あれから5年・・・今月30日は父の命日です。 父自身は横浜生まれ東京育ちなのですが、父方の故郷は岐阜県の郡上八幡なので 親戚もおり、父は幼い頃から郡上八幡で過ごすことも多く まるで故郷のように思っておりました。先祖代々からの我が家のお墓もかつては郡上八幡にあったので(今はお墓はこちらに移しましたが) 私も何度か訪れ、宗祇水をはじめとした湧水が湧く、名水の城下町である「水の町」、郡上八幡が子どものころから大好きです。
♪ 郡上の八幡出てゆく時は、
この歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって歌い踊り続けられてきたもので、国の重要無形文化財に指定され、全国三大民謡に数えられています。地元の人だけでなく多くの観光客が訪れ、毎年7月中旬頃から9月の中頃まで踊り続けられ、とくに8月のお盆は「徹夜踊り」となり朝の5時頃までにぎわうそうです。
東京・青山にある梅窓院という浄土宗のお寺は 家康の家臣だった老中青山幸成(よしなり)公が逝去した時(1643年)、青山公の下屋敷に建立されたのですが、(青山幸成は、家康、秀忠に仕えた青山忠成の四男で、郡上青山家の流れになるそうです。)
梅窓院の歴史は、郡上八幡城主・青山家の菩提寺であることから始まったので 、ゆかりのある郡上八幡町との交流活動として、6月に境内で 「郡上おどり in 青山」 が開催され、地元郡上八幡町から招いた方も踊られるというのを聞いて 先日の日曜日 浴衣を着て行ってみました。 あいにくの雨でしたが 浴衣を着て 踊りてぬぐいをして傘もささずに雨に濡れながらも楽しそうに踊る人でいっぱいで 保存会の方々の郡上節の生の演奏も素晴らしく 久しぶりに盆踊りの楽しさを味わうことができ、父が生きていたら 一緒に来たかったなあと思うのでした。また夏の郡上八幡を訪れて 本場の郡上踊りに参加してみたくなりました。
我が家の先祖は郡上八幡の武士で、父はその十何代目かにあたり、先祖の武士の名前は今でも郡上城史にも残っています。
戦国時代末期 遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまりで その後井上氏、金森氏が入部しましたが、大規模な農民一揆の宝暦騒動が起こり 金森氏にかわって青山氏が入部し、幕末まで続きました。
青山家は徳川家康の家臣ですが、ルーツは藤原家の血筋で近江の国だそうですが、その後 群馬県に移り そこの土地の名であった「青山」を姓にしたそうです。その後三河に移り住み、青山家は徳川家の最古参の譜代となり、青山忠成の時、 家康の命に従い 東京、青山に居を移し 、徳川の歴代将軍に仕え、幕府を支え、 江戸時代を代表する大名となったそうです。その青山家は、本家が現兵庫県の篠山で、そして分家は岐阜県の郡上で、それぞれ明治維新を迎えたというわけです。
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郡 上おどり in 青山 では ちょっとした物産展も同時開催されており お土産に ほう葉みそを買って帰りました。ほう葉をしいて味噌で焼く ほう葉焼き は 以前 郡上八幡を訪れた帰りに 世界遺産の 白川郷まで足を運び タイムスリップをしてしまったような荻町の合掌造りのおうちでいただいた 飛騨牛のほう葉焼きがとっても美味しかったので 昨夜は それを真似て和牛やきのこや季節の野菜を焼いて美味しく頂きました。もう一袋残っているので 父の命日に お墓参りにいったあと もういちどほう葉焼きをしたいと思います。。。
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