Change my world

パワハラでうつ病に..転職し治療を続けながら働いています。只今「減薬中」です。

親父から聞かされた事

2009-11-08 08:40:27 | 思い出
 一昨日、俺が眠れなかった訳を書きたいと思います。
 昨日は眠剤ODしました。書かなきゃならないと思いました。自分の胸にしまっておけないのです。

 「親父の記憶」です。

 
 親父は当時4歳後半だった。
その時の記憶で鮮烈に記憶に残っている事は、親父の親父が両足、頭、などから血を流して、殺されかけて家に逃げて来た。1人ではなく2人で家に走って帰って来た。仕事の同僚らしかった。
 それからしばらくして、親父の親父はいなくなった。

 帰って来たのは、高校進学の時。

 約10年間いなかった。

 残された母と姉と妹、小児麻痺の兄と親父(俺の父)はとても貧乏な生活を強いられた。親父は新聞配達などの仕事をしながら家計を助けた。

その間に看病の甲斐なく、小児麻痺の兄は亡くなった。

親父は、知り合いの魚屋さんが学費を出してくれたので、高校進学出来た。





 何故、じいさんは10年間いなかったのか?
俺はそれを聞いたとき、愕然とした。。

 じいさんは刑務所で服役していたのだ。戦犯として。。

 じいさんは実は当時「K建設」で働いており、ある鉱山の所長を務めていた。
そこには、国によって強制的に連れて来られた「中国人」がタコ部屋労働をさせられていたんだ。中国人の死者もたくさん出た。
 ...そして、暴動が起きた。。中国人達がK建設の社員を襲ったのだ。中には殺された人もいた。もちろんじいさんにも危険がせまって殺されかけたけど、ひとりの中国人が「この人は殺すな」と言ったのをじいさんは聞いたそうだ。
 それで、もうひとりの仲間と山を傷だらけで降りて、家に逃げ込んだのだ。

 この事件は有名な事件だ。

 その事件の被告が父方の俺のじいさんだ。
(この前、他界したのは母方のじいさん)

 戦時中仕方なかったとはいえ、人としてやってはならない事に手を貸したのだ。
俺の親父は泣きながら「親父はよぅやりたくなかったと思うんだよ..」と言った。家族を食わせる為に仕方なかった。戦争が悪いんだ。とも言った。
 親父は、天皇が憎いそうだ。いつも天皇家のニュースが流れるとチャンネルかえるのはそのせいだった。

 俺はもう眠れなかった。。涙が止まらなかった。。
「犯罪者」の孫だ。俺の労働環境が悪いのは過酷な労働で死んでいった中国人達の呪いかもしれない。
 しかし、報いは受けねばならないとも思った。
じいさんは間接的にとはいえ、会社の命令とはいえ、国の命令とはいえ、人間を殺したんだ。何人も。何十人も。

 親父は「お前は何も気にする事はない」とは言っていたが、いつか休みが取れたら、その鉱山跡に花を添えたいと思う。

 一昨日まで知らなかったでは済まされない。
 ほんとに申し訳ない事をしたと思う。

銭湯通い

2009-08-06 20:47:53 | 思い出
 小さい頃はボロアパートに住んでいました。
トイレが部屋の外にあり、お風呂もありませんでした。

 母親は「ヤク○トのおばさん」をやっていて日中も家には誰もいませんでした。
俺はいつも鍵を持たされていました。

 夏休みとかはお昼ご飯用にお金を渡されて、弟と2人で買いに行きました。
 おやつはお袋がパン屋でパンの耳を買ってきて、それを小さくちぎって油でカリッと揚げて砂糖まぶしたのを食べてました。

 どうしても食べるものがなくてお腹空いたときは、苺味の歯磨き粉を兄弟で食べてました(笑)

 夕方に母親が帰ってきて、いつもほっとしたものです。

その後、親父がパラソルチョコレートを近所の「何でも商店」でお土産に買ってきてくれるのが楽しみでした。

 そして夕食後、みんなで銭湯へ。歩いて500mくらいかな?
俺と親父は男湯へ。弟とお袋は女湯へ別れて入りました。
途中、大声で「○○!こっちこいよー」って呼ぶと「はぁーい兄ちゃん今行くよー」なんて弟が番台潜り抜けて走ってきます。
 よく弟は滑って転んで大泣きしてました。
 そして、お約束のように「あの人背中に絵書いてるよ」とか喋って、親父を困らせていました(笑)

 またその逆もありました。
俺が女湯に入ったのです。当時は小学一年くらいだったから許してください。
風景も今では思い出せないので許してください。
もはや時効なので許してください。

 風呂上りは、いつもコーヒー牛乳を2人で1本でしたね。半分のライン決めて飲むんだけど、少しでもはみ出すと喧嘩になりましたよ(笑)
帰り道は夏はホタルを見付けたり、冬は吹雪の中、親父のコート、お袋のコートの中に入って帰りました。

 そういう暮らしが、俺が小学校3年の春先まで続きました。
 ようやく郊外に一戸建ての家を建てたから、家でお風呂に入れるようになり、銭湯過通いは終りました。

 (銭湯通いでの事件もあったけど、それはまた後日改めて。。)

 そして俺はバス通学になりました。

 そして「喋らない女の子」のエビソードの後、転校しました。

防空壕の思い出

2009-07-17 20:59:35 | 思い出
 今日は思い出を書こうかな。。

 俺が中学へ上がるか上がらないかの頃、近所の山へ友達と自転車で遊びに行ったんだ。
 山なんだけど、民家が密集しててね、入り組んだ道の最後に大きな家があってね、そこの家は人気もなくたたずんでいた。その家の隣には大きな木が何本かあって、ベンチなんかもあって公園みたいなんだ。
 今考えれば...他人のうちなんだけど、子供の俺らはそこの木陰で一休みしていた。
 ほんとに大きな木で、「カブトムシいるんじゃないかな?」って思う程だったよ。その内友達が裏の崖を下っていく道を発見してね。俺も続いていった。

 細い道で、でも確かに人の往来はあるような道だったんだよ。
すぐ脇は崖で、下の方につぶれた民家らしきものの屋根があった。今は誰も住んでないみたい。
 俺らは更に進む。。

 すると崖下ばかり注目していた俺らの前にちょっとした広場が現れ、崖の逆方向を見るとなんと、「洞窟」があったんだ。

「おい!すごいぞ!!洞窟だ!」
「奥まで続いている...」
「行くぞ!」

 俺らはこの洞窟に侵入した。
明らかに人為的に削られているのが分かった。足元は削り取った石やら、ゴミやらが落ちていた。入り口が広いので暗くなかったので、どんどん歩いていった。
「あ..終点か」
洞窟はここでお終いになっていた。
ふと、左側を見ると洞窟の壁のくぼみに何かいる...

日本人形が座っていた!!

日本人形と目が合って、俺らは「わぁぁぁぁぁ!!」って叫びながら洞窟を這い出てきた。心底怖かった。当時の心霊番組で髪が伸び続ける日本人形の事を思い出して、もと来た道を走って上がり、自転車に跨って逃げてきた。

 あれは何だったのだろう?
 今思えば「私設の防空壕」だったのかも...って思えるが、奥にいた日本人形は何なの????

 今思い出しても、怖い思い出なんです。

 子供だから他人の家の庭に入り込んでしまって見てしまったんだよな。

 大人になった今は出来ないよね。
大人になったら出来なくなった事いっぱいあるよ。

 まだあるかなぁ。洞窟。

 もう一度探検に行きたいなぁ。。

スワローテイル

2009-06-05 19:59:32 | 思い出
 今日、車の中で朝読書してたら、一羽のツバメが飛んでいた。

 スイースイーって滑らかに飛んでいる。
やがて、建物の屋根の下に入っていった。
「ああ、あそこに巣があるんだね」

 2年前。。

 俺の会社にツバメが巣を作った。
 いかにも新婚さんって感じのツバメだったんだ。
いつもその巣を観察してね、俺は楽しみにしていたんだよ。

 でも..社長の「食品会社だから、巣を取りなさい」の一言で、新人の営業マンが泣く泣く壊したんだ...その新人君はパワハラにあってその後すぐに辞めていったよ。
 ツバメの夫婦はそれから、巣を探して飛び回っていた。雨の日も電信柱の上から、巣のあった場所を見ながら鳴いていた。。
 もう、気の毒で気の毒で。。
 この場所を諦めて、別のところに新居構えた方がいいのに、夫婦は諦めきれないみたいでね。切なかったよ。

余程、気に入った物件だったんだろうなぁ。
菓子屋だから、いつもいい匂いしてたかもしれないし、学校も近いし、病院も近い。そばに川が流れてるから餌を取る仕事場への通勤の便もよかったんだろうなぁ。

 夫婦はしばらくの間、名残惜しそうに鳴いていた。

 しかし、ある大雨の日を境にして見かけなくなったんだ。

 俺は朝早く近くを探して見つけたんだ。
別の会社の屋根の出っ張りの下に、巣があって夫婦に子供がいたことを。

俺だけの秘密にしたよ。



 あの時の夫婦はちゃんと家族揃って南の国に行けただろうか?
元気でやっているのかなぁ。。

モンキーマンと踊る

2008-09-05 20:52:29 | 思い出
 小さな頃の弟との思い出。

 俺は母さんのかけてくれる童謡のレコードが大好きで、いつも幼稚園から帰るとかけてもらって、歌ったり、踊ったりしていたらしい。
ある時、幼稚園に入る前の弟の手を引っ張って、一緒に踊っていたらしい。
俺も弟も楽しくて笑いながら回りながら歌っていた。

 しかし、突然、弟が泣き出した。よく見ると右手がぶら~んとなっている。
お袋が飛んできた。「か、肩が外れてる!!」俺はびっくりした。そんなに強く引っ張っただろうか...

 3人で、近くの整骨院へ。
そこで、先生に「ふむっ!」と肩をはめてもらって弟は泣き止んだ。
母さんにはすこぶる怒られた。
俺..そんなに力あったけか?って納得行かなかった。


 こんな思い出もある。

 その日は「夕食はデパートで食べるから、時間になったらイトーヨーカドーの玄関に来るんだよ」とお袋に言われていた。
 時間になるまで弟と遊ぶ事にした。
弟がお袋の鏡台から、口紅を取ってきて口に塗り始めた。
まるで「オバQ」のようになった顔を見て笑い転げて、俺のいたずら魂に火がついた。
 弟の頭を押さえつけて顔全体に口紅を塗った。
弟はもはや人間の肌とは思えないくらい顔面まっかっかになった。
腹がよじれるほど大笑いした。
弟も調子に乗ってきて、俺がテーブルとタンスに挟まれて「助けてモンキーマン!」って叫ぶと、走ってきてテーブルに飛び乗りモンキーマンのポーズ。
これがまたウケた。。

 そうこうしている内に、出発の時間に近くなってきて、モンキーマンをなんとかしなければならなくなってね。洗面所に行って水でジャブジャブ洗った。
が..落ちない。だんだん焦ってきた。タワシでこすろうかと思ったが、「兄ちゃんそれはやめて」の一言に可哀想になった。時間ギリギリまで、モンキーマンと格闘して、うっすら赤いかな?のレベルにまで達したので、弟によそ行きの服に着替えさせ、俺も着替えて出発した。

 昔は駅のすぐ近くに住んでいたので、歩いた。
しかし、すれ違う人が弟を見てるのに気付いた。振り向くと...「あーやっぱ赤いよおまえ」。。やはりモンキーマンの変身は完全には解けていなかった。
 「モンキーマン走るぞ!」「おー」

 急いでイトヨーの玄関に行って母さんに会った。
弟を見るなり「熱があるの?」って言っていた。 まずいな...
俺は素直に話して「謝った」。そして「もう2度とこんな事するな」って化粧品買ってきて、モンキーマンの変身を解いてくれた。弟は普通の人間に戻った。

 そしてレストランでたらふく食べて帰ってきた。

 その後、弟は2度とモンキーマンにはなってくれなかった。

潰れた会社

2008-08-18 20:48:02 | 思い出
 俺が前職で営業マンをしていた頃のお話です。



 「おい、○△整備工場が不渡り出したってよ」

 俺は、取引先でその話を聞き、....って事は2回目..行かなくちゃ!

 会社に連絡を取り、所長に「先月の売掛金23840円貰って来い」と命令を受けた。

 県南の町なのだが、辿り付いた時には、他の多くの納入業者が集まって黒だかりが出来ていた。俺も急いで現場へ走った。
 黒だかりの中心には、社長が土下座をしていた。足元は砂利。しかも水溜りの中で。
 「みなさん申し訳ない」何度も地面に頭をつけていた。

 ライバル業者のKさんが
「おっ○○君も来たのか? でももう遅いぜ..あれ見ろよ」
 工場の全てのものに「差し押さえ」のシールが貼られてあった。
「ウチは10万単位納めてたけど、諦めるしかないよ」

 俺は所長にTELした。
「所長、今着きましたが全て差し押さえになってまして..ちょっと無理です。」
「何言ってんだ ダメだ!取り返して来い!ブチッ」

 俺は困ってしまった。

 社長に話してみよう...
「あの..社長..」
「ああ○○君か..このザマだ..ほんとに申し訳ない」

 社長は、俺が売上行かなくて困っている時にはよく買ってくれたんだよ。
俺の顔色察してね。無理させてしまったのは俺なのかもしれない。
たった23840円。。俺が立て替えてもいい。こんなかわいそうな社長からは取れない。

 もう1回所長にTELした。
「あの..やっぱ無理なんで、俺立て替えますから..」
「バカヤロウそんな問題じゃない!ブチッ」
..また切られた。

 もうどうしたらいいか分からなくなってしまった。

 呆然と立ち尽くして、ふと気付くと取り巻きはいなくなっていて俺1人。


 社長が工場の中に誘ってくれた。
膝には泥が付いていた。

 応接室に通されると、奥さんがパンと牛乳を出してくれた。
もう日はとっぷり暮れている。パンと牛乳を食べながら、周りを見ると、社長のまだ4歳の女の子が無邪気に遊んでいた。

 それを見た途端、もう我慢できなかった。
目から涙が滝のように流れてしまってどうする事も出来なかった。
見上げると社長も奥さんも泣いていた。

 そして社長が差し押さえのはずの先月納入した商品を俺に手渡し、「持っていけ、いいから..」
 また泣いてしまった。

 帰り道はずっと泣きながら帰ってきた。会社に着いたのは深夜だった。

 もう誰もいなかった。1人で返品伝票を打ち込み、郵送する為にポストに入れた。



 8月の終わりにはいつも思い出す。

 社長は元気だろうか?奥さんは? あの小さな女の子は大きくなっただろうか?

ご先祖様に呼ばれる

2008-08-13 18:55:02 | 思い出
 さっき、仏壇に手を合わせて、墓参りに行けない事謝っておきました(笑)

 俺、ご先祖様は怖いのです。。

 何故かと言うと...高校生だった頃、ご先祖様に呼ばれた事があるんです。



 高校何年生だったかは忘れちゃったけど...

 その時..8/13に俺の両親は墓参りがてら、おばあちゃんの家に泊まる事になっていたんだ。俺もしつこく「来い!」って誘われたけど、丁度、反抗期真っ只中の俺は、「めんどくせーいかねぇよ」って拒んで、1人きりの夜を楽しく過ごそうなんて考えてたんだ。
 お菓子やら、ジュースやら買い込んでタバコふかしてた。

 その日の夜...

 お菓子もジュースもたらふく平らげて、さぁーて寝るか..と深夜(0:00は過ぎてたと思う)ベットに横になったんだ。うとうとしかけたその時、腹が痛くなってきた。「あ、あれ..?」 なんか眩暈もする。吐き気もしてきた。
 これはやばいと、フラフラになりながら起き上がり、2階の自分の部屋から下の階の居間にある「薬箱」に薬を取りに行こうと歩き出した。
 
 視界もぼやけてきて、大変だったがなんとか下まで下りれた。

 そして居間へ....ここで俺の記憶は途切れてしまう。

 朝...気付いたら、なんと仏壇の前に寝ていたんだ。
 腹痛は治っていた。吐き気も眩暈も。
見上げると、死んだじいさん、ばあさんの写真がこっちを見ていた。。


 「ああ、俺、夜通し説教されたんだなここで」

 俺は、墓参りをめんどくさいと反抗した事を詫びて、線香を焚いてチーン。



 今思い出しても、「ごめんなさいな思い出」だよ。


 実は明日は、両親が泊まりで墓参り。
よって俺はひとりぼっちの夜を過ごす事になる。

 仕事があるからしょうがないし、別に反抗している訳でもないので、何も起こらないか...とは思うのだが、ちょっと心配&怖い俺です。

少年時代

2008-07-27 20:28:04 | 思い出
 今日はだいぶ気持ちが穏やかになってます。
ご心配お掛けしました。

 AM中はお袋の買い物の手伝いで、ホームセンターへ行きました。
 お袋の買い物は長いから、車で待っていたら、小さな子がお父さんに自転車を買ってもらってました。まだ、補助輪付きの小さな自転車です。

 「ああ、俺もあんな時期があったっけなぁ」

 会社帰りの親父に自転車の後ろを押えてもらいながら、補助輪外す練習をしたっけなぁ。夕焼けがきれいだった。砂利道で練習したから何回も転んで、泣いて。
その度に「泣くな!男だろ!」って親父に言われて。
 何回も何回も転んで1人で乗れるようになったんだっけな。

 あの頃はホタルも普通に飛んでいてね。

 そんな情景が思い出されて、感傷的になったよ。ううん。悪い意味でなくてね。
具合とか悪くなった訳じゃないんだよ。

 少年時代かぁ。。


少年時代


 家族で花火もしたし、海水浴にも行ったっけ。
取れたての「カキ」をその場で醤油焼きして食べたっけな。
うまかったな。

 少年の俺は、活発ではなかったけど、色んなもの見て不思議がって、親父を質問攻めする子だったらしいよ(笑)


 懐かしいなぁ。あの頃に戻りたいなぁ。。


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スイートメモリー

2008-07-20 05:07:58 | 思い出
 僕たちはいつも一緒だったね。

 一緒に学校にも通ったし、休みの日もいつも一緒だった。

 一緒にウインドウショッピングも楽しかったね。

 2人で色んなところをデートしたね。

 この幸せが永遠に続けばいいなと僕は思っていたよ。

 それ程愛していた。


 しかし、君は突然、僕の前からいなくなった。

 僕は「一体どうして!?」と半狂乱になった。

 君を駅前で見かけたという情報があれば、駆けつけた。

 でも、君はいなかった。

 僕は探し回った。来る日も来る日も探し回った。

 こんなに愛しているのに..こんなに好きなのに..どうして君は僕の所を何も言わずに離れていってしまったのか...
 君の行方はどうしても分からなかった。

 ある日、君と他の男が一緒だったという話を耳にして、愕然とした。

 愛していたのに...この男に奪い取られたのだ。


 今は他の誰かと一緒にデートしてる。
悔しかった。寂しかった。その男を僕は殴り倒してやりたいと思った。

 心底悩んだが、もう、目撃情報もなくなり、いくら待っても君は帰ってこなかった。



 僕は諦めた....今はもう君は知らない男の腕の中。



 もう..諦めて、君の幸せを祈ろう。
せめて君の幸せを願おう。。

 好きだったよ。

 今でも愛してるよ。

 楽しい思い出をありがとう。

 そして、さようなら。幸せになれよ。
























 僕の自転車。


 

洗濯機に入っていた俺

2008-07-13 19:04:03 | 思い出
[晩御飯の食卓] 

 日テレのバンキシャ!見てたら、保育園での虐待のニュースをやっていた。

 「全く信じられない!」って親父、お袋、俺と腹を立てていた。

 寝なかったらキリで刺すよ!とか、逆さづりにするとか。。
 洗濯機に入れるとか。保育士の脅し。。

 洗濯機...???あれ? ...俺...入った事あるような気がする。。

「あのぅ..俺、洗濯機に入れられた記憶あるんだけど?」
「ああ!!あるある(笑) アンタが入りたいって言ったのよ」
「ええ!? 俺が自ら虐待を直訴したのか?」
「違う違う!! 水浴びして遊んでたのよ」
「み、水浴び? ..でスイッチ入れて回したのか?」
「回ってないって!(笑)」

 子供の頃の記憶。。確かに俺は洗濯機に入っていた。どうも記憶は曖昧だが、回ってはいないらしい。俺は回った記憶があるんだが。。

 自ら回っていたのだろうか?なんてアホなんだろう。。

「弟は?」
「アンタだけよ、洗濯機に入ったのは」
「そ、そうか...」

 兄弟の出来の違いは、きっとこの時付いたんだな。

 兄は確かに洗濯機に入って回っていた。
 弟は入らず見ていた。

 重要な分岐点だったようだ。ここで差が付いたのだな。

 ああ、タイムマシンがあったら、戻って注意してやりたいよ。俺に。