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日本国憲法はアメリカの押し付けか? 川村俊夫氏の「日本国憲法はこうして生まれた」を読む

2017-05-13 11:18:44 | 政治

実にタイムリーな本が出版されました。川村俊夫著

「日本国憲法はこうして生まれた 施行70年の歴史の原点を検証する」、本の泉社です。ご紹介しましょう

著者は敗戦直後の日本支配層の動きから始まり、憲法公布に至る過程を詳細に跡付けて見せます。その結論として、「むすび」のなかで日本国憲法制定には四つの力が働いていると述べています。四つの力とは次のものをさしています。著者の文章を引用しましょう。

第一に日本の支配層と政府です。ポツダム宣言を受諾した天皇と日本政府が、明治憲法に変わる民主的憲法制定の国際的責務を負ったことは明白です。しかし、天皇と日本政府にはその意思も能力も全くありませんでした。GHQにうながされてようやく開始した憲法制定の作業でも、明治憲法の字句の修正でお茶をにごすことしか考えていませんでした。こうした姿勢がGHQからも国際社会からも受け入れられないとわかってからも、最後まで明治憲法の考えにとらわれ続けたのが日本政府です。

第二はアメリカ政府およびその出先機関であるGHQです。彼らは反ファッショの連合国の一員として第2次世界大戦を戦った、日本政府のポツダム宣言実施を監視するという面とソ連・世界の民主勢力との対決を強め戦後世界の覇権をにぎろうとするもう一面をもって日本の占領支配を行いました。新憲法の制定にあたっては憲法発展の歴史的到達点を取り入れることに努力する一方で、天皇制の維持など日本政府と妥協し続けたのもそのためです。

第三は、敗戦によって大きな打撃を受けながらも、急速に民主化の流れをつくり出しつつあった日本国民です。日本国民は労働者、農民、女性、学生など階層別の組織化をすすめつつ職場、地域、学園から明治憲法体制を打ち破るたたかいを展開し、その中では明治期の自由民権運動、大正デモクラシーなどの伝統を大いに生かしています。それが憲法研究会案に見られるように、日本国憲法に平和と民主主義の規定を盛り込む力となったことを決して過小評価するべきではありません。

第四は、こうした日本国民のたたかいを励まし、ささえた極東委員会やその背後にある国際的な世論とたたかいです。第2次大戦を反ファッショの立場でたたかいぬいたこれらの国々でも、戦後、平和や人権をめぐる新たなたたかいが発展し、それぞれの国で制定された新しい憲法にもそれが反映されました。それが日本国憲法制定の大きな背景となったことは明白です。

著者が主張しているのは、この四つの力のたたかいによって民主的な憲法がかち取られたということでしょう。

 著者の指摘でもう一つ重要なことは、占領下で制定された憲法を、国民が自分のものにしたということです。

 著者は憲法学者・長谷川正安氏の次の言葉を引用しています

占領の内容が問題になるのは、占領解除後、主権を回復した国家が占領中に作られた法令をどう処理するかという問題に直面したときのである。憲法制定権力を持つ国民が、占領中にできた『憲法』を全く支持しなかったか、あるいは支持して、これを支持して自分たちのものにしてきたかが、占領後の憲法的処理の有力の基準となるナチの占領法令はもちろん、ナチと協力した〔フランスの〕ヴィシー政権の一切が、解放後ただちに無効とされたのは、占領中を通じて、多数の国民の支持をうる余地のない、売国的・ファッショ的なものであったからである。

もし「日本国憲法」が占領下で押し付けられたものであれば、ナチに押し付けられたフランスのヴィシー政権の法令のように、解放されたとたんに無効になっただろうというのです。これとは逆に日本の国民は「日本国憲法」を擁護し続け、70年間一時一句も変えさせませんでした。この事実こそわれら日本国民が誇りとするべきことではないでしょうか。

 簡単に紹介しましたが、この本は憲法問題を考えるうえで貴重な本です。日本国憲法が、安倍首相が言うような「連合国軍総司令部の、憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間で作り上げたシロモノ」などではないことを教えてくれる本です。

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