楽しい日々

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南方熊楠の残してくれたもの

2017-04-02 23:29:53 | 日本文化
ひとりでも 訴えかければ 世の中で生き残るいのちがあるのなら
今日は叫んでみようかしら。

毎日通る公園や神社で次々に木は都合で切り落とされ きれいにすると称して
除草剤に枯れて行く草に叫びたくなる思いをしているのです。
ほどほどが良いと思うのです。

田では蛙の姿が消え 燕が本当に少なくなり
愛知県はもう自然いらないらしいです。
残る神社や空き地が どうしたら残せるか考える人はなく
あらゆる動物が人間の都合で絶滅にむかうのです。

それは大したことに思わない人が大半でしょうが
実は大変なことです。

動物たちは長年工夫を重ねていつもしてきた生活に
ほんのわずかな変化をプラスして生きています。
それが ある日突然ショベルカーで川底から一気に生活を奪われていくわけで
ほんの数日前にも 
トンボの里と看板のある公園の周りが 根こそぎ
ソーラー発電場になりました。
ちいさなビオトープは日光にさらされ始めました。

公園さえ残せばトンボが生きられると考えたのか
トンボの里など必要がないのか その残酷さに驚いています。
二度と戻らぬトンボの里ということになろうかと落胆です。

古来 神社は守るべき動物と共存していくためのしるし
お賽銭は 貧困救済のための仕組み
自分の願い事をするのは 脳に目標をもたらすため 

 脈々とした神社のシステムは 農作や漁の季節をしらせ
知恵を授けてきていました。
その美しい自然との共存は 日本の宝だったと思っているのです。
 人が立派に尊厳を以って生き抜くための工夫に満ちた
システムが 神社だったと思っているのです。

ところが 社に重きを置いて 森は刈り込み草一本なしにしてしまいます。
セメンで城塞のようになり 虫も棲めない いやゴキブリは棲んでるかもしれない。
 精神は おおよそ引き継がれなくなってしまった。
落胆と焦燥とが 胸に渦巻きます。

このままでは 魚も家畜も植物も 危うい感じがしてなりません。