JWの輸血拒についてはいろんなHPで詳しく述べられていますが、なんか難しいと思っている方のためにざっと全体を見てみたいと思います。
輸血についてオープンに話し合うJWは少なく、矛盾を指摘しても結局は「信仰の問題だから」とシャットアウトされてしまうと思いますが、
輸血をしないと危険なのに拒否しているJW親族や、お子さんが事故にあった場合輸血を拒否しそうなJW配偶者がいらっしゃる場合は「しょうがない」では済まされないですよね。
また、医療的な事が「よく理解できない」「調べるのが面倒」だから「ダメなものはダメ。信仰の問題。」と体よく片付けているJWもいますから、順を追って説明すれば信仰は捨てないけれど輸血することに関しては考え直してもいい。
と思ってくれるJWもこれからは出てくると思います。(これからは協会も限りなく輸血解禁にちかいルールにシフトチェンジしてゆくはずです。)
聖書は血を食べることを禁じているのか
エホバの証人の特色はイエス時代以降をあつかったギリシャ語聖書部分よりも、イエス以前の古いヘブライ語聖書からよく語ることです。厳しい決まり、ルールなんかは大体ヘブライ語聖書のほうによく出てくるからでしょう。
禁止事項よりも愛を語るイエスの言葉はエホバの証人にとって優先順位が低いということですね。
しかし実際にはイエスはJWたちがいまだよく引き合いに出す「古い律法」を廃止して、それよりも勝った律法(決まりではなく愛によって物事を決める、より高度な律法)に返るために来たはずなんです。
だからキリスト以後はヘブライ語聖書部分はあくまで参考、補助として読むべきだと思います。しかしJWはまるでイエスの犠牲がなく、律法は何も変わらなかったようにヘブライ語聖書のおきてを守り行ってます。
●JWが輸血拒否の根拠として出してくる聖句にイエスの言葉はありません。
●ギリシャ語聖書から引用してくる場合は使徒15章を出してくると思いますが、これはユダヤ人の古い慣行から抜けきれていなかったオールドタイプのクリスチャンの気持ちを「フォロー」するための「よいしょ発言」でした。
(次の記事で詳しく書きます)
ゆずって血をどんな形でも体に取り入れないことが神のご意志だとすると、
なぜはっきり分かるように書いていないのか
という疑問がおこります。実際は、
●モーセの十戒の中に血を食べることについて言及はない
●モーセが書いたレビ記では外人居留者は血抜きしてない動物を食べてもお咎め無しだった。
後には血抜きしてあるかどうか分からないものは外人に売れば~。という聖句もでてきます。
(この事は、JWが輸血問題でよく出してくる「血が危険なのをエホバはよく知っておられて愛ある気遣いから警告しておられるのだ」という説がおかしいと示しています。)
●サウルの兵士が戦闘後お腹がすいて血抜きしてない肉を食べた時も実刑なし。
(あまりおすすめできる行為ではないが、刑を下すほどの悪行ではない)
ものみの塔はこの聖句の言い訳として「非常時だったからエホバは考慮された」って言ってますが、失血死などは空腹と比べて非常時ではない???と??
●キリスト後は「売ってる肉は気にしないで食べれ」などという、かなり緩和された発言がいくつか載っています。
結論;ふるい記述(レビ記やノアへの記述)では血を食べることを禁じていた。
後になるほど緩和され、キリスト以後は良心の問題であったことが読み 取れる。
血を食べることを輸血は同じか
私は脱JWしましたが、だからといってすっぽんの血を飲んだり、生き物を血を滴らせたまま食らったりは、、したくありません。
こういう人は一般の世の中でも多いと思います。
だからJWが聖書から血を食べないというなら、普通に尊重します。
が、血を食べる事と輸血をしない事には大きなギャップがあると思うし、関連性はかなり薄いと思います。
●アルコールの例え
JWは「医者がある人にアルコールを取る事を禁じたとしたら、アルコールを飲まないけど、アルコールを直接注入するのはいいというでしょうか。それはアルコールを避けているといえますか」ってたとえをだして、
血を食べない=輸血禁止
と結論付けてくると思いますが、
●アルコールは飲んでも(食べても)静脈に注入しても同じ物質である
●血は飲めば食物として吸収されてしまうが、静脈に注入されれば血のままである
という点で同じではありません。
(余談になりますが、このたとえに出てくる「アルコールを飲むことを禁止された人」例えば妊婦さんだとしますが、アルコールを含んだ化粧品も使ってはいけないんでしょうか。皮膚はちゃんと吸収しますからねっ。
実際は「そんなことはない」
と思います。用途が違うからです。
では、血を食べてはいけないのと医療行為(例えば失血死)という用途が全然違う行為の場合やはり「常識」感覚で考えてOKなんじゃないでしょうか。)
●臓器移植はOK!ならば。。。。
JWは臓器移植してもいいんですよ。
「では、医師に臓物を食べる事を禁じられている人がいます。食べていないからといって臓器移植をするならその人は医師の指示に従ってるといえますか?」
はあぁ~???
従ってるよ!だって食べるのと臓器移植は別もの!なぜなら食べたら食べ物として吸収されるけど、移植したら臓器として働いてくれるんでしょ。
じゃ、血も同じだよね。。。
ものみの塔も「輸血は臓器移植と同じ」と以前言ってましたし。
血は必要物を体に運ぶ臓器。バイパスみたなもの。
食べるのとそれを「使う」のとは違う。輸血は後者だと思います。
血を食べることと輸血とは全く別の行為だと思います。
よってエホバの証人は良心から血を含んだ食べ物は今後同じように避けていけばいいと思います。
ですが、輸血は別件として考えて必要な時にはすればいいと思うのです。
イエスのさらに勝った律法はどこに?
それでもまだ聖書は血を禁じてる、それには輸血が含まれると主張するJWには、こんな問いをしてみると良いかもしれません。
100歩譲って神は人間にいかなる場合でも血、輸血を避けることを要求しておられるとして、
イエスは状況に応じて律法を変えられ、フレキシブルでいることによってより高度な仕方で律法を守った。
これにJWも従うべきではないですか~???
●イエスは安息日に決まりを破って病人を癒された
安息日を守るのはモーセの十戒にも出ていて当時めちゃくちゃ重要な律法でした。(JWは安息日を守ってません。)が、人間の健康というより大切な益のためにそれを変えるのを躊躇しなかった。
実際には安息日をきちんと守っていた人も家畜が井戸に落ちる、など非常事態があればちゃっかりそれは助けていたわけです。
では失血で死に掛けているという事態は家畜が井戸におちる自体と比べても少しも劣ることのない非常事態だと思うんですが、
その場合でも血の法律が優先されるというのはおかしいのではないでしょうか。
エホバの証人は「神の律法を優先して輸血を拒否して死んだとしても、復活させてくださいます。」といいます。
だったら、イエスは「安息日を守って私が奇跡を起こさないで病人が死んだとしても父なる神は復活させてくださいます。」と言うべきだったんでは?
※製作した聖句資料が消えました(
)ので今回は聖句が載ってません。後でまた載せます。
輸血についてオープンに話し合うJWは少なく、矛盾を指摘しても結局は「信仰の問題だから」とシャットアウトされてしまうと思いますが、
輸血をしないと危険なのに拒否しているJW親族や、お子さんが事故にあった場合輸血を拒否しそうなJW配偶者がいらっしゃる場合は「しょうがない」では済まされないですよね。
また、医療的な事が「よく理解できない」「調べるのが面倒」だから「ダメなものはダメ。信仰の問題。」と体よく片付けているJWもいますから、順を追って説明すれば信仰は捨てないけれど輸血することに関しては考え直してもいい。
と思ってくれるJWもこれからは出てくると思います。(これからは協会も限りなく輸血解禁にちかいルールにシフトチェンジしてゆくはずです。)
聖書は血を食べることを禁じているのか
エホバの証人の特色はイエス時代以降をあつかったギリシャ語聖書部分よりも、イエス以前の古いヘブライ語聖書からよく語ることです。厳しい決まり、ルールなんかは大体ヘブライ語聖書のほうによく出てくるからでしょう。
禁止事項よりも愛を語るイエスの言葉はエホバの証人にとって優先順位が低いということですね。
しかし実際にはイエスはJWたちがいまだよく引き合いに出す「古い律法」を廃止して、それよりも勝った律法(決まりではなく愛によって物事を決める、より高度な律法)に返るために来たはずなんです。
だからキリスト以後はヘブライ語聖書部分はあくまで参考、補助として読むべきだと思います。しかしJWはまるでイエスの犠牲がなく、律法は何も変わらなかったようにヘブライ語聖書のおきてを守り行ってます。
●JWが輸血拒否の根拠として出してくる聖句にイエスの言葉はありません。
●ギリシャ語聖書から引用してくる場合は使徒15章を出してくると思いますが、これはユダヤ人の古い慣行から抜けきれていなかったオールドタイプのクリスチャンの気持ちを「フォロー」するための「よいしょ発言」でした。
(次の記事で詳しく書きます)
ゆずって血をどんな形でも体に取り入れないことが神のご意志だとすると、
なぜはっきり分かるように書いていないのか
という疑問がおこります。実際は、
●モーセの十戒の中に血を食べることについて言及はない
●モーセが書いたレビ記では外人居留者は血抜きしてない動物を食べてもお咎め無しだった。
後には血抜きしてあるかどうか分からないものは外人に売れば~。という聖句もでてきます。
(この事は、JWが輸血問題でよく出してくる「血が危険なのをエホバはよく知っておられて愛ある気遣いから警告しておられるのだ」という説がおかしいと示しています。)
●サウルの兵士が戦闘後お腹がすいて血抜きしてない肉を食べた時も実刑なし。
(あまりおすすめできる行為ではないが、刑を下すほどの悪行ではない)
ものみの塔はこの聖句の言い訳として「非常時だったからエホバは考慮された」って言ってますが、失血死などは空腹と比べて非常時ではない???と??

●キリスト後は「売ってる肉は気にしないで食べれ」などという、かなり緩和された発言がいくつか載っています。
結論;ふるい記述(レビ記やノアへの記述)では血を食べることを禁じていた。
後になるほど緩和され、キリスト以後は良心の問題であったことが読み 取れる。
血を食べることを輸血は同じか
私は脱JWしましたが、だからといってすっぽんの血を飲んだり、生き物を血を滴らせたまま食らったりは、、したくありません。
こういう人は一般の世の中でも多いと思います。
だからJWが聖書から血を食べないというなら、普通に尊重します。
が、血を食べる事と輸血をしない事には大きなギャップがあると思うし、関連性はかなり薄いと思います。
●アルコールの例え
JWは「医者がある人にアルコールを取る事を禁じたとしたら、アルコールを飲まないけど、アルコールを直接注入するのはいいというでしょうか。それはアルコールを避けているといえますか」ってたとえをだして、
血を食べない=輸血禁止
と結論付けてくると思いますが、
●アルコールは飲んでも(食べても)静脈に注入しても同じ物質である
●血は飲めば食物として吸収されてしまうが、静脈に注入されれば血のままである
という点で同じではありません。
(余談になりますが、このたとえに出てくる「アルコールを飲むことを禁止された人」例えば妊婦さんだとしますが、アルコールを含んだ化粧品も使ってはいけないんでしょうか。皮膚はちゃんと吸収しますからねっ。
実際は「そんなことはない」
と思います。用途が違うからです。
では、血を食べてはいけないのと医療行為(例えば失血死)という用途が全然違う行為の場合やはり「常識」感覚で考えてOKなんじゃないでしょうか。)
●臓器移植はOK!ならば。。。。
JWは臓器移植してもいいんですよ。
「では、医師に臓物を食べる事を禁じられている人がいます。食べていないからといって臓器移植をするならその人は医師の指示に従ってるといえますか?」
はあぁ~???
従ってるよ!だって食べるのと臓器移植は別もの!なぜなら食べたら食べ物として吸収されるけど、移植したら臓器として働いてくれるんでしょ。
じゃ、血も同じだよね。。。
ものみの塔も「輸血は臓器移植と同じ」と以前言ってましたし。
血は必要物を体に運ぶ臓器。バイパスみたなもの。
食べるのとそれを「使う」のとは違う。輸血は後者だと思います。
血を食べることと輸血とは全く別の行為だと思います。
よってエホバの証人は良心から血を含んだ食べ物は今後同じように避けていけばいいと思います。
ですが、輸血は別件として考えて必要な時にはすればいいと思うのです。
イエスのさらに勝った律法はどこに?
それでもまだ聖書は血を禁じてる、それには輸血が含まれると主張するJWには、こんな問いをしてみると良いかもしれません。
100歩譲って神は人間にいかなる場合でも血、輸血を避けることを要求しておられるとして、
イエスは状況に応じて律法を変えられ、フレキシブルでいることによってより高度な仕方で律法を守った。
これにJWも従うべきではないですか~???
●イエスは安息日に決まりを破って病人を癒された
安息日を守るのはモーセの十戒にも出ていて当時めちゃくちゃ重要な律法でした。(JWは安息日を守ってません。)が、人間の健康というより大切な益のためにそれを変えるのを躊躇しなかった。
実際には安息日をきちんと守っていた人も家畜が井戸に落ちる、など非常事態があればちゃっかりそれは助けていたわけです。
では失血で死に掛けているという事態は家畜が井戸におちる自体と比べても少しも劣ることのない非常事態だと思うんですが、
その場合でも血の法律が優先されるというのはおかしいのではないでしょうか。
エホバの証人は「神の律法を優先して輸血を拒否して死んだとしても、復活させてくださいます。」といいます。
だったら、イエスは「安息日を守って私が奇跡を起こさないで病人が死んだとしても父なる神は復活させてくださいます。」と言うべきだったんでは?
※製作した聖句資料が消えました(

エホバの証人(人間組織)が「聖書」どおりに進んで
ないんやったら、あんたらで組織を作ったらええんやないか?
疑問より、自ら聖書宗教作ればええと思う。
そう、キリスト教信者だった奴が「エホバの証人」を立ち上げたのと同じように・・・。
こんなことどんな宗教にでもある問題。
仏教だって・・・あんな、人が作った偶像にいくら愛をこめて祈っても何も起きんのに、なおさらや。
ただの置物やんか。
そう立ち上げたらよかね。
やってみいんか?
『偉そうに言うならお前が野球選手になれ。』みたいな。
そんなのはさておき、ラザフォード時代から医学界VSエホバの証人という構図があったらしく、輸血禁止はその名残かなとも思わされます。
“律法は廃された”はずなのに、“その原則は生きている”とか言っちゃって、人生を左右しすぎですよね。
旧約聖書の“例外”楽しませていただきました。
知っています。イエス、の死によって古いモーセーの
律法は廃止されたのに、組織は壁にぶりあたると、
モーセーの律法を適用するのが建前になっているのを
どうして、信者たちは、疑問に思わないのだろうか?組織に盲従では、聖書に従順ではないでしょ。
輸血の問題に関しては、信者間の混乱を考慮して、訂正がきかないのが、本音では?信者に対して誠実さが無い。臓器移植では、絶対に輸血なしには、行えない、「個人的意見です」組織は、唯一神の組織と豪語
しているのだから、最新の医学に乗っ取って、最新の
見解と情報を伝えるべきです。律法が優先的で、イエスが後回しでは、古代のイスラエル人そのままでは?
やりきれない、不信感と怒りで満ちます。ね。
輸血てやっぱり拒否反応があるんですよね。
胸の中にモヤモヤしたものが湧き上がります。
幼少から植えつけられたものの根強さを感じます。
でも、この最後のジーザスのより勝った律法には目から鱗が落ちました!
そうですよね。あんだけ厳格に守るべき安息日を曲げたんですよね。この部分はJWの方もグゥの音が出ないのではと思います!
『偉そうに言うならお前が野球選手になれ。』みたいな。
ジャガー君よ、これはでも事実じゃん。てめーで認めてんだろが。あほ
姉が輸血をして、いまでもピンピン元気です。
これ、どうゆうことですかね、こちらは脱JWですが
輸血はしておりません。
*また、以前の会衆で、安息日を守るように強く勧めた所があり、問題となり会衆全体が不利な裁きを受けたけど、速近隣の会衆に逃げていたので、罪を免れました。
http://bbs5.fc2.com/php/e.php/~jwqa/?act=reply&tid=1872998
PWさん>
今回のこの記事に対するコメント欄,「ぼろぼろ」ですね。
私はプロテスタント教会に属しているoikosと申します。
いつも更新されるたびに楽しみに読ませていただいています。
と申しますのも今、私はJWの方と週1回のペースでJWのテキストを読みつつ、それぞれの聖書を使って対話をしています。
びっくりするぐらい聖書の内容に詳しい方たちですが、
JW独特の教理に関しては、JWの教えに沿う形の聖句を恣意的につなぎ合わせ、JWの教えに沿わない聖句は考えないようにされているのに驚きました。
聖句から教えの矛盾を指摘して「どう思いますか」とたずねましたら
「このテキストの語っていることは正しいから聖書から説明できるようになる必要がある」
とおっしゃっていたのが印象的でした。
でもそれって順序が逆ですよね(言いませんでしたが)。
これからどうなっていくのかは分かりませんが
ブログを参考にさせていただきながら
互いにまず、聖書から考えていく形で、対話を重ねていけたらと願っています。
なり開かれません、暫くようすを見ます。
言葉の点で間違いがあれば正してください。