レモン飴をころがす

ほんの一瞬の考えを残しておく。

思い出したくない過去のこと

2018-01-15 18:00:23 | 日常のこと
中学のとき、ささいなことがきっかけでいじめられて不登校だった時期があった。
発端は、クラスカースト上位の女子が気に入っていた男子とわたしが仲が良かったからだそうだ。
そのことについてあまりもう言及したくはないし、思い出したくもない。
不登校だったけれどテストの成績は落ちなかったし塾には行けていた。塾の友達が救いだった。
今はいじめられていたことを「たかが昔のことだ」と笑えるけれど、いじめていた子達と二度と会いたくはないししゃべりたくもない。

年明けてすぐ、中学の部活の子たちでラインのグループを作られた。ひさびさに会いたいから集まろうとのことだった。
正直驚いた。卒業アルバムの弓道部の集合写真にはわたしは載っていないので、忘れられていたものだと思っていたからだ。
集まる期日は投票で決められたのだけれど、みんなの票が集まっている日とは別の日1日だけ投票しておいた。
行ったらきっと楽しいこともある。親しい人間がいなかったわけではない。ただ、不登校だった子がその場にいたことで「なんとなく気を使う」雰囲気にさせたくなった。自分にそこまでの影響力はないと知りながらも、それでもわずかでも楽しい場を害すのは気が気ではない。

しばらくして、幹事の子から連絡が来た。
中学のときは幹事をやるようなタイプではない、おっとりとした優しい子だった。この子がみんなに会いたいと言ったきっかけで成された会らしい。
わたしの希望とは、別の日に決まってしまったが来れないだろうかという内容だった。
文面からその子のおっとり具合は衰えていないことがわかる優しい文だった。
「浪人しているので、ちょうどそのあたりは卒業論文のしあげが忙しく時間が取りづらい、お誘いは嬉しいが楽しんできてくれ」というような連絡をしておいた。
幹事の子からは残念だということと、「会いたかった。機会がないので自分で作ってしまった。あなたとしゃべりたかった。」という内容のことが柔らかい言葉とともに送られてきた。わたしが信じたいだけかもしれないけれど、その言葉は偽りのないように感じられた。

いじめを肯定するわけではないけれど、当時のわたしの性格も相当難しいものだった。いじめのきっかけが、中学生の小さな男女のいざこざだっただけでわたしにもたくさんの問題があった。
今と比べると そうとうな気分屋で、さらに悪いことにその気分が顔に出ていた。負けず嫌いで、成績の良いのを鼻にかけていた節があったし、どうしたら大人の目にとまるかわかっていたので先生から気に入られていた。そんな人間が嫌われないわけがない。
そういう人にも「会いたかった」と言えるその子は、中学の頃と変わらず真っ直ぐだった。そのまま成長して今に至るのだと思うと、やや辛い気持ちになった。わたしはいまどうしているのだろうか。何をしているのだろうか。

過去は変えられない。けれど未来は変えられる。ありきたりな言葉だけれど今自分に何ができるかを考えることにする。
同窓会は行かない。
誰も許せることはできないし許してもらうつもりもない。
けれど、新しいコミュニティでどう振る舞うか、それを年初めに考えるきっかけとなった出来事だった。

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