今日、ある人から自作の短歌集をもらいました。
その人は当事者のお父さんです。
精神障がいであるわが子に対する気持ちがあふれ出ていて
目の奥がじんとしてしまいました。
この4,5年に詠まれたものだそうで、45首ほどありました。
その人の息子さんはもう20年ほど前に病気が出たと聞いています。
これらの歌を詠むようになられるまでには
どれほどのつらい思いがあったでしょうか。
もちろん歌を詠むようになったからとて、つらさが消えるわけではありません。
でもずいぶん救われる思いもおありでしょう。
短歌は日本語の美しさを一番あらわすものだという気がします。
小説や詩はどの国の言葉でも言い表せますが
短歌という形式は日本語にしかできないものでしょう。
俳句は外国語に訳されています。
短歌はでも外国語に翻訳するのは難しいのでしょう。
そういう日本語特有の短歌に子供の病気のことを
淡々と切々と静かに表現されたこれらの短歌を読んだ今日は
心が洗われた気がします。
今までの長い年月、そしてこれからも続くであろう日々、
そのような立場の人はたくさんいます。
一般市民はそういうことを知らないまま、よそ事として過ごすことが多いでしょう。
でも何年も病気と付き合うことになる本人とその家族は
生きていく一番の大事なことになるのです。
そういう人たちがこういう短歌集を読んでどれだけ生きる糧になるかは分かりません。
人によって受取りかたが違うと思います。
和歌が好きな人にはかなりの救いになるでしょうし、
興味のない人にはそれほど影響がないかもしれません。
けれどもこの和歌集を読んで胸を打たれない人はないと思いました。
著作権に触れますからこの作品を書き写すことはできませんが
これを小冊子にして多くの人に読んでもらいたいと願っています。
それにこの45首は、もし2,3首を例に挙げたいとしても
とても難しくて選び出せないほど、どれも心を打つものなのです。
もし、1首だけ、許しを得ずにここに書かせてもらうとするなら
この歌を選びます。
「やさしさと素直な吾子故失へし心の失調誰も責め得ず」
ある人は自分が20才代だったときに、世間の人と違うことに気が付き
専門家のところに行ったそうです。長い面接の結果、
病気ではなく個性だと言われたそうです。
かなり個性的で、生きるのに苦労があるかもしれないと言われ、
職業も変え、その後20年ほどは平穏な状態だということです。
その人もやさしくて素直な人です。
まさか病気ではないだろうと思ってなかなか病気を認められない日々はきっと
誰にとっても長く続きます。それは本当に長くてつらい時間です。
そんな気持ちを歌にして表現してあるものを読むと
心にすとんと落ちてくるものがあります。
「統合を失う病に立ち向かう決意に至る日の長かりき」
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