以前小売の仕事をしていた時、「業界一番の売り手」というセールスマンに会う機会がありました。
話を聞いてみると、売り上げ一番の秘訣は、、、、。
薦める商品を断定する
だそうです。
やり方は簡単。数ある同じような商品の中から一つを選び、「実はこれが一番なんです。他の商品はここだけの話ですが、よくないですよ。」と断定する。
こうすると、損得を考えず、自分だけに本当のことを教えてくれる誠実なセールスマンであるというプラスの評価と、同時に自分だけが得な情報を知っているという優越感をお客さんに与えられる、わけです。
ついで、先ほどあげた商品の長所を説明します。
ここが一番の売りポイントなんですが、ここで商品を絶対的に「一番良い」「これしかない」と断定すると、ほとんどのお客さんが拍子抜けするほどあっさりその商品を買うそうです。
私も違う商品でこの方法を試してみました。これがやっぱり面白いほど売れるんですよ!
たとえば化粧品だとします。私はその「自分が決めたベスト商品」をいつも手元に持っていて、同じ種類の商品を見てるお客さんに話しかける際におもむろに取り出し、これが一番ですよ。というだけです。2、3、他の商品を理由を挙げてけなし、2,3推している商品をほめる。
ポイントは断固として確信をこめること(笑)自分の好きな商品であると確信をこめる時もぐっと力がでます。
言っている事はウソではないのでこちらも良心はとがめません。でも絶対的に真実かというと、違う。真実は他の商品もいい所があるし、推している商品も使う人によっては悪いところもある。つまりは相対的なんです。でもそれをあえて、絶対的であるかのように断定すると、お客さんはかえって安心するんです。
本当は「この商品は絶対に一番いい。」ではなくって「この商品は私からみたら絶対一番いい。」のですが。そう言うと絶対売れません。(笑)
私はこの方法でそのお店でトップセラーだったし、私の推してる商品は店長に前もって注文を増してもらってました。
ところで蛇足ですが、この商法は言語が出来なくても効きます。(笑)私はあまり英語が出来ない頃セールスを手伝っていたことがありますが、「これ、ベスト」っていうだけ(あと、数点のセールスポイントと他の商品の弱点を暗記しておくだけ)で日本人に日本語で売るのとほとんど同じくらい売れます。老若男女国籍問わず。
良く考えてみるとエホバの証人も知ってか知らずかこの方法を使っていますよね。
聖書の解釈を断定する。という事だって、めちゃくちゃな解釈でも断定しているからこそ妙に説得力がある。たとえば啓示の本ですが、クリアな頭ではバカバカしくて笑ってしまいますが、ちょっとマイコンがかかっていると、こんなに奥深い事柄(笑)を次々と断定して明かせるんだからすごいなあ、神の導きなんだろうな。
と逆に私は感銘を深めました。
啓示ほどぶっとんだ本じゃなくても、家に来たJWが何でも聖書から答えを「断定」する様子をみて、確かな確信やこの人が真理であると言う事は真理である、という印象を受けた人も多いはずです。
しかも「これが宇宙の真理である!」とまで言っちゃうんですから、そこまで壮大なことをこれだけ断定するのにはなにか理由や証拠があるんだろうな、とか、常々人生や哲学や存在意味なんかに悩んでいた人には雷にでも当たったように感銘を受けてしまうことだってありえるわけです。逆に「これも真理かもしれません、いや!一部真理が含まれているでしょう。他の教会にもいい所がありますし、JWにも悪いところがあります。人により向き不向きがある宗教です。ご自分で調べてください。」とか言われたら?
ぐっとインパクトが弱まりますよね。正直で誠実で、それこそ「真実」だとしても。
JWは他の宗教、無宗教一般をけなし、その上でJWが一番!と宣言する。
ここに秘密があるような気がします。
蛇足ですが、私は2世として「真理」だとか「真理を探す」「真理を得る」とかいう表現になれてしまっていて、真理とは一つ、存在するもので、それを知るまでは人生が始まらないような印象を持っていました。
ものみの塔でよく「一生真理を探究して、それを見つけられない人たちも多くいます。」なんていわれると、自分は人生を無駄にしないで、すでにラッキーにも真理を知っている、なんて思っていました。
辞めてからは真理、というものは普通みつからないものなんだ、と思うようになりました。というか、真理、というものがそもそも存在するのか、みつからないから真理といういうのではないか。自分で探してゆくから真理というのではないか、探す過程が真理ではないか、
そんな風に思ってます。
真理というのは「はい、これです。」と差し出せるものではない、と。
話を聞いてみると、売り上げ一番の秘訣は、、、、。
薦める商品を断定する
だそうです。
やり方は簡単。数ある同じような商品の中から一つを選び、「実はこれが一番なんです。他の商品はここだけの話ですが、よくないですよ。」と断定する。
こうすると、損得を考えず、自分だけに本当のことを教えてくれる誠実なセールスマンであるというプラスの評価と、同時に自分だけが得な情報を知っているという優越感をお客さんに与えられる、わけです。
ついで、先ほどあげた商品の長所を説明します。
ここが一番の売りポイントなんですが、ここで商品を絶対的に「一番良い」「これしかない」と断定すると、ほとんどのお客さんが拍子抜けするほどあっさりその商品を買うそうです。
私も違う商品でこの方法を試してみました。これがやっぱり面白いほど売れるんですよ!
たとえば化粧品だとします。私はその「自分が決めたベスト商品」をいつも手元に持っていて、同じ種類の商品を見てるお客さんに話しかける際におもむろに取り出し、これが一番ですよ。というだけです。2、3、他の商品を理由を挙げてけなし、2,3推している商品をほめる。
ポイントは断固として確信をこめること(笑)自分の好きな商品であると確信をこめる時もぐっと力がでます。
言っている事はウソではないのでこちらも良心はとがめません。でも絶対的に真実かというと、違う。真実は他の商品もいい所があるし、推している商品も使う人によっては悪いところもある。つまりは相対的なんです。でもそれをあえて、絶対的であるかのように断定すると、お客さんはかえって安心するんです。
本当は「この商品は絶対に一番いい。」ではなくって「この商品は私からみたら絶対一番いい。」のですが。そう言うと絶対売れません。(笑)
私はこの方法でそのお店でトップセラーだったし、私の推してる商品は店長に前もって注文を増してもらってました。
ところで蛇足ですが、この商法は言語が出来なくても効きます。(笑)私はあまり英語が出来ない頃セールスを手伝っていたことがありますが、「これ、ベスト」っていうだけ(あと、数点のセールスポイントと他の商品の弱点を暗記しておくだけ)で日本人に日本語で売るのとほとんど同じくらい売れます。老若男女国籍問わず。
良く考えてみるとエホバの証人も知ってか知らずかこの方法を使っていますよね。
聖書の解釈を断定する。という事だって、めちゃくちゃな解釈でも断定しているからこそ妙に説得力がある。たとえば啓示の本ですが、クリアな頭ではバカバカしくて笑ってしまいますが、ちょっとマイコンがかかっていると、こんなに奥深い事柄(笑)を次々と断定して明かせるんだからすごいなあ、神の導きなんだろうな。
と逆に私は感銘を深めました。
啓示ほどぶっとんだ本じゃなくても、家に来たJWが何でも聖書から答えを「断定」する様子をみて、確かな確信やこの人が真理であると言う事は真理である、という印象を受けた人も多いはずです。
しかも「これが宇宙の真理である!」とまで言っちゃうんですから、そこまで壮大なことをこれだけ断定するのにはなにか理由や証拠があるんだろうな、とか、常々人生や哲学や存在意味なんかに悩んでいた人には雷にでも当たったように感銘を受けてしまうことだってありえるわけです。逆に「これも真理かもしれません、いや!一部真理が含まれているでしょう。他の教会にもいい所がありますし、JWにも悪いところがあります。人により向き不向きがある宗教です。ご自分で調べてください。」とか言われたら?
ぐっとインパクトが弱まりますよね。正直で誠実で、それこそ「真実」だとしても。
JWは他の宗教、無宗教一般をけなし、その上でJWが一番!と宣言する。
ここに秘密があるような気がします。
蛇足ですが、私は2世として「真理」だとか「真理を探す」「真理を得る」とかいう表現になれてしまっていて、真理とは一つ、存在するもので、それを知るまでは人生が始まらないような印象を持っていました。
ものみの塔でよく「一生真理を探究して、それを見つけられない人たちも多くいます。」なんていわれると、自分は人生を無駄にしないで、すでにラッキーにも真理を知っている、なんて思っていました。
辞めてからは真理、というものは普通みつからないものなんだ、と思うようになりました。というか、真理、というものがそもそも存在するのか、みつからないから真理といういうのではないか。自分で探してゆくから真理というのではないか、探す過程が真理ではないか、
そんな風に思ってます。
真理というのは「はい、これです。」と差し出せるものではない、と。
って、基本的概念はPWさんと一緒なんですが。
人それぞれにあるから、人に勧める時に自分の真理を断定的に勧めないし、無論強要もしない・・・
思い出しますね、「カリスマ巡回監督」と言われてたBの証言方法、「そう思いませんか!!!」
けっこうアクの強い感じの証言でしたが、なぜか家の人聞いてくれたんですよ(苦笑)
まあ、これを実社会に生きていくうえでの教訓にしていければ、ちょっとは得した気分になれるかも知れませんけどね(爆)
あ、そうですね、そういうのもありだと思います。人それぞれまた違う、ということでしょうか
●思い出しますね、「カリスマ巡回監督」と言われてたBの証言方法、「そう思いませんか!!!」
私もこういう巡回監督知ってます。もしかした同じ人かも(笑)どうして巡回監督となると急に家の人はきいてくれるのかなあ、神の導き??なんて思っていました。
もちろん宗教とおみせで物を売るのは違いますよね、勧誘の場合、頼みもしないのにこちらから押しかけてるわけで(笑)。でも一度研究を始めたりすると、この断定的JWの教え方が功を奏しちゃう場合も多いんじゃないか、、と思いました。
ところがどっこい、かの宗教で言うところの「真理」は、知れば知る程、首が傾いていくので不思議です。
なるべく、真っ直ぐに見えるように季節がらマフラーなんぞして誤魔化しておりますが。
自由意思を持つことをお許しになった創造者が自由意思をこうも束縛されるのでしょうか?
言った者勝ちで油注がれた忠実な輩が、足して引いて作り上げた「真理」の「教え」を学んでいますが、「良いこと言ってるなぁ!」と思えるシーンがだんだん減ってきました。
先日の書籍研究のおり、奉仕監督の訪問があり、「聖書の真理をお伝えすること、これほどの喜びが他にあるでしょうか!!」とやや絶叫調でお話されていました。その後の奉仕区域と集合場所の確認の時、みなさんの目がいつもよりも輝いていました。
本当に、従順な方ばかりで。
悲しくなってしまった、わたしでした。
そういえば、伝道でも、春の一日を特別な宣教活動の日にして、雑誌を余分に注文したりしてせっせとばらまいて数を稼いだりしましたよね。なんて活動でしたっけ、忘れてしまいました。
で、JW的な強引な宣伝方法って、宗教に飢えてる人にはそれなりに効果が高いのが恐ろしいですよね。
「これだけが真理です、あとの宗教はすべてだめ、神の言葉に間違いはない」みたいに言いながら訪問してくる人が真理を持ってるわけはないですよね。
コツは「愛」なんです。なんてカッコよすぎですかね~(恥っ)
でも、真面目に野外奉仕は「愛」を実践する機会だと思っているので、家の方に愛が伝わりますようにと思って接しています。
不良な私は、研究を勧めるとかJWになってほしいとかは全然思っていないのですが、それでもちょっとは暖かい気持ちになって頂きたいというのが私のスタイルです。
「地球上から戦争がなくなったらいいですよね」とか「病気や死がなくなったらいいですよね」というくらいの言い方しかしないのですが、本心から家の方の心に平和がもたらされますようにと願って、そのように言います。
雑誌が家の方の役に立つかどうかはわかりませんが、全く変なことばかり書いてあるわけではないし、家の方にとって必要な情報がたまたま得られる可能性もあるわけです。やっぱりJWは嫌だという結論を出すかもしれませんし、なにかを考えるきっかけになるかもしれない。あるいはゴミ箱に直行かもしれない、それでいいと思っています。
まあ、家の方には迷惑な訪問だとは思いますが、でも私はあんまりキツイ対応をされた経験がないのですよ。世界中みーんないい人ばっかり~と思って生活していると、本当に私と接する人はいい人ばっかりになっちゃうんですよ~。これは私が悟った真理です。
(とは言え、長老たちは別です
>真理というのは「はい、これです。」と差し出せるものではない、と。
私もそう思います。
特に日本人にとっては、真理とは探りがたいもの、決して到達できないもの、というイメージが強いと思いますから「真理はこれです」と言った時点で胡散臭くなってしまうでしょうね。
色々考えるに、平凡なクリスチャンの「売り」は「愛」だけなんじゃないかと思うのですが。
補足すれば、話に聞き入らない相手に割く時間をとらないための手法だとも言えますね。
あ、それは私もありますよ!それこそ売るほうはいいけど、買うほうは、、(笑)
ここがさじ加減どころかな、と思ってます。ノルマや販売促進キャンペーンとかで自分の好きな商品以外を薦める時はこちらにも「騙してるみたいで悪いなあ」みたいな引け目があるから、それがお客さんにも伝わるのかな、なんて思います。
あ、伝道の時はですね、まさにこう感じていましたから、家の人にも微妙に微妙な心境が伝わってたのかもしれません。(笑)
●そういえば、伝道でも、春の一日を特別な宣教活動の日にして、雑誌を余分に注文したりしてせっせとばらまいて数を稼いだりしましたよね。
ありましたね、キャンペーンというのかな、ビラだったり雑誌だったり。特別活動とか言ってましたか。特別号とか。特別だからなにか特別なことが書いてあるんだろう、といつも懲りずに騙されて期待してましたが、いつもの月と全然変わらない雑誌でしたよね。
●ほんとうに、「真理」が目の前に開けたなら、喜びに満ちあふれ、笑顔が絶えないでしょうね。
そうなんですよね!!!それこそ喜びなさい!とか言われない前に喜んじゃうよ!って感じで。JWを知ればしるほどそんな風に喜べなくなる、というのはやはり、何かあるんです。そんな風に最近は確信を深めてます。
●ところがどっこい、かの宗教で言うところの「真理」は、知れば知る程、首が傾いていくので不思議です。
あ、そうです。そんな風に私も思っています。
●言った者勝ちで油注がれた忠実な輩が、足して引いて作り上げた「真理」の「教え」を学んでいますが、「良いこと言ってるなぁ!」と思えるシーンがだんだん減ってきました
これも正直に考えて露丸さんの意見に賛成です。昔は、、なんか、、こうもっと感動する教えとか、心からうなずけることとか、、あったような気がするんですが、私が変わったのか上層部が変わったのか、そういうシーンがどんどん減っていきました。消滅する前なんかは、「めちゃくちゃ言ってる」と憤慨させられることが多かったです。
●その後の奉仕区域と集合場所の確認の時、みなさんの目がいつもよりも輝いていました。
こういうのはアメリカの宗教ですから、自己啓発セミナー的な効果というのは即効的にはどこでも出るので、それなのかな、、なんて思います。私も特別活動とか巡回訪問の後は士気が上がったというか、、もちろん、実質がない喜びなのでその言葉がフェイドアウトすると同時に普通に戻ってしまうんですが。