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趣味いろいろ。2014/9に別ブログを合体したので、渾然一体となってしまいました(笑)

Three Rings for Hollywood(2)

2005-01-06 23:50:28 | Tolkien・映画
今日はハリウッドの恐ろしさを語る(いつの間にそんな話に?(爆)),第2弾です。
指輪物語の脚本に2番目に挑戦した人の話です。

ブアマン
トールキンは指輪物語が正しく映画化されるかという事に甚だ疑問を持っていたにもかかわらず,1969年,United Artistsに104,000ポンドで映画化の権利を売った。1970年,そのスタジオは,後に「エクスカリバー」や「エメルラルド・フォレスト」の監督として知られる事になるジョン・ブアマンに指輪物語の製作を依頼する。彼は2時間30分の,「フレッシュで映画的,でも,トールキンの精神は持っている」な脚本に凝縮した。ブアマンは執筆中トールキンからの手紙に,彼は実写版を計画していると返事を出したそうだ。ところが,ブアマンが脚本を書き上げるまでに,彼にその仕事を依頼した重役が会社を去り,新しい経営者は原作を知らない人だった。ブアマン曰く「彼らは脚本に困惑した。彼らの殆どは中つ国が初めてだったのだ」そして,拒絶された。彼はディズニーを含め脚本を採用してくれる所を捜したが,不運にも見つからなかった。やがてブアマンは指輪物語で使う為に開発した特殊効果を他の映画,とりわけ「エクスカリバー」に使った。

ところがこの話にはウラがあった。ラルフ・バクシが最近のインタビューで,数年後プロジェクトを引き受けた時の話を「大袈裟に」語ってくれた。
「そしてここに恐ろしい話が登場する。いいかい? ブアマンは700ページの脚本を手渡した。そしてスタジオの重役はこう言う。彼は多くのキャラクタを改変し,別のキャラクタを追加した。彼はごまかし,宣伝し‥‥,我々はブアマンの言う事は一言も理解できない。我々は本を読んだ事はない。。。」
それはたったの176ページだった。ごまかしはなかったが本を読んでも何の役にも立たなかった。何故ならば,ブアマンは早い段階で彼自身の方向に変えてしまったからだ。

はっきり言ってしまえば,ブアマンの脚本はトールキンの指輪物語とはほとんど繋がりを持ってない。ジンマーマンのもっとましな脚本に対するトールキンの驚くべきリアクションを考えてみれば,彼がブアマンの脚本を歓迎するとはとても思えない。キャラクタもイベントもロケーションもテーマも全て自由に改変され,著者の元々の意図への配慮は全くない。シーンは原作にまったくない性的特色を附与され,心理的なねじれを与えられている。(例えばフロドがガラドリエルに誘惑されたりとか,アラゴルンがエオウィンを癒すシーンは露骨にセクシュアルで彼らを結婚させても不思議でないとか,など,トールキンは承認しないだろう)ブアマンが後にアーサー王伝説の話「エクスカリバー」であざやかに使ったアイディアとは,ここでのロスロリアンのドワーフと同じ位場違いな物だったのだ。

ブアマンはトールキンの本にあったものをあっさりと自分の創作に変えてしまったのだ。例えばこの出来事を考えて欲しい。ブルイネンの川原でナズグルを撲滅した後,フロドは裂け谷の輝く城に運ばれた。そこは円形競技場のような所でエルフ達がお喋りし,彼はクリスタルのテーブルの上に,裸で緑の葉で覆われて横たわっていた。13才のアルウェンが,ギムリの斧で脅されながら,彼の肩から赤い熱いナイフを使って外科的にモルグルの刃のかけらを取り出し,一方ガンダルフはボロミアに指輪を取り上げさせようとしている。

そんなのは見慣れている? ではモリアの入り口の近くでの出来事はどうだ? ガンダルフが古代の再生儀式よろしく,ギムリに穴を掘らせて中で腹ばいにさせ,マントで覆い,彼の古代の祖先のドアを開ける呪文の記憶を蘇らせ,口からその言葉が出てくるまで,暴力的に叩き,口汚く罵っている。

ブアマンに関しては,トールキンの本から離れてはいるものの,一部は人を惹きつけるような素晴らしいものもある。エルロンドの会議は,指輪の歴史を説明する幻想的な中世的な仮面劇に仕上げられている。この高度に様式化された手順は,歌舞伎,ロックオペラ,サーカスの要素を合わせ持っていて,後に退廃的な闇のエルフの一団によって語り草となった事だろう。これは奇妙に効果的で,背景を説明するには必需品だ。しかし,トールキンの作品へのまともな脚色とはとても言えない。

そしてこれが重要な問題だ。この時点でトールキンはまだ存命していた。彼は,アメリカで最初に出版された指輪物語の版の中で,述べているように,著者が存命の場合は少なくても最低限の敬意は払われるべきだ。これは彼がジンマーマンの脚本についてコメントした内容。
「私はあのロマンスのマスターと比較しているわけではない。私はまだ死んではいないという点を除いて。K.S. Minesが映画化された時,もう創作物は公共財産化されたと言えるのかもしれない(しかし)指輪物語は,いまだにある人間の鮮明な関心事だ。そして誰のおもちゃでもない。」

ブアマンのたくさんの創作物は,トールキンからヒントを得て創作したものである。存命する著者からの拘束とは別のはけ口を必要とするものだった。結局彼は「エクスカリバー」でそれを発見し,指輪物語をオファーされる前からマーリンを中心とした物語にしようと考えていた。ブアマンの創意に富んだアーサー王の話はヒットした。何故ならば「英国の事件」は「公共財産化された創作物」に当てはまるからだ。ある人達は現在はトールキンの物語はもう出版されてから50年も経っているので既に「公共財産化された創作物」と思うかもしれないが,当時はまだ彼の手を離れてから時が経ってなく,彼はおもちゃにできるのは自分だけだと合法的に主張する事もできたのだ。

私は,ハリー・ポッターとアズカバンの囚人のDVDを持っていますが,その中で,監督と著者のインタビューというのがあって,監督が,ある生物が処刑されるシーンで,バックに「墓場」(字幕では氷河になってますが墓場の間違いだそうです(汗))を入れようとしたけど,著者は頑として「ダメ!」と主張したという話がありました。それを聞いて,著者が存命というのは,何にも変え難いメリットだなあ,と,ハリポタシリーズを本当に羨ましく思いました。

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2 コメント

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トールキン教授が存命だったら・・・? (ぐら)
2005-01-11 22:25:58
遅ればせですが(汗)あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします! いつもこちらではためになるお話を読ませていただいてます!

私も「アズカバン-」の特典映像を見て、「トールキンが存命でPJ映画にクレームをつけてくれていたらもっと変わっていたのでは」と思ってしまいました。

でも、「映画と原作は別物」と映画化に肯定的なローリング氏と、映像化は根本的に否定していたトールキンとではやはり違ったかなあとも思いますが・・・映画化自体お蔵入りしてたかもしれませんね(汗)

でも、自分の作った言語が映画の中であれだけ使われていることは喜んでくれたのではないかなーとか思ったりも・・・

いやしかし、プアマン氏の話を読んだら、PJ映画はまだ良かったなあとちょっとホッとしてしまいました(汗)
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こちらこそあけましておめでとうございます♪ (える)
2005-01-12 01:57:18
いや~たしかにPJは最初の2人に比べたらまだまだずっとよかったと思います。(PJはややジンマーマンさんに近い気もしますが(汗;))それにしてもこのこわい話を読んでいたら,映画の人達ってやっぱしこわいんだな~(爆)と納得。おそらく今後リメークされる事があったとしても,もうPJ以上には原作ファンを喜ばせる方向には向かいそうにありませんねえ‥‥



ところで,この記事タイトルとカテゴリーがいつの間にか間違えてついていたので,正しいタイトルとカテゴリーに直しました。(汗)失礼しました。

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