蓮華の咲き乱れる野原で生まれ

いままで継続して日記を書くことのなかった「わたし」が、また継続できないことを予感しつつはじめる日記です。

ムショーに映画の観たくなるとき

2004-11-25 11:54:23 | diary
クローズ間際、すべりこみで「2046」を観た。

ウォン・カーウァイはかなり好きな監督の一人。
映画ととても親密な関係になれる、そういうところが好きだ。
数年ぶりに幼なじみと再会したときに感じるような。
懐かしくって、浮き足立って気が逸るのに、うまく言葉が出てこなくてなんだかもどかしい。
ちょっとうつむきながら、揺れるタバコの煙をじっと眺めたりしてる。
でも、満ち足りたような、なんか自然な落ち着きがやってくる。

こういう映画は観たあと静かな幸福感があるし、三日くらいはその幸福感で生きていける。

今回観た「2046」もけっこう良かった。
いろんな人が誰かを求め、そして求めたものはついに得られない。
希求と失望は幾たびも繰り返され、空間的には上海・シンガポール・東京へと、時間的には60年代から2046へとズラされながら、誰が誰を求めているのかさえ判然としなくなっていく。
求める言葉と、沈黙の答えによる永劫回帰。

「そうなんだよね」「うん、そうなんだよ」
シアターの中に淡い紫色をした溜め息が揺らめいている。


・・・でも、最後がちょっと不必要に長かったかな。
ハッピーエンドの書けない小説家が、原稿用紙を前に1000時間座っている。
追憶のなかの1000時間。
それで終わっていいんじゃないかな。

耳はなぜいつも開かれているのか?

2004-11-21 23:20:05 | diary
母が帰った。

昨日、10時10分の新幹線で着き、
今日、20時12分の新幹線で帰った。

その34時間のあいだ、私と妻とのささやかな家庭に言葉の大空襲をしかけ、そのつましい家庭が完全に潰えたのを見届けるようにして母が帰った。

それは私たち夫婦の根底を揺るがすような特別なミサイルを用いられたわけではない。人の人格を破壊し尽くすことを目的として作成された核爆弾を用いられたわけではない。
いわば、二人だけを狙った執拗な機関銃による攻撃だった。照準はハナから我々を捕らえている。そして、マシンガン攻撃を見事的中させ、飛び去ったように見えてすぐさま踵を返すように反転し、照準を再び我々に合わせる。しつこく、そして銃弾は尽きることがない。

自侭な生活スタイルを続ける父親への愚痴、近隣に住まう人々のゴシップ、TV番組(母はサスペンスドラマを異常に好む)批評、週刊誌の不埒な話題・・・。
私たちはそのどれも聞くことを好まない。私たちは一言もそんなことに耳と心を貸したくはない。
私は耳をはずし、これみよがしにコタツの上の母の目の前へそれを投げつけてやりたかった。
それでも母の空襲は続けられる。
食卓で、車のなかで、レストランで、美術館で。34時間にわたって――もちろん、眠っていた7時間30分は除く――間断なく、そう本当に間断なく彼女は喋りつづけた。
私と妻とのいつもの会話よりも、少し高いトーンで、少し大きな声で、少し速いテンポで。
仕方ないのだ。彼女の来訪を受け入れた私は、彼女の爆撃を潔く受け入れなければならない。


私たちは破壊された。
きっと、母が想像すらしなかったほど破壊された。

それでも私たちは泥をかぶりながら生き延びたが、二日間の休日を自己回復に用いることのできなかった私たちは、この一週間を乗り越えることができるだろうか?
とくに私と違って、今日の日曜日と火曜の勤労感謝の日のあいだの月曜に休みをとっていない妻は。

今度は妻の怒りがカウンターアタックを始めることだろう。
彼女の怒りは爆撃ではない。それは刺客の切っ先だ。
彼女は静かに、確かな手順と段取りで刃を研いでいる。

さあ、風呂に入ろう。
しっかりと身を清め、私は白装束を着る。

鏡像段階

2004-11-17 22:17:45 | diary
およそひと月前、私は地獄のような一週間を過ごしました。
あのときの気も狂わんばかりの、心臓を黒い鎖で地底につながれたような苦しみはもう勘弁願いたいものです。

妻との一週間の不仲。
なんだそれは。なんてことないじゃないか、そう思われることと思います。しかし、思い返せば大学二年に交際を始めてから十年間、そもそも一週間と離れたことはなかったのです。しかも、一年半前からの単身赴任生活。
顔も見えない、電話にも出ない、メールの返事もない。
500kmを隔てた完全なる別離。
このようなことで一喜一憂するなど、遠洋漁業を生業としている漁師の方に聞かれれば一笑に伏されてしまうでしょう。
しかし、私は遠洋漁業に携わっているわけではありません。私は一週間足らずの妻との不仲で、自らの半身を失ってしまったと感じてしまう、そういう私でしかないのです。


一週間も最後の方になると、私の想像はどんどんおぞましい方向へと向かっていきました。
妻の死体。数日前に絶たれてしまい、すでに人としての表情を失ってしまっている。
想像するだけで私の脳は悲鳴をあげ、そしてその想像は自分でいくら根拠のないものと打ち消そうとしてもまったく効果なく進展を続けるのです。(そして、遠くの方で理性が声を張り上げていた通り、それはまったく根拠のないものでした。)

そうした重苦しいイマジネーションをまとった生活にあって、私がつい避けてしまったこと。
それは鏡を見る、ということでした。
自分の内的風景はあまりに荒涼として、先にも書いたように自らの半身を損なってしまった、そうした実感を私は抱いている。
にもかかわらず、目の前にはいつもの変わらぬ容姿をした、全き自分が自立している。そいつは自分の心のなか、もしくは喪われてしまった生きる力は反映することなく--すなわち、半透明に透けることもなければ、輪郭がぼやけてしまうこともなく、いつもと同じ何食わぬ顔で立っているのです。

それはラカンの鏡像段階を想起させました。
内的実感と客観的画像のギャップ。
ラカンの発達心理学では、幼児は鏡の中の自分を覗き込むことによって独立した自画像・自己イメージを取り込んで発達していく。その際には、未分化な身体機能や不明瞭な自他の境界線が一気に反転することによる行き過ぎた自己完結感さえ獲得していく、ということだったように思います。

私の鏡像の場合、彼は私に襲いかかってくるのでした。
妖しく光る彼の視線。

できるならば、もうあの視線にさらされたくはない。

祈れる者のごとくに

2004-11-10 09:23:20 | letter
ヤマサキ、元気にしてるのかな?
今日、ふと君のことを思い出しました。

あいも変わらず僕は種種雑多な音楽を聞いています。
そして、今日も種種雑多なBGMに乗りながら車を運転していた訳ですが、ふと「一番好きな曲ってなんだろ?」と思ったのです。
わりといろんなジャンルを聞いて、けっこう好きな曲もある。でも、一番ってどれ?
しょうもない話だけれども、昨日も似たような質問を受けてちょっと詰まってしまう経験をしました。
というのも、僕は何年か前からミラニスタなわけですが、「ACミランで誰が一番好きなんですか?」って聞かれたわけです。
うむむむ。
注目しているのは昨年獲得したカカがこれからどのように伸びていくか、ってこと。
でも、シェフチェンコのなぜか毎試合ゴールを決めてしまう決定力は魅力的だし、ネスタのディフェンスは守備であるにもかかわらずカッコイイし、マルディーニはあの通りやっぱマルディーニだし、ガットゥーゾのひたすらボールを追いかけて走る姿はなんだか自分の生き様を見ているようで・・・。

結局、ミランのプレーヤーについての質問には答えられなかったわけだけれども、「一番好きな曲」っていう自問については自然と自分の中から答えが出てきたのでした。

 -- Madonnaの「Like a prayer」。

なんなんだろ。いろいろなものを聞きかじってきて、結局マドンナっていうのが笑えるよね。
しかも、考えてみればこの曲は僕が中学2年のとき、初めて聞いた洋楽なのでした。
そして、そう。そのアルバムはヤマサキから借りたものだったのです。
あれから15年。お互い全然違うところで、全然違った生き方をするようになったわけだけれども、こんなところにまだ結び目ってあったんだね。

マドンナ、ボビー・ブラウン、ボン・ジョヴィ・・・。
あのころから僕らは節操なく、チープで滑稽な音楽にはまっていた。
そのチープさと滑稽さは僕らの青春を語る上では欠かせないし、きっと僕たちの人生にはチープさと滑稽さがきっちり刻印されている。
そんなチープで滑稽な僕たちの人生がいつまでも続くことを祈っているよ。マドンナのように。


ほんとだよ。

釈尊の出世の本懐は

2004-11-02 17:24:38 | war is stupid
夥しい情報の量。
夥しい思惑の量。

夥しい見解の相違。
夥しい知識の相違。

夥しい情念の固執。
夥しい正義の固執。


いかんともしがたい不確実性のなかで私たちは生かされているようです。
その不確実性を直視すれば、眩暈さえ覚えてしまいます。
一体私はどこにいて、どこに向かおうとしているのか・・・。
自分の足場さえ溶解していく心地です。

けれど、私は動き出さずにはおれません。
たとえ、自分の足場が昨日思っていたほど確かなものではなかったとしても。
いいえ、確かでないからこそ動かざるをえないのです。
この世界が名状できない無数のストリームの絡み合う場であるとするならば、私もまた一つのストリームを形成することに責任をもたねばなりません。

私の信奉する日蓮大聖人の言葉---

  “教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ”

釈尊が世に表れ出た真意、すなわち仏法を表した目的とは「人としての振舞い」にある。
仏法とはただ寂然として、己の心の平安を求める信仰のように捉えられがちですが、古代インドの釈尊しかり、鎌倉時代の日蓮大聖人しかり、その行動範囲は意外と広いものです。両者ともに信念に支えられた行動の人であった、というのが私のイメージなのです。
「縁起」--すべてが互いに縁りながら生起する、そのような複雑怪奇な関係性としての世界観を打ち立てながら、なおかつその不確実性に倦むことなく行動した先哲たち。
彼らを敬愛するものであれば、また彼らと同じ道を行く覚悟をいたすべきではないでしょうか。

私自身が限られた情報、限られた思惑、限られた見識と知識、限られた情念と正義感に煽られた存在であることを意識しつつも。



「行動」ということを考えるとき、私がいま気になっている一つのアクションがあります。
それは、井上ひさし氏や大江健三郎氏が呼びかけ人として発足した「九条の会」です。
これはテロとの戦争や極東有事に煽られながらなしくずしになりつつある、もしくは改憲論(これは昔からあるワケですが)の出ている憲法九条を積極的な態度をもって守っていこうとする会のようです。
私は以前から大江氏の作品を愛読していたこともあり興味をもったわけですが、いま一度憲法を読んでみたいと思いました。

今後もまた、なにか面白い発見があったらご報告いたします。
これまで5回にわたり、克巳さんへのご返事をダラダラと書いてきました。
時間をかけた割りにはとりとめもなく、なにかの結論が出たわけでもありません。
でも、それも一つのストリームということで・・・まあ、ご容赦ください。