研究会で京都に来ている。宿で一人ぼんやりしていると、もう4半世紀も前の大学受験のことを思い出す。
高校3年生の時は共通1次試験が初めて実施され年だった。母に渡されたカイロを持ち、くつしたを2枚はいていたけれども、雪が舞う日で足下が冷たかったような記憶がある。
2次試験を受けるために、初めて一人で宿に泊まった。緊張していたためか微熱があり何をやっているのか自分でもよく分からず、なんだかふわふわした感じの数日間だった。オートロックとはどんな仕組みかとドアを見ているうちに部屋に入れなくなり、恥ずかしい思いをした。もちろん試験の出来はさっぱりだった。
1年浪人してあまりできるようにならなかった翌年も受験。一人部屋でもご利益が無いし高いので母が予約してくれたのは4人ぐらいの相部屋だった。前年とは打って変わって、全く緊張感がなく、調子に乗りすぎて試験の前日に皆でビールを飲んだり、試験当日の昼は喫茶店で世間話をして過ごした。またまた不合格。しょうもないことをした罰が当たったのだろう。
たまたまこの年に、当時の成績から考えると不思議なのだが、早稲田に合格して私の受験は終了した。
不思議といえば、よくその後、名古屋の助手に就職できたものだと思う。そして、大学院生時代からの一番の希望「文系学生に科学リテラシーのようなことを教えたい」にかなう現在の職場に移れたのもなんだか夢のような話だ。
模擬試験の偏差値、大学の成績、教育や研究の成果。私よりも良い人はたくさんいる。そうであっても、自分なりに努力していれば、願いが叶う可能性があるということなのかもしれない。
高校3年生の時は共通1次試験が初めて実施され年だった。母に渡されたカイロを持ち、くつしたを2枚はいていたけれども、雪が舞う日で足下が冷たかったような記憶がある。
2次試験を受けるために、初めて一人で宿に泊まった。緊張していたためか微熱があり何をやっているのか自分でもよく分からず、なんだかふわふわした感じの数日間だった。オートロックとはどんな仕組みかとドアを見ているうちに部屋に入れなくなり、恥ずかしい思いをした。もちろん試験の出来はさっぱりだった。
1年浪人してあまりできるようにならなかった翌年も受験。一人部屋でもご利益が無いし高いので母が予約してくれたのは4人ぐらいの相部屋だった。前年とは打って変わって、全く緊張感がなく、調子に乗りすぎて試験の前日に皆でビールを飲んだり、試験当日の昼は喫茶店で世間話をして過ごした。またまた不合格。しょうもないことをした罰が当たったのだろう。
たまたまこの年に、当時の成績から考えると不思議なのだが、早稲田に合格して私の受験は終了した。
不思議といえば、よくその後、名古屋の助手に就職できたものだと思う。そして、大学院生時代からの一番の希望「文系学生に科学リテラシーのようなことを教えたい」にかなう現在の職場に移れたのもなんだか夢のような話だ。
模擬試験の偏差値、大学の成績、教育や研究の成果。私よりも良い人はたくさんいる。そうであっても、自分なりに努力していれば、願いが叶う可能性があるということなのかもしれない。