ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

「君は僕の全てだ・・」ドナルド・キーンさん

2019-03-08 01:19:06 | Weblog
自分も彼氏くんのことは「僕のすべてだ」と思う。

ドナルド・キーンさんが亡くなる前に、養子縁組している息子さんに残した言葉
「You are everything for me,Asazo(君は僕の全てだ、浅造)」

今の日本で、ゲイカップルが死に際して伴侶に財産などを残そうとすれば、養子縁組しか方法はない。

親子が恋愛関係であるというのは、本来倫理的にあってはならないことで
あくまで仕方なく、密やかに行うものだ。

同性愛カップルも養子縁組すればいいよね!、と軽々しく言われる方には
倫理的に通らないことを厚顔に強いていることは良く分かっておいてもらいたい。

お二人のことは分かりませんが、キーンさんが愛のなかで幸せに人生を全うされたのであれば、こんな素晴らしい往生はないと思います。

自分もそうでありたい。


■日々、ドナルド・キーンとともに
(息子キーン誠己さんのブログ)
https://echigo-kakutayu2.blog.so-net.ne.jp/


キーンさん「日本人以上に日本を楽しんでいた」 養子の誠己さん会見(産経新聞)
https://www.sankei.com/life/news/190304/lif1903040016-n1.html

 2月24日に96歳で死去した日本文学研究者、ドナルド・キーンさんの養子で浄瑠璃三味線奏者のキーン誠己(せいき)さん(68)が4日、東京都内で報道各社の取材に応じた。古浄瑠璃が縁となり、平成24年にキーンさんの養子となった誠己さんは、ときおり声を詰まらせながら「父は日本と、日本人が心から好きだった。われわれ日本人以上に日本を楽しんでおり、とても幸せな生涯だったと思います」と振り返った。
 誠己さんによると、キーンさんは一昨年の夏ごろから体調を崩しがちになった。「父は頭が良く、勘のいい人でした。繊細で心配りのある人でもありましたので、手紙や書類など身辺の整理をあらかじめしていました」
 昨年9月には意識を失い緊急入院。その後、持ち直したものの、今年2月に再び緊急入院し、同24日早朝に息を引き取った。「(キーンさんの表情は)安らかでした。苦しむことなく天国に召された、という印象でした」
 2人が初めて出会ったのは18年。古典芸能に精通しているキーンさんの対談の楽屋に、誠己さんが訪れたのがきっかけだった。以後、キーンさんとの交流を深めていき、24年に養子縁組をした。「最初会ったときは、まさか養子になるとは思わなかった。父は家族に飢えており、私を養子にすることで、日本人の家族ができたことをとても喜んでいました」
 その後も誠己さんは、キーンさんの身の回りの世話や仕事の秘書業務などを行った。
 「知り合ってから12年と3カ月。長いようで短く、短いようで長かった。普通の親子以上の、ものすごく密度の濃い親子でした」
 強く印象に残る言葉があるという。亡くなる1週間ほど前、キーンさんが口にした「You are everything for me,Asazo(君は僕の全てだ、浅造)」という言葉。キーンさんは普段、誠己さんのことを文楽の芸名である「浅造」と呼んでいた。「その時の目と表情がとても美しかった。その時は何気なく聞きましたが、今はそれが一番の慰めになっています」と語り、目に涙をにじませた。
 体調を崩しがちになってからも、日本文学への思いを語っていたという。
 「三島(由紀夫)さんのことは、最後まで『三島さんは死ぬべきじゃなかった』などと言っていました。作家としては、三島さん、川端(康成)先生への思いが一番深かったのだと思います」
 晩年は江戸中期の博物学者、平賀源内や、幕末期の浮世絵師、河鍋暁斎に関心を抱いていた。
 「強い好奇心と高い知性、豊かなユーモア。それなのに偉ぶらず、近くの商店街に買い物かごを下げて通うなど、日本人として生活の何もかもを楽しんでいた。父の人生は幸せだったと思います」

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