愛しきものたち

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奈良市 般若寺笠塔婆

2012年07月26日 | 石塔:石造物

日本では最大最優美なる笠塔婆、前回紹介の般若寺十三重石塔のすぐ脇の境内に建っていて、見るものを圧倒させる。

この笠塔婆は十三重石塔を造った伊行末(いのゆきすえ)の嫡男 「伊行吉(いのゆきよし)」が、亡父の一周忌にあたり、一基は父のため一基は現存の母の後世のため建立した笠塔婆で、刻まれた梵字漢字は鎌倉時代独特の雄渾な「薬研彫り」の代表例とされ、他の銘文は石造美術の貴重な資料となっている。

元、寺の南に在った般若野五三昧(平安期、畿内の代表的な五火葬場)南都の惣墓の入口に建っていたが、明治の廃仏毀釈に遭い、その後明治25年ここ般若寺に移されてきたようです。

笠塔婆は低い板石を基礎に、幅57cmの板状塔身の上に方形笠と宝珠を置く、至って簡素な造り。

同様の笠塔婆が南北に二基並び建ち、北塔総高476cm、南塔総高446cmと見上げても更に高い。

正面向かって右、南塔には 上部に釈迦三尊、下部に胎蔵界五仏の種子、右手北塔にも同様に阿弥陀三尊の種子と、下に金剛界五仏の種子を雄渾な薬研彫り梵字で表す。

南塔下部から北塔下部に続く長文が石工伊行末(いのゆきすえ)の、来朝とその業績伝えているが現在判読は困難。

北方向から・・・笠塔婆の向こうに十三重石塔が見える。

南方向からの裏面。

奥の北塔には胎蔵界大日如来の種子と梵文二行を、手前南塔にも胎蔵界大日如来の種子と下に光明真言種子二行を刻み込む。

東南方向から

いずれにしても日本の石造美術界に大いなる影響を与えた伊一派の記念碑的な笠塔婆で、鎌倉中期の弘長元年(1261)七月造立、国の重要文化財に指定されている。

撮影2011.6.29:2006.10.31


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