はじめての富士山登頂。
夜、21時半。富士山五合目から登山開始。
男ばかり五人。今日は安倍川の花火大会だけれど、素敵な浴衣女性がいるわけでもないので仕方ない。
火山灰に覆われた山だけあって足場は悪く、踏むたび沈んでしまうので足腰に響く。
なかなか侮れないぞ、この山は。
七合目を過ぎた当たりになると星が近く感じられる。帯状の天の川が美しい。そこここに流星が現れては消えていく。
途中、一人に高山病の初期症状があらわれたので、10分進んでは10分休憩するペースに。
八合目過ぎ。眼下に広がる雲の一部がむくむく立ち上がってくるのが見える。
時折、その積乱雲の塊が稲光に輝く。
瓦礫の山にへばりつくようにして登りながら、いつも遠くから眺め、その雄大さに心励まされている富士の姿を思い描く。
そして壮大なる芙蓉峰にしがみついている矮小な自分。
自分の存在がちっぽけであることを自覚するとともに、自分の縁がどこにあるのかが認識されてくる。
そうだ。自分はこのちっぽけな自分をフル回転させながら生きるほかない。
巨大な岩山に無様にしがみつきながら、しぶとく一歩一歩前に進んでいくのだ。
富士は踏破すべき対象ではない。
わたしを抱き、試み、慈しむ偉大なる他者であり、わたしと彼とのあいだには永遠に交感運動をつづけるリングがある。
朝、4時半。とうとう日本でもっとも高い場所に辿り着いた。
10分かそこらで空の色がめまぐるしく変わっていく。
視界の限りに広がる雲海をまたたく間に金色に染めながら太陽が昇る。
諸源の光。
世界が産まれくるときを目の当たりにし、体が硬直する。
これは天地開闢のときを追体験しているのだろうか。
夜、21時半。富士山五合目から登山開始。
男ばかり五人。今日は安倍川の花火大会だけれど、素敵な浴衣女性がいるわけでもないので仕方ない。
火山灰に覆われた山だけあって足場は悪く、踏むたび沈んでしまうので足腰に響く。
なかなか侮れないぞ、この山は。
七合目を過ぎた当たりになると星が近く感じられる。帯状の天の川が美しい。そこここに流星が現れては消えていく。
途中、一人に高山病の初期症状があらわれたので、10分進んでは10分休憩するペースに。
八合目過ぎ。眼下に広がる雲の一部がむくむく立ち上がってくるのが見える。
時折、その積乱雲の塊が稲光に輝く。
瓦礫の山にへばりつくようにして登りながら、いつも遠くから眺め、その雄大さに心励まされている富士の姿を思い描く。
そして壮大なる芙蓉峰にしがみついている矮小な自分。
自分の存在がちっぽけであることを自覚するとともに、自分の縁がどこにあるのかが認識されてくる。
そうだ。自分はこのちっぽけな自分をフル回転させながら生きるほかない。
巨大な岩山に無様にしがみつきながら、しぶとく一歩一歩前に進んでいくのだ。
富士は踏破すべき対象ではない。
わたしを抱き、試み、慈しむ偉大なる他者であり、わたしと彼とのあいだには永遠に交感運動をつづけるリングがある。
朝、4時半。とうとう日本でもっとも高い場所に辿り着いた。
10分かそこらで空の色がめまぐるしく変わっていく。
視界の限りに広がる雲海をまたたく間に金色に染めながら太陽が昇る。
諸源の光。
世界が産まれくるときを目の当たりにし、体が硬直する。
これは天地開闢のときを追体験しているのだろうか。
歯がゆくなるけど一方でそれで当然だとも思う。
ほんとに、すごい。
「天地開闢のときを追体験」は出来ないけど
でもそのうちの切り取られた小さなひとコマに
感動を覚える。
富士登山シーズンらしく、すっごい人たくさんいたけどね。。
でも、御来光をみたときは、自分と太陽と目覚めたばかりの世界だけしか存在してなかったな。
いいから、登ってみたい。
中学時代に「芙蓉の人」を読んでから、
富士登山はあこがれです。
お目めぱっちりねぇ。。。
息をのんだ。
富士山はまだ登ったことないけれど。
見上げるたびに。それだけでもなにか心が大きくなるように思う。
蓮華さんの文章。とても印象的で。
なにかココロの中が洗われたような思いがした。
もしも登ったら。
同じことを感じるのかもしれないなぁ。。。
お目めぱっちりさんですよ。やっぱり。
表現かわいくて合ってると思うけどなぁ☆
ぜひぜひ、いっぺん登ることをお薦めするよ!
・・・二度と登りたくないけどね。
でも、3000m以上の山をあれだけ気軽に登れるのも富士山の魅力やからねぇ。
>ひよこどの。
子どももわりと登ってたね。
でも、その前の日に一合目から一気に登って降りるっちゅう過酷なレースがあったらしいのやけど・・・高齢者が一人亡くなったって。
やっぱり甘く見ちゃいかんのやで。
>cotoriちゃん。
同じこと感じてもらえると思うよ!
ある意味、虚空会の儀式に近いかも。
でも、だからこそ私たちは現実社会に再度帰ってこなければいけないのですよ。
二処三会ですからッ!