もなか の介護はつらいよ

母が倒れた時に「私が守ってあげる!」と心で誓ったけれど。
あれから20年。B型の私が自分のペースを取り戻すまで

友達って

2014-12-30 09:33:36 | 日記
友達って、何だろう・・・

困った時に助けてくれないなら、友達なんかじゃない
と思った事あります

4年くらい前に母が夜中にも何度も起きて、
私を呼んでトイレに行くと言い張った時がありました。

24時間、母の介助で
私はほとんど眠れなくなりました

眠剤を使って眠り込んでしまうと
母が呼んでも聞こえないんじゃないかと思い
薬は使えない

その頃はもう仕事を辞めていたので
「昼間に眠れるから大丈夫」と思ったけど

母はデイサービスさえ休み、
昼間も私は1~2時間しかまとめて眠る事はできなかった

フラフラして、家の中の柱などにぶつかって歩くような状態だった


そんな中、元親友が2度ほど心配して訪問してくれた

彼女はヘルパーの仕事をしているし
実の老父の家に同居し、食事の面倒をみている

彼女には私の父が認知症で骨折した時や、母が転んで動けなくなった時に
相談に乗ってもらっていた


その彼女が心配してウチにきてくれて
「どう?眠れてる?」と聞いて
私が
「全然眠れなくて、フラフラなんだぁ」と答えたとき

私は心の中で
「1時間くらい私がお母さんをみててあげるから、少し眠っておいで」
とか、それに近い事を言ってくれる事を期待していたようだ


実際は
満面の笑顔で彼女は世間話をし、これから自分の趣味の集まりに行くと言った

私はたぶん、眉間にしわを寄せていただろうけど
一応彼女の世間話に相槌打った気がする

彼女は夕飯のおかずを2種類くらい持ってきてくれていた

彼女が帰った後
「誰も助けてくれない、誰も助けてくれないんだ」と
私は声に出して言って
夫がオロオロしていた

その頃の夫は、自分にできる事は助けるよ・・・と言って
せっせと料理をしたり、掃除機をかけたりしていた

私は
私に代わってくれる人が欲しかった
1時間か2時間、私を介護から解放して欲しかった

でも、母のトイレ介助を夫は「できない」と夫は明言したし
私も遠慮した


だから、24時間、いつでも不穏(後でわかった)でトイレに神経質に
なっていた母の世話は
私一人で担う事になった

ヘルパーさんを頼んでも、1時間のうちに1回か
よくても2回トイレ介助してもらうだけで
それ以外の20回近い回数は私だった

だから、私はウチにお惣菜をもってきてくれた友人に対して
「友達がこんなに困ってるのに、笑って自分の趣味の話をしていくなんて
ヒドイ人」という感情に走ったのでした


それから、私の心の奥のわだかまりが伝わったのか
彼女は来なくなったし
私も以前のように何でも話す気持ちになれなくなっていた


それが

悲しい知らせ

2014-12-28 20:18:23 | 日記


私がブログを書こうかと思い立ったのは、
日々葛藤する自分をさらけ出して、自分を客観的に見たい気持ちと

高校2年の時に仲良くしていた同級生が
一人っ子でご両親の介護している

それでみんなが集まる機会に出てこれなくなったと
聞いていたので

その彼女はどうしているだろう、独身で一人っ子で両親の介護はキツイだろう
話ししたいと思った

もしかして、介護関係のブログみて
私の所にたどり着かないかな~

なんて思ったのでした


ところが、先日の忘年会で彼女が10月に亡くなったと聞きました
すごく悲しい

50代で亡くなる事もそうだけど
介護を終えて、その後にガンで亡くなるとは。

辛さとか寂しさとか、支えてくれた人はいたのだろうか・・・と
思わずにいられない

もしかして、充実した楽しい人生だったのかもしれないし
介護も、私のように辛い辛いと思わなかったかもしれない

でも、悲しい知らせだった

いつ、自分だってどうなるか、わからない
今を後悔なく生きなくちゃね

だから、やっぱり1月もショート1週間行ってもらわなきゃ
ウチの母が100歳まで生きてもいいように



ああ、腸閉塞パート2 薬は怖い

2014-12-28 13:29:12 | 日記
10月末に退院したその足で、最初の病院の先生の受診をしました
その時「11月末ころには、すべて落ち着きますから」
と言われて安心していた

12月に入って
大分体が落ち着いてきたかな~と思っていたけど
忘年会の前に腸の調子が怪しくなった

ネット情報を得て
ヨーグルトだけとか、おかゆに卵とか、リンゴとか
そんなものだけ食べて、お腹の違和感をなくそうとした


ネット情報では2日くらいで違和感がなくなるとあったけど
私は1週間かかった

やっと良くなった・・・と思って普通に食事をすると
とたんにまた
常に胸がムカムカしていたり、お腹がいつも少し痛い、お腹が張る
という状態になってしまった


朝食にトーストを食べたり、昼食にみかんを食べただけで
症状が強くなる

入院しても絶食するだけだから、家で食べないでいればいいのか・・
と、投げやりになった

すぐ近所のクリニックが主治医と私は思っているので
行くと
腸閉塞のことを「それはわからない、手術した医師じゃないと。データがないし」
などと言った
「はい、はい」と私は頷くしかない、先生のおっしゃることはごもっとも。

でも
「手術した先生は婦人科だけど、退院後の腸閉塞についても婦人科へ行くのですか?」
と疑問を投げかかると
う~~んと言って「じゃ、診察しようか」と
お腹を診てもらう事に。


お腹を触って診察したのは、この先生が初めてだ
最初の婦人科で夜中じゅう苦しんで、翌朝担当医師と消化器科の先生2名が
診察に来た時も

次の入院先の外科医たち3人も
『触診』はしなかった

私は昔の人間のせいか、触診してくれる方が人間的でいいような気がする

レントゲンの画像をPC画面で医師だけが見て、
「問題ない」と言われても
患者の私はなんだか信用しきれない


話は戻りますが
近所の主治医の医師が「じゃー、今度痛くなったらまたおいで。レントゲン撮ってみよう
漢方薬と下剤を出してあげるから。あーこの下剤は腸を動かすから腸が癒着する場合
あるんだよなー」

でも、その下剤は入院先から出ていて毎食後に飲んでいたものなので
大丈夫ですと、私は言った


その医師は痛い時はお腹を温めなさい、とも言ったので
その晩私は得意の『ペットボトル湯たんぽ』を抱えて寝た

今回は500ミリの小さいペットボトルに、少し熱めのお湯を入れるだけのもの
以前、異常に体が冷えた時は大きいペットボトルを使っていた

これは、お勧めですよ
簡単だし、湯たんぽのようにカバーを使わないので
お湯の暖かさが優しく伝わるんです

そして、適度に温度が下がっていくので安心
キャップをきちんと締めると、お湯が漏れることはありません

そして、もしや・・・と思って、その下剤を飲むのを休んでみました

すると、次の朝から
お腹の痛みは和らぎ、ムカムカが治まりました

お腹を温めたのが良かったのか、下剤を飲まずにいたのがよかったのか
精神的な問題なのか。

それと、食べる時には良く噛んでるつもりでも、自然に喉に落ちているのが
わかったので、

食べ物は全て 口に留まらせて、よく噛み砕いて、それから呑み込む
という事を意識して行うようにしました

そうしたところ、普通の食事は出来るようになりました

普通の食事とは、焼き魚に大根おろしに煮物に味噌汁にご飯・・みたいな夕食
トースト1枚、ヨーグルトにジャムにオリゴ糖、くだもの、紅茶・・朝食
鶏肉入りのうどん・・昼食

下剤は2種類出ていたので、寝る前の1種類だけにして
少し便秘の心配は残るけど

休んでる下剤は、看護師さんが
「これは便を柔らかくするものです」と言っていて、副作用など書いた紙は
渡されなかった

ネットで見てみると、副作用に「まれに腸閉塞」とあった

自分の体は自分で守れ!デス

薬は1か月くらいは大丈夫でも、後に副作用が出る事もあるってこと
そして医師は薬について詳しいとは限らないのでネットで調べるか
薬剤師さんに聞くのがいいらしい


薬を飲んでいて、調子が悪くなったら
薬の副作用かも・・・と思う事が必要みたいです







ああ、腸閉塞・・・

2014-12-26 22:00:55 | 日記
私は10月に婦人科で開腹手術をして、9日間で退院予定が
腸閉塞を発症したために18日に伸びました

「もう大丈夫だから、あした退院ね」と急に言われて退院
翌日の夜に豚汁を食べたら、さぁ大変

寝る頃になってお腹が痛みだした
ああ、まただ
と思いました。治ってないじゃん!


這うように2階の寝室へ行き、取り敢えずベッドへ
夫に大丈夫だから・・・と言うと
隣の部屋で彼はすぐにイビキをかき始めた


救急車を呼ぶべきか、朝になってから病院へ行くか・・・
ベッドで痛みに耐えながら、また前の時と同様に
スマホで検索しまくる


スマホ、ネットは有りがたい
知りたいことを何でも教えてくれる
夜中でも


で、相当な痛みがある時は躊躇せずに救急車を呼ぶべきと
あった


そうこうして5時間耐えていると、痛みが和らいできて
眠りにつけた

前回の時は病院に入院しているにもかかわらず、救急車を呼びたくなった


次の朝、手術してくれた病院へ電話すると
折り返しの電話で担当医師が
別の病院の外科に行くように言った

指定された病院に入院すると、
手術するかどうかを判断するのに、また絶食と検査の日々
結局9日間入院して手術せずに帰ってきたのでした


その時もそこの外科の医師が
突然「明日、退院してね、どこかの腸が細くなったるんだね、センイが多い食べ物は食べないように」
とだけ言った

不安で看護師さんに聞くと
「少しなら良く噛んで食べて大丈夫です」

「当分の下剤をお渡ししますけど、無くなってもここの病院には来ないでください、
前の病院でもらってください」
と言われた


最初の婦人科、次の外科、要するに手術が必要ないと診断がでたら、速攻帰す
腸閉塞についての詳しい説明もなく、自宅での生活の指導は皆無に等しかった


でも、先生たちを恨む気持ちにはならない
何故って、とても忙しそうだから

毎日、手術、手術、手術のせかい~~

だから手が回らない、気が回らない、「取り敢えず帰って、酷くなったらまたおいで」
ってカンジ


流行ってる病院は、病人が多くて医師はテンテコマイ

医者の味方してどうする・・・
わたしゃ、ヒドイ目にあってるのに・・・

書きたいことが書けなかったなぁ




ショートステイの重要さ

2014-12-24 11:56:03 | 日記
馴染みのヘルパーさんの一人が
世間話のように

自分の義父は生前ショートステイに
一週間行かせたら

帰ると、怒って''あんな所2度と行かない"と言った、
と話した

その話を母はずっと覚えていた

それ以外はネット上で知り得た話だけど、

ショートに行かせると、帰るとボロボロになってる、とか

ずっと寝かされっぱなし、とか

やはり本人がもう2度と行かないと訴えた、等の話を聞く

それらの情報と、実際に母が泣いて嫌がった経験があり
利用を躊躇していた

在宅介護も、2年とか、5年と期限つきなら、1人でも頑張れる
と思う

ても、そうはいかないので
1人だと行き詰まる

今回
私は急に一ヶ月入院して
いかに自分がストレスでギリギリだったか
が、分かった

そして、12月に一週間ショートを利用してみて、
そして母が意外にも怒ってなくて、

なんてリフレッシュ出来るんだろうと
感激した

一ヶ月に一週間
介護する家族が休みをもらえたら、
穏やかに残りの日々を介護できると
思った

そのシステムは
ショート事業者、世話してくれる職員
にかかってる

介護度が低い人も楽しませるデイサービスよりも
是非ともショートステイに力を注いで
頂きたい

スタッフの給料上げて欲しい