読したのだけど、正直言うと、不安があった。
というのも、前に読んだときは、まともな筋もなく、だらだらと書き連ねただけの退屈な作品としか思えなかったからだ。

だが、今回読んでみて、以前読んだときよりも格段に楽しめたので驚いている。


本書で一番よかったのは、やっぱりユーモアだろう。

まず序編の『おしゃれ童子』で描かれる、いかにも中2的な行動からして笑える。
それ以降も、人の目を気にしておたおたするシーンや、他人と話をして気持ちが空回りするところ、酒に関して図々しくなるところ、志賀直哉をけなしてなかなかうまくいかないところ、焼き魚のエピソードなどはなかなかおもしろい。

個人的には蟹田町のSさんの描写に笑わせてもらった。
太宰はこういうコミカルな、しかし当人は結構大真面目な人間を描くのが上手いらしい。
それらのおかげで、くすくすと笑いながら、読み進めることができた。


ユーモア以外で良かった点としては、テーマ性もあろう。

太宰は、この作品を太宰版津軽風土記のつもりで書いたとのことである。
そして、その内容ゆえに、前回読んだときはだらだら書いているだけのように見えたのだろう。
だが読み返してみると、だらだらどころか、計算された構成の作品であることに気づかされる。

個人的な印象だが、この作品は、津軽地方という自分の故郷をめぐることで、自分という存在を確認する、というお話と解釈した。


太宰はこの旅で、津軽の野趣に満ちた情景と、Sさんのような津軽人特有の行動にいくつも触れている。
彼はそこに自身の原点を見出しているようだ。

太宰は地主の息子という特権階級にいることに負い目をもっていた人だ。
だが特権階級にいたけれども、結局のところ自分も、女中や使用人と同じように津軽という土地の人間でしかないということを自覚するに至る。
ラストのたけとの再会などは、それを象徴していよう。


また精神的に疎遠になっていた兄たちと、この旅で交流している点も興味深い。
その中で、太宰は彼なりの態度で、おっかない印象の強い兄たちと一個人として向き合っている。
また早くに亡くした、やはりおっかなかった父の、ちょっとした弱さや卑屈さも発見している。

家族は、太宰に引け目のようなものを強く感じさせる存在だった。
だがこの旅で、そんな家族と精神的な和解をしているように見える。それがちょっと微笑ましい。


「大人とは、裏切られた青年の姿である」と太宰は言う。
けれど、本書にある自己確認と和解は、裏切られた後で残る、明るさと爽やかさではないか、と僕には見えた。

ラストの文章は有名なわけで、
(「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」)
そこに象徴されているとも言えるが、これは太宰にとって、自己肯定の旅であったのかもしれない。


そんな明るさとポジティブさと笑いとが、心に残る一品である。
『津軽』は個人的に、太宰の中では一番好きな作品かもしれない。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの太宰治作品感想
 『ヴィヨンの妻』
 『お伽草紙』
 『斜陽』
 『惜別』
 『パンドラの匣』

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