レモン飴をころがす

ほんの一瞬の考えを残しておく。

自分の顔について

2017-05-19 21:42:14 | 日常のこと
自分の顔が好きか嫌いかといえば、好きでも嫌いでもない。親しい人といるときはいい表情をすると思う。あと母親の顔が好きなので、母に似てくる顔はまあ、好きだ。なぜこんなことを言いだしたかというと、友人の影響だ。

友人は鏡を見ながらいつも自分の顔について「ブスだ」と言う。友人はきれいな顔立ちをしていると思う。鼻は高いし丸顔で、かわいらしい。ただ、毎回眉間にしわが寄って、眉毛が下がっている。不機嫌に見える。

グリム童話で、こんな話があった。
貧しい少女がきたならしい老女を助ける。すると老女は魔女に変わり、親切にしてくれた少女に魔法をかける。心が優しく綺麗な言葉を話す女の子は口から宝石や花が出てくる。それを見た意地の悪い少女は、魔女に強請って自分にもその魔法をかけてくれと頼む。魔女は意地悪少女にも同じ魔法をかける。しかし意地悪少女の口からは虫や蛇が出てくる。泣き叫ぶ意地悪少女。

少し違うけれど、言葉からくる気持ちや自己肯定感はあるのかもしれないなと思う。
もし80歳まで生きるとして、少なくともわたしたは4分の1を生きて来たんだから、そろそろ自分の顔を、表情を好きになりたいものだ。
老女がかけた魔法は、その人の心や言葉を具現化したものを口から出すものだった。
明日から素直に言葉遣いに気をつけてみようと思う。

好きな匂いのするあなた

2017-05-13 17:59:17 | 日常のこと

恋人と付き合って三年経った。
毎年数えているわけではないし、お互いサプライズをするタイプではない。

今年はわたしの就活と恋人の研究室であまり会えていないこと、
就活中わたしの不眠で迷惑をかけたこともあり、
これまでの御礼とこれからもよろしくということで
ちょっとしたプレゼントを買おうと思いショッピングセンターに行った。
恋人は研究室漬けでアルバイトのシフトもあまり入れていないので、
気を遣わせないようにあまり高価でない気軽なもの。

いつも行く雑貨屋でぶらついた。
シンプルでセンスのいい食器や便箋、アクセサリーなどが置いてあって
田舎のここではとても重宝している店だ。
よく友達のプレゼントを買うのに訪れる。

贈り物をしよう!と意気揚々と家を出てきたものの
三年付き合うとプレゼントのネタが尽きてくる。
恋人は物欲があまりない人で、なにをあげても喜んでくれるけれどあまり感触がない。

思い出せばいろんなものをプレゼントしてきた。
バック、服、ペアストラップ、アクセサリー、時計、革キーケース
さて、今回は何を渡そうか。

迷いに迷ってハンドクリームとリップにした。
香りのそれぞれの好みもあるかなと思ったけれど、
恋人は鼻炎もちなので香りがあまりにもきつくなければ気にならないだろうと勝手に思った。

わたしが一番好きなゼラニウムの香りのリップクリームと菫のハンドクリーム
わたしも同じものを愛用している。
買ってほくほくとしていたが、はたと冷静になる。

「自分と同じ匂いの商品をプレゼントするってどうなんだろう。」

あまり、恋人の交際関係に口出ししないようにしている。
誰と飲みに行くだとか、誰と遊びに行くだとかは特には聞かない。

香りは記憶に残りやすいと誰かに聞いたことがある。
わたしがいないときもリップやハンドクリームを使うとわたしを思い出すようになるのだろうか。
そう考えると、実は自分が支配欲や独占欲が強いのかもしれないと感じた。


三年目、思わぬところで自分の新たな一面が見れたのかもしれない。

せかいはひかりにみちて

2017-05-09 23:56:37 | 日常のこと
下宿先の風呂を掃除するときに必ず口ずさむ歌がある。

せかいは ひかりにみちて
ひは かがやき かわうたう
えだには はな さきみだれ
しげみからは うたひびく
すべてのひとの むねからは
よろこびが あふれる

わたしが10歳のときに習った歌だ。
なぜこの歌なのかはわからない。実家にいる中学高校の時分には歌うことなんてなかったのに、なぜか、11年のタイムラグを経て今わたしはこの歌を気に入り、歌っている。小学四年生のわたしに訴えかける何かがあったのかもしれない。

小学校の頃の音楽の先生は元ピアニストだった。

わたしの学校には今月の歌というものがあって、全校児童が毎週木曜の全校集会で歌うきまりだった。今月の歌を決めるのはもちろん音楽教師なのだが、教科書に載っている歌ではなくてクラシックに歌詞をのせたものを児童に歌わせていた。今思うと完全に彼女の趣味だと思う。不思議なものであの頃歌った歌は詞もしっかり覚えている。当時一番好きだったのが、この”五月の歌”という曲だ。ベートーベン作だということは21で初めて知った。

その教師には特に世話になったわけではないのだけれど、長い黒髪と骨ばった後ろ姿は今でもありありと思い出せる。やんちゃな児童たちに常に手を焼いていて、たまに倒れていたり、悩んで泣いていた覚えもある。見た目通り、繊細な方だったのだと思う。彼女は、小学校の先生というよりも芸術家が持つ独特な雰囲気を纏っていた。

骨ばった細い手、神経質そうな指先で奏でるピアノの音は意外にも力強く、音楽の知識のない10歳の子どもながら、とても素敵だなと思えるものだった。
彼女は今もピアノを弾いているだろうか。今でもエネルギーを持て余したような力強い校歌の音色が思い出される。

本当か嘘かわからなくていい話 1

2017-05-04 08:06:36 | 創作
今から話す物語は、世に言うところの”非科学的なこと”が起こる。そのため読者は信じなくていい。なんならわたしたちだって未だに信じられていないのだ、わたしたちに起きていることを。


わたしは2年前、高校一年生だった。今と変わらず平凡で、田舎の高校に通っていた。たまに友達とファーストフード店やショッピングモールのフードコートで飲み物だけを頼み、おしゃべりするのが至福のひとときという、良くも悪くも普通の女の子。
部活は、文学研究部。というと厳しく聞こえのいい部活だけれど、本を読んだり漫画を読んで部員が好きに感想を言い合ったり、漫画を描いている人がいたりする自由な部活だ。

「ササハラ、部活行くの?」

部室に向かおうと廊下を歩いていると1年6組の廊下に面した硝子戸が勢いよく空き、見知った顔がぴょんと顔を出す。村島直宗、小中高とわたしと同じ学校に通い家も近所という驚異的な腐れ縁関係、謂わば幼馴染という間柄である。
ムネくんは中学に入ってからわたしのことを百合た言わなくなった。なのでわたしもムネくんと呼ばなくなった。

「ウン、ムラシマは今日どうするの」
「行く、待ってて」

1年6組から、ヒューと誰かが冷やかした。ムネくんはパッと振り向き、目を見開いている。その目は爛々としており今にも獲物に噛みつきそうだった。不味い。

「ムラシマ、コーヒー牛乳買いに行こう」

わたしに背を向けたままだけれどムネくんの背中がぴくりと動いた。うん、と答えて部活に行く準備をし始め、教室を出た。そのときにわたしにしか聞こえない程度で「わりぃ」と呟いた。
ムネくんは喧嘩っ早い。頭にくるとすぐに行動に移してしまい、小中と保護者会の問題になってきた。その度にムネくんのお父さんはこれでもかというほど頭を下げてムネくんの被害にあった子どもの家に回った。その度にムネくんはお父さんに対しての申し訳ないという気持ちを心の底から抱いていた。購買に売っている紙パックのコーヒー牛乳は、昔からムネくんが好きなもので、今日のようにムネくんの冷静さを取り戻すときにもよく使われる。
「好きなものを思い浮かべると、自然と心が優しい気持ちになる」
ムネくんのお母さんが言ったものだ。
ムネくんのお母さんは小学五年生の時に他界している。とても優しいお母さんで、よくわたしにもコーヒー牛乳を作ってくれた。ムネくんは頭に血が上ったときにお母さんが作ってくれたコーヒー牛乳を思い浮かべるのだと思う。甘く優しい思い出は、彼の怒りの衝動を抑えるのに充分なほど悲しく、美しいものだった。

ひとまず安心

2017-05-02 22:08:07 | 日常のこと

ひとつ、就職先が決まりました。
とりあえず体からくずれるほどの安心感。

就活を通して、「優しくて争いを好まない」と周りから評されたわたしは、単にわたしの一面でしかなく「荒々しく自信家」な面もあるのだと知った。

暗いと思っていた自分の性格が、実はそうでもないということもわかった。

モラトリアムから脱したいと強く願った。

変わりたいと思った。

部活で行ったことも面接に活かすことができた。

気がついたら夏には「やや暗い性格・夢想的」と出ていた指数も今は「楽観的・物事を深く考えてから行動をする」に変わった。
やや暗く夢想的なわたしが消えたわけではない。新しいわたしが増えたと考える。あと自己暗示はある程度可能なのだとも思う。

人生において非常に貴重な経験だった。必要な試練でした。