御屋敷住まいの時代探訪

ぐんまの歴史、とくに刊行物に気を配る部屋です。

富岡家文書の年次

2008年09月29日 00時27分59秒 | 中世史
県博で公開中の富岡家文書。

28番上杉輝虎書状。

今日の収穫。

花押がね。変わったらしいのだ。

文書に寄れば、

「追而判形替候、於向後者、可為此分候間、不可有不審候、」

謙信自ら花押替えた宣言面白いね。

それはさておき、年次比定である。

永禄七年カとあった。

私、「おや?」と思った。

27番の文書は古い花押形で、永禄七年三月二四日なのだ。

そうなると、28番は永禄8年以降が良いのでは?と感じた。

それはそれとして、

図録132頁で(青)さんは言う。

「永禄七~八(一五六四~五)にかけて複数の花押を用いており、

この間に比定される。」とのこと。

うーん、複数の花押というのが実に面白い。

これで、年次比定にも納得。

しかし、青さんに会場でお会いしたのに、

この件お話ししなかったのが実に残念。

家で更に追加調査すれば、

かの館林市史段階では青さん、28番を年不詳とされていた。

これって1年の成果ってこと?感心した。

それで県史を見るとやはり、年不詳だった。

蛇足ながら、県史2235号では花押形について、

72aと正しく記しているけど、

巻末の花押集では72bに入れてしまっている。

今回これに気づいた。

本文中で間違っていないから、問題はないけど

ご用心のほど。
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特別展 戦国武将からの手紙 開催中 10/5まで

2008年09月29日 00時08分06秒 | 中世史
県立歴史博物館の秋の特別展に行ってきた。

まさに文書の群れ、壮観。

そこここで、「読みがついてないとわからなーい」という会話が耳に入る。

さもあろう。そんなに簡単に読めたら苦労しない。

「図録買えば全部載ってるよ」、そう言いたい気持ちを抑えつつ。

「判読文があったって、難しいよ」って思うのだが・・・。

いずれにしろ、文書を見るというのは、通向きなのだ仕方ない。

それでもチャレンジする歴史好きに敬意だ。

とにかく、展示は真っ向勝負、小細工してもしょうがないって事かな。

私が見るに、思ったよりいろんな方が入ってるなと思ったけど、

日曜だからな、もっとほしいかな?どうだろ?

でもじっくり堪能できて嬉しかった。

富岡家文書との出会いは何度目かなあ?

いつ見ても、新鮮なんだよなあ~。

これって悲しい。いい加減、馴染みたい。

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不動山城(見立城)現説

2008年09月23日 23時06分48秒 | 中世史
9月6日の現説報告。

まあ、写真を公開。

それにしても、見つかった竪堀2条やらなにやら、

今時ほ場整備で消えていくのは残念。

残った城本体はぜひ未来永劫残してもらいたいものだ。

写真1 西側の竪堀末端

写真2 東側の竪堀末端



写真3 竪堀に挟まれた削平地


これが妙な感じで気になったな。面白いものだった。
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7月山梨シンポコメントなど

2008年09月13日 16時40分48秒 | 記事無しコメント集
動物と中世 (尾曳新五郎)

2008-07-08 06:48:25

帝京大学山梨文化財研究所の第6回考古学と中世史シンポジウムに行ってきました。テーマは「動物と中世社会-捕獲・加工・消費-」です。
歴史学・有職故実・美術史・考古学の研究者をパネリストに集め、なかなか盛況であったように思います。

個人的には、初日の苅米氏の発表「山野河海における生類と信仰-自然認識と宗教-」と、二日目の白水氏の野生動物をめぐる場、および人の関係」に関心をもっています。都合で初日は出席できず残念でしたが。

動物を資源と捉えれば、当然それは領域支配の問題になってきます。「山野河海」・「公私共利」・・・。中世の領域支配の特質を考える上で覚醒させられた部分もあり、たいへん有意義でした。

文化人類学には、人と資源、生業と領域を考える重要な概念に、「コモンズ」という考え方があります。文化人類学や民俗学の研究者も交えると、さらに議論が多角的になったと思います。

生業と領域の問題については、先週、群馬歴史民俗研究会が井原今朝男氏を前橋に招いて講演会を開催しました。演題は「民衆生活史と知の体系 -前近代民衆知における生業と技術・呪術信仰-」 国立歴史民俗博物館の基幹研究の取り組みについて語っていただきました。学際研究・共同研究をするに当たって、学術概念の摺り合わせが必須で、いかに「共通語」を増やしていくかが重要であるかを説いておられました。

甲斐の粉食と信玄の道 (赤坂川源平)

2008-07-08 06:53:51

赤坂川源平の甲斐道中記を報告しています。
「あずさ2号」の問題は実に深刻だと思います。どなたかご意見をお願いします。
また、千曲川上流の「海」地名についてもご意見を賜ります。
ご意見は、「赤坂川★A6日記 《上州麺'S倶楽部》」まで!

Unknown (御屋敷)

2008-07-08 22:33:27

生業との関わりが尾曳さんのツボだったのですね。それにしても精力的に行動されてますね。最近の関わりとすると、害獣駆除の問題を少し学際的にやれないかなあと感じています。

Unknown (御屋敷)

2008-07-08 22:48:09

赤坂川さんは地名がツボなんですね。「海」も気になるけど、「貝」も気になっています。もちろん、「谷」をカイともいうし、結局「カイト」に行き着くのかも知れませんが、「貝瀬」ってなにか違う要素のような気がして・・・。




コメント (1)
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中世都市研究会大会に参加

2008年09月13日 08時53分55秒 | 中世史
1日だけだけど、東大に行ってきた。

都市研究とは無縁だけど、シンポは久しぶり。

しかし、申し込んでから石和シンポを知り、

急にこのシンポへの意欲が弱くなった。

それでも申し込んでもいるし、他の予定を変更してもらったりと

気分的には欠席する状況でもなかったので予定通り参加。

でも、やはり気分が乗っていないとこんなかなという感じ。

発掘調査を含めた報告も段々飽きてしまった。

最初の十三湊くらいは意気込みあったのだけれど。

面白かったのは、Oサンが文献的な立場から、

武家の敷地を庶民が借りて使う場合、遺構としては民家だが、

土地制度的には武家屋敷では?という投げかけ。

その点は、討論の段階で、O先生が遺構として

扱う以上、領域認識としては民家に入る。

税徴収=支配の問題と、生活の問題を区別すればよいということで

解決なのだが、

ちょっと面白い話だった。

それにしても、都市遺構について全国に視野を広げた話でもあり

会の本領発揮ということなのだろうが

私としては、今ひとつ視点がぼやけている気がした。

そのせいか?参加者も少なく、ちょっと画期がないなという印象だった。

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