ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊とうつる。他人との接触に支障を来たし、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして……。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。
出版社:新潮社(新潮文庫)
安部公房はシュールな作品を書く人だな、と感じる。
これまで読んできたのは、『砂の女』『他人の顔』『箱男』だけだが、どれも設定や展開は余人の発想と違いぶっ飛んでいる。
そんな奇抜な定と、メタファーに満ちた道具立てを楽しめるかどうかが、この作家の好き嫌いを分かつポイントなんだろう。
個人的なことを言うなら、安部公房は熱心に読み続けたいタイプではない。
しかしシュールな展開がポンポンと飛び出すお話自体は意味がわからないながらも、変に心惹かれる。
理解できないにもかかわらず、少なくとも途中で投げ出そうと思わなかったのは、そういったイマジネーションの豊かさがそれなりに心に訴えかけてくるからだろう。
そしてそれが『壁』という作品に対する感想の、ほぼすべてだ。
物語は一応三部構成となっている。
だがそれぞれに明確なつながりがあるわけでもない。共通するのは壁というメタファーを背後に隠したストーリーという点だ。
正しいかは知らないが、この壁というのは、自分という内的世界と、他者を含む外的世界を分かつ境界なんだろう、という風に感じた。
たとえば第一部の『S・カルマ氏の犯罪』。
ここで「ぼく」が失くすのは名刺だ。名刺はそこで「ぼく」にとって代わるような行動をとり、「ぼく」のアイデンティティが見事に失われてしまう。
しかしそうして無名な存在となった彼は、ラクダのように外界に実際に存在するものを自分の内部に吸収して消してしまうようになる。さらには名刺だけでなく、メガネのような「ぼく」が身につけているものが彼に対して反抗するようになっていく。
説明が下手だからというのもあるけれど、自分で書いてて、内容がまったく理解し、意味がわからない。
だけど、そのわからなさが変におかしくもある。
そして、そんな意味不明な物語からあらわになるのは、自分が自分であることの根拠の喪失でもあるのだ。
「ぼく」と親しいY子は作中なぜかマネキンに変貌しているけれども、それも一つのメタファーなのだろう、と思う。
つまりは名を失い、自分が身にまとうものをはぎとられたとき、自分に残るのは何なのか、ということではないだろうか。
名前などを身にまとうことで、人は自分自身のアイデンティティをつくりあげていく。
しかし同時に、名前や服などをまとうことで、まるでマネキンのような人工めいたある種のペルソナをかぶって、人は生きていくのかもしれない。
そんなことを象徴的に描き上げているように僕には見えた。
それが正しいかはともかく、そこからは人という存在のこっけいさがあぶりだされているように感じる。
そのへんてこさが、いい意味で気になる作品だった。
一方の第二部の『バベルの塔の狸』は、目だけを残して肉体が消える男の話だ。
こちらもアイデンティティを喪失した男の話とも読める。
この章で一番すばらしかったところは、狸の言動に誘導されて、徐々に自分の意志とはちがうことをさせられそうになっていくところだ。
まるで戦前の時代の空気を象徴的に描いているようだ。
周囲の抑圧めいた空気に皆が乗せられていく様を暗喩しているようでおもしろい。
そしてそういった空気もまた、人のアイデンティティを奪っていくことを示しているようにも見え、感心しながら読んだ。
たぶんこの手の作品は理解しようと思ったらダメなのだろう。
わからないなりに伝わってくるふしぎなイマジネーションと、何とはないメタファーの手ごたえをこそ楽しめばいいのかもしれない。
この作家の作品は必ずしも趣味ではない。
だが、少なくとも読み手をふしぎな領域へと運んでくれる。
そういった不可思議で不可解な感覚が、心に残る作品だった。
評価:★★★(満点は★★★★★)
そのほかの安部公房作品感想
『箱男』
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