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「モーツァルト 生涯とその時代」~ザルツブルクの少年時代 1756-1762(その2)

2008年11月07日 | pocknと音楽を語ろう!

ブリギッテ・ハーマン著
「モーツァルト 生涯とその時代」
(2006)より

「ザルツブルクの少年時代 1756-1762」その2

それから少ししてまたモーツァルト家に素敵な出来事が起こった。ある日シャハトナーがレオポルドのもとを訪ねると、4歳のウォルフガングが何か夢中になって書いていた。幸いにもシャハトナーはその時の様子を書き記している。

「何を書いているんだ?」とお父さんが尋ねると、ウォルフガングはとても忙しそうに「ピアノコンチェルトだよ。第1楽章がもうすぐできるんだ。」と答えた。父はウォルフェルが「パパ、弾いてよ」と言ったり、ザルツブルクの宮廷作曲家である父のようにコンチェルトやシンフォニーを作曲できるかのように振る舞ったりするのが好きで、誇らし気に微笑んで、「どれ、見せてごらん、きっと素敵な曲だろうな。」と求めると、ウォルフガングは「だめ、まだ出来上がってないんだから。」と退けた。父はそれを取り上げて眺めたが、初めはインクの大きなシミしか見えなかった。この子はインクにペン先を浸し過ぎて書くたびに紙に大きなシミを落としてしまっていた。それを手で擦り取ろうとするものだから、益々汚れる一方だった。

しかし父がよーく見ると、シミだらけの紙の中に音符が記されているのがわかった。4歳のウォルフガングは楽譜を読むことはできても正しく書くことはできなかったので、書き方はメチャメチャではあったけれど、それは紛れもない音楽だった!

友人のシャハトナーは仰天した。レオポルドは音符が書き記されたインクのシミをじっと見つめ、嬉しさのあまり泣き出した。「ほら見てごらん、どの音符もちゃんと規則通りに並んでるよ。」興奮してそれをシャハトナーに見せた。「だけどこれは人間の手には負えないくらい恐ろしく難しくて弾けないなぁ。」

「コンチェルトにすればいいんだよ。」それを遮ってウォルフガングは自慢気に言った。「発表するにはたくさん練習がいるけどね。」と言ってピアノのところへ行き、どんな風なコンチェルトを考えているかを見せようとしたがうまくできなかった。父親と友人のシャハトナーはそれでもウォルフガングが何をしたいのかを理解した。それは難しくて複雑なピアノのためのコンチェルトで、実際に弾くには難し過ぎるが、正真正銘の音楽であることを。

ウォルフガングは作曲したがり、和音をどう響かせ合うかといった方法を知りたがった。4歳の子供には難し過ぎはしないか? しかしこの子はお父さんにねだり続け、教えてもらうことになった。

後にレオポルド・モーツァルトは作曲を教え始めたときの様子を語っている。初めはこの子に「盗む」ことを教えた。それでウォルフガングはそれまで知らなかった音楽をすぐに覚えてしまった。そこでレオポルドはそのメロディーに自分流にごく簡単な変奏を加えさせてみた。ウォルフガングは楽しそうにそれをやり、うまくできるとたくさん誉めてもらえた。
♪♪♪

楽譜を自分で書くのはまだ大変だったので、たいていはウォルフガングがビアノで弾いた曲を父親が五線紙に書き留めた。そうして一歩一歩上達していった。レオポルド・モーツァルトは比類のない才能を見せる息子へ音楽教師として益々力を注いでいった。

ウォルフガングは5歳のときピアノのためのかわいいダンスの小品を作曲し、6歳でビアノのためのメヌエットとトリオを作曲した。この曲は後に、大作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品目録として有名なケッヘル作品目録に作品番号1番として収録された。

音が大き過ぎ、きれいな音とも言えないトランペットだけは少年モーツァルトには耐えられなかった。宮廷兼軍隊トランペット奏者のシャハトナーは寂しそうに「あの子にトランペットを向けるのは、ピストルを胸に突き付けるのと同じことだ。」と語った。父モーツァルトはこの子の恐怖を取り除くため、ある日シャハトナーに、この子に向かってトランペットを強く吹かないように頼んだ。シャハトナーは「ああ神さま、うっかりそんなことをしてしまいませんように。ウォルフガングくんはそんなラッパのやかましい音を聞くとたちまち青ざめて床に伏してしまうんだから…」と言うしかなかった。もしこの子が鳴り止まないラッパの音を聞き続けたら痙攣を起こし、恐ろしいひきつけに襲われたに違いない。(このトランペットに対する恐怖心はウォルフガングが10歳の頃におさまった。それからはこの楽器のためにも好んで作曲するようになった。)

友人のシャハトナーはウォルフガングについて『この上なくやさしくデリケートな感情を持っている』と書き記している。この子は「一日にしばしば10回も」友人達に自分のことが好きかと尋ね、そこで誰かがふざけて「いいや」とでも言えば泣き出してしまうのだった。この傷つき易い子の扱いには気をつけなければならなかった。

モーツァルト家の二人の子供はザルツブルクでは寂しい思いは決してしなかった。犬や猫や鳥がいて、もちろん友達もたくさんいた。お母さんは明るくてとても社交的なひとだった。友達や近所の人達や子供達、犬や猫に囲まれているのが好きで、いつでも子供も入った大勢の友人達の仲間同士で行き来していた。

その中にはゲトライデ通り9番地に住むハーゲナウアー一家もいた。その家の一階は香辛料を売る店で家じゅうに何とも言えない良い匂いが漂っていた。モーツァルト家の子供達はそこでお菓子をつまみ食いさせてもらえたが、そこの11人のハーゲナウアー家の子供達のうちウルズラがナンネルの大の仲良しだった。ウォルフガングは何と言っても10歳年上のカイェタンが弾くオルガンに夢中で、熱心に彼のためにふいごを踏んでいた。その他に大司教の侍医のシルベスター・バリザーニの8人の子供や、近侍で宮廷外科医のジロフスキの子供達がいた。
♪♪♪

日曜日には仲の良い親達が子供達と一緒に人気の的当ての射撃をしに集まった。ベルツ射撃クラブというザルツブルクの射撃協会で、夏の間は庭で行われ、冬になるとメンバーの大きな家で射撃大会行われていた。そこではみんなにウケるようなことが書かれた的を持ってくることになっていて、例えばある的には「カーター・ギロフスキはケルシュバウムの丸天井の下の敷居でケつまづいずいて転がって、オケツ丸出し」と書いてあったりという具合だが、ザルツブルクの当時の人々はあまり大げさに恥ずかしがることがなく、このカーターも自分を笑いものにしている人達と同様、そんなことをされてもお構いなしだった。

とりわけ母モーツァルトは下品なジョークを楽しんだ。彼女は好んで詩を書いたが、そこでは「シリ」とか「うんこ」とか「ションベン」といったお上品とは言えない言葉を使った。ウォルフガングは(生真面目なナンネルとは違って)これをとても面白がって自分も真似るようになるのだった。

1761年、5歳のウォルフガングは大司教の洗礼名の日を祝うある歌芝居の歌い手としてザルツブルクの仲間うちで初めて公の場のステージに立った。。モーツァルトは生涯に渡って歌うのが好きだった。教会のミサで歌う聖歌でも民謡でも、そして何より喜んで歌ったのは仲間達と歌う下品きわまりないカノンだった。
♪♪♪

モーツァルトきょうだいにとってのまず第一の存在は「お父上」だった。父親からピアノやヴァイオリンの手ほどきを受け、作曲や算数や、フランス語やイタリア語など何から何まで教わった。

義務教育というものが存在しなかった当時、二人は学校へは行っていない。その頃は殆んどの子供達が働かされた。農家の子は羊や豚の世話をし、パン屋の子は朝焼きたてのパンの配達をした。楽師の子は少なくとも何かひとつ楽器を習い、教会での演奏に加わったり、オルガンのフイゴを担いだり児童合唱で歌ったり、ザルツブルクでは印刷された譜面は使われていなかったため写譜をしたりした。

子供達の並外れた才能は日に日に明らかになり、父レオポルドは自分の人生計画を変えてこの「神童のきょうだい」のために全てを尽すことを決めた。これは彼にとっては大きな自己犠牲だ。なぜならそれまでは何よりも自分自身が良い演奏家になり、良い作曲家になり、やがてはザルツブルクの宮廷楽長になりたかったわけだから。それらの望みを子供達の将来のためにあきらめたのだ。

私達は父モーツァルトに大いに感謝すべきだ。ウォルフガング・モーツァルトほどに小さいうちから愛情たっぷりに、そして厳格に音楽の手ほどきを受けた作曲家というのはかつてまずいない。レオポルドは子供達に当時よく行われていたような、音階の練習を何時間も強いたりはせず、音楽に慣れ親しませ、子供達が自ら思いついたことをやらせたり、膨らんだアイディアを試したり、かわいいメロディーを作曲したりさせた。

レオポルド・モーツァルトは子供たちを無理やり酷使したとよく非難される。確かにこの父親は子供たちが世界中で自分より活躍するだろうと考え、ひょっとするとそれでお金を稼ぐことも考えていたかも知れない。しかし1つ確かなこと、それはウォルフガングが脇目も振らずにひたすら音楽へと突き進んで行ったこと、そして普段は他の子供たち同様にやんちゃなこの子が、こと音楽のこととなると真剣で集中力があったということだ。


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