Pantry Ballet

パントリー・バレエ
「松尾の箱」管理人の、BLにまつわるあれこれ
現在は気が向いたときに更新

デジタル

2008-12-15 19:38:42 | コラム
アタシ

マツオ

歳?

言える訳ないじゃん

みたいな

趣味?

まぁ

当たり前に

オタク

てか

マンガなら

なんでも読む

みたいな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ orz .....

以前、BL仲間との好みのちがいについて書いたが
(* 2008/11/15 コラム 「猛者」参照)
そのわたしを含めたメンバー全員に
共通することのひとつとして、
「ケータイやPCで、マンガや小説を読むことはない」
というのがある。
(※ 冒頭の文章は、今年の第三回日本ケータイ小説大賞を
   受賞した作品を、いちおうマネしてみました)


なぜ読まないのか? と聞かれても困るが、
理屈なしにイヤというか。
やっぱ本は紙に印刷されたもので読みたいというか。

なので、柴田よしきさんの作品で
麻生龍太郎と山内練が出てくるシリーズ (*) の新作が、
ネット配信しかされていないことを知ったとき、
わたしは友人とともに読めないつらさをわかちあいつつ、
物理書籍化されることをひたすら待った。
(* 『聖なる黒夜』など)

その時は、

「あー、わたしって古いのかなあ。
 世の中のデジタル化についていけてないのかなあ。
 アナログ・ネイティブだしなあ」

などと思ったけど、でも、世の中実際どうなのか。

というのも、わりと最近の話なのだが、
友人から古い雑誌を何冊かもらった。
その中には、昨年の11月号をもって休刊した
二見書房のシャレード (Charade) の2005年1月号があった。

そのシャレード2005年1月号に載っていた
花川戸菖蒲さんの尤書堂シリーズという作品がちょっと気になり、
シリーズの最初から読んでみようと思って、
その雑誌に載ってた 「既刊ご案内」 というページをチェック。
すると、どうやら尤書堂シリーズの一番最初の本のタイトルは
『一緒にいたねをたくさん』 というらしいことがわかった。

ふむ。
雑誌の他のページの広告を見ても、
尤書堂シリーズの一番最初の本は
『一緒にいたねをたくさん』 となっている。

そうか、では 『一緒にいたねをたくさん』 から読めば
いいのだな、と思って次にアマゾンのレビューを見たら、
なんと 『一緒にいたねをたくさん』 はシリーズ1作目ではなく、
2作目となっている。

え、そうなの?

ちなみに、尤書堂シリーズの正しい1作目のタイトルは
『キスよりもその口唇で』

その情報が正しいのかどうか調べるために、
今度はシャレードのウェブサイトを見てみた。

既刊案内・書籍検索のページで
「花川戸菖蒲」 さんのお名前で検索してみたが、
『キスよりもその口唇で』 というタイトルの文庫本は
ヒットしない。

今度は本のタイトルずばりそのものの
「キスよりもその口唇で」 で検索したら、
「キスよりもその口唇で」 が掲載された
シャレード1999年7月号がヒットするのみ。

んー? おっかしいなあ。

そしてさらにもう少し調べたら、
『キスよりもその口唇で』 は電子書籍化されており、
物理書籍としてはすでに絶版であることがわかった。

あー、デジタル化してんのか。
だから雑誌の既刊案内には載っていないのか。

つまり、物理書籍としてはもう発行してないから、
ネット上の書店から電子書籍をダウンロードという形で買って、
コンピュータ上で再生して読め、と。

やだよ、そんなの。

花川戸菖蒲さんの 『キスよりもその口唇で』 の電子書籍は、
Keyring PDF という形式で販売されている。

この場合、Ad〇be のAcr〇bat Reader が動き、
かつ、ライセンス承認された特定の端末でしか読めない、
ということになる。

それじゃあ、せっかくお金を出して本を買っても、
端末が壊れたら、その端末が直るまでは
読めないってことじゃん。

また、仮にもし端末が修理不可なくらいに壊れたとしたら
別の端末を買わなきゃいけなくなるから、
その電子書籍ももう一度買い直さないといけないんでしょ?
(※ 別のメディアにダウンロードした書籍をバックアップする
  ことはできるが、端末はあくまでもライセンス承認
  されたもののみ)
(※ プリントもできない)


ええー、それってどうよ?

それに、現在のわたしのマシン環境で言うと、
電子書籍を読むには14inchモニタの
重さ5kg 近くはあるノートPCでしか端末がない。

そんなの不便だよ。
文庫サイズの物理書籍なら、
本を読むのに十分な灯りさえあればどこでも読めるのに。

仮に端末がPDAみたいな軽くて小さくて
どこにでも持ち運び便利なものであっても、
バッテリーが切れたら読めないんでしょ?

ちょっと出張のお供に、と持って行ったはいいけれど、
行った先がどえらい田舎で
電池ひとつ買うにもタクシーに乗らなきゃ
いけないような場所だったらどうすんのよ?
(※ まあ、実際似たようなことがあったのです)

お金を払って買った本が手の中にあるのに、
それが読めないって、すっごい腹立つ。

物理書籍なら読めるのに。

本を読むための灯りさえあれば、
物理書籍なら読めるのに。

10年たとうが20年たとうが、ヤケやシミができようが、
電車の中だろうが公園で花見をしながらだろうが、
物理書籍なら読めるのに!

本を読むための灯りがあっても、
ハードやソフトやバッテリーの都合やらで
読めなくなる電子書籍には、
やっぱなんか納得できない。

しかも、花川戸菖蒲さんの『キスよりもその口唇で』の
物理書籍の定価は560円 (税込) ほどなのに、
電子書籍だと840円 (税込) 。

デジタルの方が高いの? なんでっ!?
(※ wikiで読んだら、いろいろ権利関係が複雑なため、
  その分コストがかさむみたいです)


むきーっ! やっぱり電子書籍には納得できーん!

ちなみに、二見書房から出ている依田沙江美さんの
コミックスは、すべて電子書籍化されていて、
お値段はすべて1冊525円(税込)。

物理書籍だとだいたい税込で600円くらいだから、
いちおう電子書籍よりは安い。

というわけで、『チョコレート・キス』 を物理書籍で
持っていない友人が、以前、新品はおろか
なかなか古書でも手に入れられないと悩んでいたので、
(※ 『チョコレート・キス』もきっと物理書籍としては
  絶版なんだよね)


「電子書籍ならあるから買ってみる?」

といちおう提案してみたが、

「ううん。パソコンのモニターじゃなくて、紙に印刷した
 もので読みたいから、がんばって古書で探す」

と言っていた。

そうだよなあ。
やっぱマンガだろうが小説だろうが、
本は紙に印刷されたもので読みたいよなあ。

そんな話を別の友人としていたら、

「電子書籍って、本を読まない人が考え出したんじゃないの?」

と友人が言う。

うむ。
なんの根拠もないが、思わずうなづきたくなる考えだ。

そして最近知ったのだが、
柴田よしきさんの麻生龍太郎と山内練が出てくるシリーズの
小説を配信していた、
S0NY が100%出資している Timebxxk Txwn という会社は、
(* いちおう伏字)
つい先日の2008年12月5日をもって
新刊の配本 (ダウンロード) を終了した。

ちなみに、新規会員の受付はすでに2008年9月末で終わっており、
既刊の販売 (ダウンロード) も2008年12月25日までで終了だ。

…… これってつまり、ゆるやかに店じまいを始めているってこと?

ということは、この電子書籍の本屋、儲かってなかったんだな。

Timebxxk Txwn の 電子書籍販売終了から考えてみるに、
「本は紙に印刷されたもので読みたい」と考えている人は、
わたしやわたしの友人だけでなく
他にもやっぱ多いってことかな。

だからねえ、二見書房。
キミんところはけっこう書籍のデジタル化に力を入れてる
みたいだけど、もしかして物理書籍なら売れる本まで
デジタル化して、ムダに儲けを減らしてんじゃないの?
だからシャレード、休刊になったりしてんじゃないの?

経営状況がどうなのか知らんけど、
依田沙江美さんの『美しく燃える森』 を出すまでは
がんばってくれよ。

「電子書籍は本を読まない人が考え出したのではないか?」

なんでもデジタル化すればいいってもんじゃない。

Timebxxk Txwn の電子書籍販売終了は、
友人の言葉をしみじみと思い出させるニュースだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回の Pantry Ballet は年明けに更新予定です。
それではみなさま、よいお年を。


遺品

2008-12-01 17:06:29 | コラム
ずいぶん前の話だが、病気でしばらく
入院しなくてはならないことがあった。
(※ 現在は元気です)

医者から入院を言い渡された時、わたしが真っ先に考えたのは、
病状のことでもなく、会社のことでもなく、
いくらになるかわからない入院費+治療費のことでもなく、

「部屋にあるあのBL本をどうしようっ!?」

だった。

当時もいまも、わたしはひとり暮らしで、
部屋には当然のごとくBL本が散乱している。

実家の親がわたしのひとり暮らしの部屋に来ることは
ふだんはないが、
さすがに長期の入院となれば、
わたしがいないわたしの部屋に
親が一度くらい足を踏み入れる可能性がある。

ヤバい。親の目に触れないよう、あのBL本をかくさないと!

しかし、長年ためこんだ蔵書はかなりの数で、
ちょっとダンボール箱に詰めて押入れの中に
かくしておけば済むようなものではない。

そして運の悪い (?) ことに、
うちの親はデリカシーがないので、
わざわざダンボールに詰めてテープで封をして
「禁開封」と書いておいたとしても、
「だって探してって言われてたものが見つからなかったんだもの」
とか言い訳しながら、
平気で開けちゃうような人なのだ (T_T)。

くそぉ。
あの妖怪ババァにも開けれられないくらいの
すっげーパワーがあるお札 (ふだ) を、誰かわたしにくれ!
そんなお札があれば、悩みも少ないのに。

だが、こんなところで親をののしっても仕方ないので、
わたしは現実的に、確実にかくせる方法を選んだ。

つまり、ざっくり蔵書の数を減らして、
選びに選び抜いたものだけを、
幼なじみであり応用の達人である友人Aに、
あずかってもらうことにしたのだ。

わたし : 「―― というわけで、ゆうパックの箱で言うと
      中 (ちゅう) よりもちょっと大きいくらいのサイズの箱を、
      しばらくあずかってもらえないかな?
      中の本は自由に読んでくれてかまわないから」
友人A : 「うん、いいよ、わかった」

そしてわたしは、さすがにこの時、身体だけでなく精神的にも
かなりまいっていたのか、

「もしわたしが死んだら、それはそのまま遺品として引き取ってね」

などと言ってしまった。すると、

「冗談じゃない! わたしが親よりも早く死んだ時は、
 あんたにあのわたしが持ってる大量のBL本を含む
 蔵書の整理をしてもらおうと思っているのよ。
 わたしより先に死ぬんじゃないっ!

と言い返された。

うう、ありがとう、友よ。
いや、ありがとうなんだか、なんなんだか。

いまとなっては、この時のことは単なる笑い話だが、
(当時でも笑い話かもしれないが)
しかし、この入院をきっかけに、
わたしはあまりBL本を手元に置かないように心がけている。

できるだけ、人目に触れる負の遺産は少なくしておきたいよね。

しかし、入院からかなり時間のたった現在、
わたしの部屋の中には、確実に200冊はBL本がある。
これでもできるだけ少なくしているつもりなんだけどなあ。

BL読者歴20余年。
自らの 「遺品」 の整理は、こまめにやらないといけないのである。