続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻5の4 天の墜(おつる)を案ずる事

2016-11-27 | 理屈物語:苗村丈伯
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 唐土、杞という国に極めて愚かな人がいて、もし天が崩れ墜ちたなら、どこへ逃げても逃げおおせるものではないから、ついには、天のためにわが身を打ちひしがれる事の悲しさよと、常々これを歎き案じて、寝ることも食べることもできなかった。
 ここにまた、他のある人も、同じ事を案じて、先の者と二人で案じていたが、一人の者が悟って言うには、
「天というものは、陰の気(=実体のないもの)が積もり上ってできたものだから、居所もなく形もない。だったら、崩れ墜ちる事なんかないはずだ」
と言えば、もう一人がこれを聞き、笑って言うには、
「天が、もし陰の気が積もったものに過ぎなければ、日も月も星も、墜ちてしまうはずだ。日や月や星は天に掛かったまま、昼夜、巡っているが、それでも墜ちる事がないところを見ると、天には居所も形もあるのではないか」
といえば、また一人が言うには、
「日や月や星もまた、陰の気の内に含まれるのではないか。光だけがあって実体がないように見えるから、これらも気に違いない。そうであれば、墜ちてくるようなことはないだろう。また、たとえ墜ちたとしても、日や月や星はどれも小さいものだ。そのうえ天下は広いから、どこへ墜ちたって憂うに足りない」
と言えば、かの者も、ようやく合点した。

※ご存知、「杞憂」の語源となった故事です。
 現在の「杞憂」は「取り越し苦労」という意味に使われていますが、この話では、天文学の論争が決着する様子になっています。・・・もちろん、当時の科学知識の範囲内ですが。
 しかし現代では、杞憂は杞憂に終わりません。
 駄文も併せてお読みください。


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