私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『箱男』 安部公房

2011-08-04 20:40:13 | 小説(国内男性作家)

ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神溢れる書下ろし長編。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『箱男』とは、箱というメタファーを通して語られる、単純なシュールレアリスムの小説なんだろうなと、この本の1/4くらいまでの段階では思っていた。
実際、箱はどう見てもメタファーとしか見えない。
物語自体も、箱を、都会における無名性や、他者との接触の回避と絡めているように見え、暗示的である。

だけど物語は、そんなシンプルなメタファーの物語から、僕の予想を越える方向へと逸脱していく。
語り手はいつの間にやら、信頼できない語り手に変わり、物語の内容も、どこまでが現実なのか、どこからが空想の産物なのか、さっぱりわからなくなってくる。そして最終的には、メタ小説の境地に至ってしまう。

そんな後半の展開に、僕は呆然とせざるをえなかった。
この内容をどう捕らえればいいのか、わからず、難解だなという印象が強く残り、途方に暮れざるをえない。僕にはハードルの高い小説だったようだ。


しかし途方に暮れているだけで終わってしまうのも何である。
ついでなので、わからないなりに解釈というか、ざっくりとした読み解きにでも挑戦してみよう。


『箱男』は、ダンボール箱で体全体をすっぽり覆ってしまったカメラマンの話である。
彼の言によると、箱男は、都会ではよく見られる存在であるとのことらしい。そんな箱男に、一人の看護師が近づき、あなたの箱を買おうと提案する。女がその箱を買おうとするのは、彼女とつき合う医師を箱男にするためなのであった。

と、そういう話なのだが、その物語が現実に起こっていることなのか、箱男の妄想なのか、さらに突き詰めるなら、箱男の妄想ですらないのかということがわからない。
叙述されている内容は、時系列通りに追うと、かなり複雑だ。


主設定である箱男は、匿名的な存在であることが、早い段階から示される。
実際、自分の体を箱で覆ってしまえば、目の前にいるのが誰なのか、まったくわからなくなってしまう。

そんな匿名性を利用して、箱男たちが行なうのは、「覗く」ということであるらしい。
匿名性の影にかくれて、彼らは世界をのぞくのだ。

この物語で、「覗き」は主として性的な事象に集中されているけれど、同時に、人が相手を見るということ、人に自分が見られるということの関係性に踏み込んでいるようにも感じられた。
人は見ることに執着するけれど、自分が見られるということには嫌悪する。
人がそれを嫌うのは、見られるという行為が、一種の暴力的な行為(「晒しもの」の例証や、≪Dの場合≫から、そう感じる)でもあるからかもしれない。

つまるところ、人は匿名性の影にかくれていたいのだ。
箱男が虐待されるのは、見られることなく、見るだけに終始する卑怯に対して、糾弾しているということかもしれない。


そのように物語中で展開される、覗く、見る、見られる、という関係性から、僕は次のような印象を受けた。
それは、人は見られることによって、他者から認識され、そこで初めて存在を意識されるのではないか、ということである。
見られるという、一種の暴力的な行為を通じて、人は存在を獲得しているのかもしれない。踏み込み過ぎかもしれないが、僕はそう見える。
あるいは、覗きが性的な事象に集中しているのは、そのこととも関係しているのかもしれない。相手の中で、自分の存在が強く認識されるという状況は、恋愛にも通じることだからだ。

そして本作が、途中から誰が書いているのかわからなくなるのも、見られることによって、自己の存在を獲得する、ということと関係しているのだと感じる。

箱男と贋箱男は、自らの認識はともかく、他者から見れば等価である。
置き換え可能の、等価な存在になった二人なら、語りが置き換え可能になるのも、ふしぎではないのだ。
つまるところ、箱男という匿名性が、自己の存在を危うくしているのだ。
そしてその危うさから、逃れるために、彼は妄想の中に没入していくのである。そのように僕は受け取った。


そういう意味、この物語は、自分の中に閉じこもることでアイデンティティを見失いかける男の物語であり、そのアイデンティティの拠り所を、自身の思考(妄想)の中に求めていく物語、ということなのかもしれない。
そしてその妄想すら、他者と置き換え可能であり、自分を確立する境界は、結局のところ、きわめてあいまいなものでしかないということを記しているのかもしれない。

うん、ぜってぇちがうわ、これ。


きっと、『箱男』は、百人読めば百人の解釈や受け止め方があるのだろう。
本作は僕では到底受け止め切れない、小さな設定の大きな話ということのようだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

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