ちなみにこの電車は1904年(明治37年)に製造され、当時東京都内の飯田町から中野町を走っていたとのこと。その後、信濃鉄道(現在のJR大糸線)に売却され、さらに筑摩鉄道(現在の松本電鉄)で終戦時に活躍したらしい。何と103年前の代物である!
当時の最先端のデザインとして脚光を浴びたこの車の数奇な運命と長い風雪に蝕まれた車両に歴史と哀愁を感じた。
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