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根城

2016-09-03 | お城巡り(日本100名城)

根城は八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上にあります。

歴史は古く、1334(建武元)年、南部師行(なんぶ もろゆき)のよって築城されました。


八戸市博物館
所在地: 青森県八戸市大字根城字東構35-1
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料(博物館/史跡 根城の広場共通券): 一般 400円,高・大学生 240円,小・中学生 80円
休館日: 月曜日(ただし第一月曜日および祝日の時は開館),祝日の翌日(土・日曜日の時は開館),年末年始(12/27~1/4)

日本百名城のスタンプは受付で押すことができます。

バイクを博物館の駐車場に駐め、いつものようにまずここで予習しました。

それによると南部氏はもともと甲斐を所領としていましたが、源氏による奥州平泉攻撃に、に従軍し、その功によって陸奥国糠部五郡の土地を給されたそうです。
ということで、本来は根城南部氏が本筋で三戸南部氏は分家だったのですか、いつの頃か入れ替わってしまいました。
そして、江戸時代になり、南部宗家(三戸南部氏)の利直は盛岡城を築き盛岡藩を開いて、八戸も盛岡藩領に帰属することになりました。
1627(寛永4)年、 根城南部氏(八戸氏)22代・直秀は利直により遠野城に移封となり根城は廃城となりました。
 

南部氏の支配権は最大でこんなにあったのですね。
 

根城は、本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる連郭式の平山城です。
 


旧八戸城東門
八戸城は1664(寛文4)年に盛岡藩から八戸藩が独立すると藩庁が置かれた城ですが、この東門は根城から持ってきたという伝承が残っています。

東門から本丸へ向かいます
小道の右側は東善寺、左側は岡前舘の跡です。
 


東善寺跡


通路跡
堀を埋め立てて作った通路の跡です。



中館に復元された四阿(あずまや)


本丸の復元模型

いよいよ本丸へ
 


本丸と中館の間の堀


主殿
大切な客に会ったり、大事な行事を行う建物です。

主殿の内部です。 


詰めの間


広間では宴会が催されていました。


祈祷の間
護摩行が行われたそうなんですが、火事の心配はなかったのでしょうか。


中馬屋
来客用の馬をつないでいたところと考えられています。


物見
遠くを見るための櫓があった跡です。


野鍛冶場
壊れた鉄鍋や銅銭などを溶かして作り直していました。


西門


番所
西門を通る人の見張りする番人がいました。


工房
武器や鎧などを修理していたところです。


鍛冶工房
竪穴式の建物で、鎧や刀の部品などを作っていました。


板倉
当主やその家族が使う道具や衣類などが収められていた建物


常御殿
当主が寝起きして、仕事をしていたところです。

井戸


奥御殿
当主の家族が住んでいました。


納屋
竪穴式の建物で、茅葺きの屋根が地面近くまで葺きおろされています。

内部の様子
 

博物館と合わせて、約1時間の見学時間でした。

朝一番(といっても開場時間が9:00なのでゆっくりさせてもらいましたが・・・)で、根城を見学した後は南部宗家の城を見学するために高速道路で盛岡へ移動するのでした。

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2 コメント

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Unknown (ひえぴた)
2016-09-03 07:46:23
南部氏の領地は広かったんですね〜。
八戸は地方の中くらいの街としか思っていませんでした。
根城ですか、平城ですが連式が面白いですね。
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土成 (橋吉)
2016-09-03 10:14:44
>ひえぴたたさんおはようございます
広い南部氏領地の中心が八戸だったので当時はかなり賑わったことでしょう。やがて、本拠地は盛岡に移るのですが今でのこれだけの都市であるのは立派です。名古屋に移転した後の清洲は一気に寂れてしまいました。

根城をみると城という漢字が「土」に「成る」と書くのがよくわかります。
返信する

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