私色のシンプル感謝道(みち)!

『ありがとう』を忘れなければ、
寄り道・回り道もきっといい思い出になるはず。。
臆することなく人生を楽しみたい♪

良心の風。

2009-07-31 13:57:22 | Weblog


昨日ある方のブログを読んでそのコメント欄に
書き込んだ私の言葉です。



『今日は今日の風が吹く。
明日は明日の風が吹く。

風に吹かれて流されて・・・
それでもみんな生きている。

風に吹かれて色んな旅を経験するのなら
せっかくだから楽しもう!

自分で選んだ旅立ちなのだということを
思い出したらどんな旅でもありがたい♪』



私達には人生の風がいつも吹いていて、
それに流されながら日々を生きているのでしょうか。。
あらゆる方向から色んな風が吹いてくる中で、
知らず知らずのうちに自分でどの風に乗って
流されていくのか選んでいるのかもしれませんね。


でも、自然界では時々風が吹かない状況もあります。
『凪』の状態です。『凪』を調べてみたら、こんな
風に書いていました。


『海岸近くでは、日中は海から内陸部に吹き込んでくる
海風が、夜間は反対に内陸部から海の方に向かって
流れる陸風が吹く。また山間部では、日中は谷の奥に
平野部から吹き込んでいく谷風が、夜間は谷間から
平野に向け流れ出す山風が吹く。これら二対の風は朝晩に
交替期があるが、そのときには一時風がやみ、凪となる。
これが朝凪、夕凪とよばれる現象である』(wikiより)


これを読んでいると、どうやら風が吹いていないのではなく、
風と風の交換の時期のようです。風のパワーとパワーが
ぶつかり合った結果力を打ち消しあって無風のように
感じるということでしょうか・・・・


私達は勢いの強い風に乗り暮らしていると、時折
あまりの風の強さに自分が無力に感じる事もあります。
自分がコントロールできないように思うこともあるでしょう。


でも、いつでも自分が選びさえすれば勇気を持って
違う風に乗り換える事だってできるのだとわたしは思います。
強力な風から乗り換えるにはそれなりの覚悟も必要ですし、
その風に対抗できる強い風を見つけなければいけません。


そして、その風と風がぶつかり合ったとき一瞬『凪』の
状態が生まれるような気がします。
風に翻弄されて疲れてボロボロになった心身を癒す事の
できる穏やかな無風状態。。これは勇気を出して頑張った
あなたへの神様からのご褒美の御慈悲なのかもしれません。


勢いのついた風を打ち消し、対抗できる風とはどんなもの
なのか・・・私はそれこそ『自分の良心の風』ではないかと
その方のブログを読んで感じました。


自分のありのままの姿を書くことで、人に勇気を与える事も
あります。私はそんな彼女がとても素敵だと思います。
よろしかったら皆さんも勇気をもらってください


伊勢白山道  悩み解決のヒント + あたし日記♪ 


心の友への手紙。

2009-07-31 01:46:59 | Weblog


永遠の心の友へ。



遠く遠く離れた地で暮らしているあなた。
今もお元気にしていますか?



あのキラキラした瞳の輝きは今も健在ですか?



いつもあなたの周りには人の笑顔がありました。
あなたがいるだけでみんな幸せな気持ちになったものでした。
いつもみんなに取り囲まれて引っ張りだこだったあなたにも
人には見せない悩みがありましたね。



そんな悩みをおくびにも出さずにいつも明るく
人を気遣っていたあなたを見て、みんな悩みのない
幸せ者だと羨ましがっていましたね。



あなたはそんな風に言われても、ただ黙ってニコニコして
いました。そんなあなたはまだまだ子供だった私の人生観に
大きな影響を与えました。



人からの評価を気にすることなく飄々と自分の道を
歩き続けていたあなた。。。
ただ一生懸命今を生きていましたね。



今もどこかで黙々と自分の道を歩んでいるのでしょうか?



あれから何年経ったことでしょう・・・
私もなんとか自分の足で歩いています。
あなたのようになるにはまだまだ時間はかかりそうですが・・・
くじけそうになった時、いつもあなたのことを思い出します。



そしてまた歩き出します。
いつか再びあなたに会えるチャンスがあった時、
恥じることなく胸を張って会いたいと思うから・・・



そんなあなたを生かしていただいてありがとうございます。

みんな大切。

2009-07-30 11:08:55 | Weblog



今日歩いていたら久しぶりに懐かしい虫の
鳴き声を聞きました。


アブラゼミの泣き声でした~!
相変わらず暑苦しい音でした・・・(^^;;


毎年アブラゼミの大群の鳴き声を聞くたびに余計に
暑苦しく感じて苦痛に思っていたものでしたが、
気づいたら夏の恒例のアブラゼミの大群の鳴き声は
殆ど聞こえなくなっていました。。
それはそれで寂しいものです。


今の小さい子供達はセミの泣き声と聞いて連想するのは
おそらくクマゼミのものではないかと思います。
日本の夏の気温の上昇がアブラゼミの生息範囲を狭めて
しまっていると聞いています。


いつ頃からアブラゼミはいなくなってしまったのだろう・・・


世の中は時間と共に常に変化しているものだと頭の中では
理解していても、案外その変化に気づくのは難しいようです。


気づいた時には取り返しのつかない程変化してしまっている
事だって沢山あります。自分が意識している部分での変化は
気づきやすいものですが、そうでない部分の変化に対して
人間はとても鈍感な生き物のようです。


自分が意識したり、気づいている事なんて取るに足りない
ちっぽけなものなんだと思うことがあります。
所詮私は何も知らないに等しいのだな~と・・・


3本の線香供養をするときもいつもその気持ちを
意識しながらしています。自分が全く知らない存在の
ご先祖様も私が知ろうが知るまいが関係なくいつも
見守ってくださっているのかもしれないと・・・


そう思えるようになったのは、3年以上前のことですが、
ふとしたきっかけから先祖供養をしようと戸籍を遡って
ご先祖様を調べた経験があるからかもしれません。


正直ビックリしました。。3~4代遡っただけでこんなに
沢山のご先祖様や血縁者がいるなんて・・・。


その中には若くして亡くなられたり、生涯独り身ですごされたり
している血縁の方もおられました。その方達は誰が供養し、
思い出してあげているのだろう・・・となんだかその方達の
事を思うと寂しい気持ちになったと同時に、知る事が
できて本当に良かったと思いました。少なくとも今私が
その方達の存在をしり、思いを馳せる事ができたから・・・。


その当時伊勢白山道式の先祖供養と出会う随分前でしたが、
今はその方達や、それ以外のまだ私も存在を知らない方々の
為に感謝の気持ちをおく事ができます。


リーマンさんの特定の人を意識しない先祖供養は私の経験から
とても理にかなっているような気がしました。
少し調べてみればわかります。
自分の血縁の色んな人生が・・・。
それを知ることも大切な供養なのだとその時思いました。


8月は大切なお盆があります。
私の知るご先祖様も知らないご先祖様もみんな私のご先祖様
です。そして、縁ある霊の方々も・・・。
みんな大切なのだろうと思うのです。
自分がその大切さに気づいていないだけで・・・。



生かしていただいてありがとうございます


小川を流れる笹舟のように・・・

2009-07-29 01:18:00 | Weblog



若い頃から自分の人生は小川を流れる笹舟のような
ものだと思っていました。



川の流れに翻弄されるがままある時は穏やかに静かに
進み、またある時は一転激流にのまれ沈没しかけたり、
岩に激突してボロボロになったり・・・。
そんなものなんだろうと思っていました。



その時々の状況に運の良さや悪さを感じて一喜一憂。



以前私は笹舟に舵はついていないと思っていた。
ただ、流れに任せていただけなのだ。
笹舟に乗りながら心配し、不安になっていただけ。
そこに真の努力があったのだろうか・・・



もちろん私なりに今まで勉強もして学校も卒業し、
働きもし、最低限の努力はしてきたつもりだけど
心の中はいつも不完全燃焼でもっとできるはずなのに・・・
って思っていたな~。



今でもそれは変わらない。
相変わらずのらりくらりの毎日です~



ただね、以前と違ってコツコツと毎日あることを積み重ねて
いく事ができるようになりました。
少しだけ進歩したのかな。。。



『継続は力なり』



3日坊主の帝王と呼ばれた私の辞書には無かった言葉(^^;;



毎日の『線香供養』と『感謝想起』
これをコツコツ毎日やっている間に私の乗っている笹舟に
実は舵がついていて自分が流れをうまく利用しながらも
行き先をコントロールできる事に気がついた。



モーターをつけて無理やり流れを無視するわけでもなく、
流れに沿いながらも巧みに舵を操りながら激流も乗り越え、
危険な岩も回避できる。



そのことに気づけたことにただただ感謝です。



私の笹舟の舵を操れる人間は私しかいない。
だからゴールまで責任持って操ろう!
毎日自分のできる事をコツコツと継続しながら・・・





思いやりの一杯の水。

2009-07-27 01:06:00 | Weblog
7月25日の伊勢白山道ブログのコメント欄にUnknownさんが
ある動画を紹介してくださっていました。


御覧になられた方も沢山いらっしゃると思いますが、
青山繁晴さんの『国益を考える講演会』の動画でした。


非常に長い動画でしたが、途中でやめる事ができませんでした。
自分の利益を考えず、国と日本の女性や国民を守る為に地獄の
ような環境の中、戦い続けた硫黄島の日本兵達とその後について
の公演でした。


公演中の青山さんも涙しながらの公演でしたが、私も動画を
見ながら気づいたら泣いていました。
感動と感謝と哀しみの混ざった涙でした。


今日はUnknownさんの紹介の動画ではなく、関西テレビの
ニュース番組の中での特集での青山さんのものを紹介させて
いただきます。よろしかったらみてくださると嬉しいです。


青山さんが語る硫黄島と栗林中将1/3


長いので3部に分かれているうちのpart1を貼り付けました。
あとpart2と3があります。


人それぞれの感想を持つと思います。
栗林忠道中将という1人の立派な軍人や彼と共に本土で生活をしている
女性子供達のために一生懸命戦った方々を知ることで、また
心新たに生かしていただいている喜びを感じた気がしました。


青山さんは『一杯の水運動』という運動を提案なさっています。
彼のこの運動もこの国のために尽くしてくださった方々への
感謝と思いやりの運動で、伊勢白山道の先祖供養や感謝想起に
通ずるものがあるような気がしました。


今日は多くを語りません。時間があれば見てください。




生かしていただいてありがとうございます



あほ~な思いつき(^^;;

2009-07-25 02:15:00 | Weblog



友人と『お金』について話をしました。


『お金』に対して抱くイメージは人それぞれ違うと
思います。私達はお金が無いと生活できない世界で
今生活していますね。


私はどうも投資で働かずしてのお金儲けというものには
向かない性格です~(^^;;


投資して成功すると嬉しくない人はいないと思うのですが、
(もちろん私もそうです)どうも心の奥底に引っかかりの
ようなものを感じてすっきりしないのです~(汗)


どうしてなんだろう!? 
よくよく自分の気持ちを観察してみると、そういうお金の
増やし方に自分が罪悪感を感じているのだという事がわかり
ました。


お金は必要だけど、『お金は汚いものだ』という気持ちを
持っている人も少なからずいらっしゃるような気もします。
私も以前そう思っていました。


お金を必要以上に溜め込む事を因縁のような悪いものを
溜め込むように思う人もいるかもしれません。


ある意味これは間違いであり、正しくもあるような気がします。
ただの物質でしかない紙切れの『お金』自体が本当によくない
ものなのでしょうか? 私はそうは思いません。


しかし、その何でも無いただの紙切れに人は執着し、色んな
思いを抱きます。
お金に対する恨みであったり、どんな手段を用いても手に入れ
たいと思う執着であったり・・・色々あると思います。


その人間の念の磁気を溜め込んでしまう事はありえるのかも
しれないな~って思います。


手に取ったときに無意識にその念を感じ取ったりすると、
汚らわしいものに感じたりする人もいるのかもしれません。


そこで私は考えました~
お金に罪が無いのだし、次に受け取った人がまた
負の磁気を一杯溜め込んだお金を手にするのは
気の毒だ~って・・・


これから私のお財布に縁あって入って来た『お金さん』
達に、『生かしていただいてありがとうございます』の
言霊攻撃を仕掛けて、次の人に渡る前に少しでも感謝の
磁気の上書き修正をして手放してあげようと思いました。


いつものあほ~な思いつきなので、もしかしたら3日坊主で
終わってしまうかもしれませんが・・・(^^;;


もしこの提案が気に入った方がいたら、試してみてください

諦めない!

2009-07-24 01:41:37 | Weblog



ヘナチョコパンチ出しまくりの日々を
相変わらず送っているわたくし・・・



ヘビー級のパワフルなパンチはそれなりの資質が
無ければどんなに頑張っても出せるわけでは
ないのかも~(涙)



太古の昔、人はものを平等に分け合い、争いは
無かったというけれど、それなら喧嘩に強くても
弱くても関係なく、優劣もなかったのかな~なんて
おもってみたりして・・・^^;;



ものを不平等に奪い合うようになって、人は強弱
上下を意識するようになったのだったら、大昔の人々は
どんな存在でも平等という生活を当たり前にしていた
んだろうか。。



ただ忘れ去っただけなのか、その当たり前を・・・



落ち込むときは、何かと比べる時だ。
理想の自分とありのままの自分のギャップに悩むのだ。



でも、その悩みが無ければ、人間成長するのだろうか?
悩むから成長する。成長したら、『悩み』はちゃんと
『経験』に昇格するのだ!



 ヘナチョコなりに悩み、一歩ずつ歩を進めれば
それでいいのだ! たまには休憩も後退もOK



毎日ヘナチョコパンチを出しまくってたまには
パンチを食らって倒れてもいいのだ!
転んでも地べたを這いずり回る事もあるだろうが
決して途中放棄しない! 自分に負けない



そして、最後に『よ~頑張ったな自分!』ただ
それだけ・・・前に進むか後ろに下がるかわからないけど、
最後まで投げ出さなければ



『それでいいのだ』



日食写真!

2009-07-22 23:52:05 | Weblog


今日の日本列島は悪天候の所が多く、あいにくの
皆既日食日和となってしまった・・・。


めったに見ることが出来ないので、私も今日は
観察する事にしたが、あいにく厚い雲に覆われて、
期待薄だった


家のベランダに出て様子をうかがうと雲が薄くなった
ところからうっすらと太陽の姿が~!


早速カメラを取り出して、数枚の日食写真に挑戦しました


もう一枚!





曇りがちなお天気の中の撮影だったので、ちょっと暗くて
三日月のようだけど・・・


お願いから誓いへ!

2009-07-20 10:41:31 | Weblog
神様を使役するな!

神様に対して他人の健康を祈ったり、世界平和の実現を祈る
事が聖なる祈りであると勘違いしている人が多いです。
自分の事をお願いさえしなけれえば、それは良い事であり、
聖なる祈りと思われるようです。
その前に考えて欲しいのは、他人の為や公的な祈りの以前に
神様を使おうとしていませんか?
神様を働かそうとしていないか?と言う事です。
病気の人が居るならば、神様に祈る前に自分ができる具体的
な補助をする事が、その方の為になります。
病気であろうが不幸であろうが、その前に生かされている原点
への感謝が無い事が生けません。(伊勢白山道ブログより)



実家の近所にある大きな神社が私の遊び場でした。
毎日のようにあそびに行って、生活の一部となっていたので
お願い事をしにいく特別な場所という感覚はありませんでした。
なので、神社にお願い事をしにいく為の参拝は学校の合格祈願
をしにいったときぐらいしか記憶にありません。


神社へ行くのは好きでしたが、雰囲気を楽しむ観光気分で、
長い間『参拝』などした事がありませんでした。
父親が長くは生きられないと知ったとき、伊勢神宮に家族で
参拝に行きました。今思えば、あの時正式な参拝というものを
初めてしたような気がします。
知り合いの方から行く前に、神社は願い事を
するところではなく、感謝しにいくところと言われたので、
そんなものなんだ。。と思って素直に言うとおりにしました。
その時から、『祈る』=『感謝』と思い込んでいたのです。


それほど無知で育ってきたわたくし・・・


私自身は『祈る』とか、『願う』という言葉自体を否定
しません。これらの言葉に持つ自分の想いの問題なのだと
思うんです。言葉ではなくその言葉に反映させる自分の
心の問題だと思っていますので、これからも『祈る』つもりです。



すれ違いざまの一瞬に見ず知らずの人の輝きを感じる事が
あります。
そういう時、心の中で手を合わせて祈ります。
『生かしていただいてありがとうございます』と・・・


人の一瞬の姿に小さな感動を覚えたとき、その感動に
対してありがたいと思います。そして感謝を籠めて
『祈り』ます。


祈る事も願う事もそれ自体悪い事という認識は私はありません。
そこにある自分の心に何かおかしなものを感じたとき、ただ
それを正していけば良いのだと思います。


私の祈りの概念は日々変化しているような気がしています。


『かなえてもらおうとする依存』から、
           『自分自身への誓い』へと


カルマなんて!

2009-07-19 02:31:21 | Weblog
(伊勢白山道リーマン 09-06-08 月 コメントより)

・・・運勢とは、今と、未来へ向きます。
カルマは過去の事です。
過去を心配しすぎて、未来を落とす人が多いです。

運勢、勢いを運ぶ、です。
正しい生活は、正しい未来を生みます。


1980年代からニューエイジ系の本が沢山出版されて
いたけれど、それらの本を読んだら必ずと言っていいほど
登場する言葉が『カルマ』でした。


『カルマ』・・日本語で言うと『業』
行為は必ずその結果をもたらし,また現在の事態は
必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想
と辞書に書いてありました。。どちらかと言うと良くない
意味で使われている事のほうが多い印象がありました。


当時カルマという言葉を聞くたびに暗~くなっていた
パオパオでした
あまり好きな言葉ではありませんでした。


だって、今どんなに努力しても、それが必ずやって来て、
避けようが無いのなら希望も何もありません~(泣)


それに、ニューエージの思想にハマっている人の口癖
も気になっていました。何か良くない事があると、
『それってきっとカルマだよ!』・・・となんでも
カルマのせいにするのもなんだか腑に落ちませんでした。
自分の努力次第でなんとかなるような事まで、カルマに
かこつけて諦めてしまっているように見えました。


『過去を心配しすぎて未来を落とす』
過去に拘り、心配しすぎると未来に向かってなすべき
今を無駄に使いかねない気がします。


折角の自分の人生少しでも明るく実りのあるものに
していきたいものですね~!


『運勢』は私は過去現在未来全て含むものだと思って
いましたが、『勢い』を未来に向かって『運ぶ』ための
ものだとしたら、そのために何かできるチャンスは
『今』しかありません。


『カルマ』という言葉に希望を見出せなかった私も
今は『感謝』の上書き修正で希望を持てるように
なりました~


過去に拘って諦めの人生を送るより、希望を持って毎日
楽しく過ごしたいものです。
今日も勢いつけて仕事がんばろ~っと!


生かしていただいてありがとうございます