県博で公開中の富岡家文書。
28番上杉輝虎書状。
今日の収穫。
花押がね。変わったらしいのだ。
文書に寄れば、
「追而判形替候、於向後者、可為此分候間、不可有不審候、」
謙信自ら花押替えた宣言面白いね。
それはさておき、年次比定である。
永禄七年カとあった。
私、「おや?」と思った。
27番の文書は古い花押形で、永禄七年三月二四日なのだ。
そうなると、28番は永禄8年以降が良いのでは?と感じた。
それはそれとして、
図録132頁で(青)さんは言う。
「永禄七~八(一五六四~五)にかけて複数の花押を用いており、
この間に比定される。」とのこと。
うーん、複数の花押というのが実に面白い。
これで、年次比定にも納得。
しかし、青さんに会場でお会いしたのに、
この件お話ししなかったのが実に残念。
家で更に追加調査すれば、
かの館林市史段階では青さん、28番を年不詳とされていた。
これって1年の成果ってこと?感心した。
それで県史を見るとやはり、年不詳だった。
蛇足ながら、県史2235号では花押形について、
72aと正しく記しているけど、
巻末の花押集では72bに入れてしまっている。
今回これに気づいた。
本文中で間違っていないから、問題はないけど
ご用心のほど。
28番上杉輝虎書状。
今日の収穫。
花押がね。変わったらしいのだ。
文書に寄れば、
「追而判形替候、於向後者、可為此分候間、不可有不審候、」
謙信自ら花押替えた宣言面白いね。
それはさておき、年次比定である。
永禄七年カとあった。
私、「おや?」と思った。
27番の文書は古い花押形で、永禄七年三月二四日なのだ。
そうなると、28番は永禄8年以降が良いのでは?と感じた。
それはそれとして、
図録132頁で(青)さんは言う。
「永禄七~八(一五六四~五)にかけて複数の花押を用いており、
この間に比定される。」とのこと。
うーん、複数の花押というのが実に面白い。
これで、年次比定にも納得。
しかし、青さんに会場でお会いしたのに、
この件お話ししなかったのが実に残念。
家で更に追加調査すれば、
かの館林市史段階では青さん、28番を年不詳とされていた。
これって1年の成果ってこと?感心した。
それで県史を見るとやはり、年不詳だった。
蛇足ながら、県史2235号では花押形について、
72aと正しく記しているけど、
巻末の花押集では72bに入れてしまっている。
今回これに気づいた。
本文中で間違っていないから、問題はないけど
ご用心のほど。