今年は統一地方選の年でもあるので、なんかかっこいいキャッチフレーズで決めようと思っていた。年末からあれこれ考えているが、なかなか決め手がない。とうとう年を越してしまったが決まらない。で、結論は、わたしにはかっこいいキャッチで決めるのはあまり似合わない。ということかな。
でも一応きめたのがこれ
三木をつなげる
なんだか意味がわからんといわれてしまいましたが、このことばが今までの活動に一番必要だったしこれからもいっそう必要と思うので
「つながり」なのか「つなぐ」なのか迷ってしまったのだが、三木には今このつながりが、必要だと思う。それも
顔の見えるヒューマンネットワーク
だ。今までいろいろな市民活動の中で、さまざまな人とつながってきた。わたしの場合三木と限定することなく、震災前から、震災の後現在になるまでそれは続いている。
いただいた年賀状の中でも、そうした活動の中で知り合った方からが何枚もあった。ただ知り合ったというだけでなく、その人がまた新しいつながりの中で、自分らしい生き方をさがしていることを知ることができてとても嬉しい。
現在、議会ではどうだろう
4年間の議員の生活の中で、私はそれ以前議会の傍聴にきたこともなければ、選挙のお手伝いをしたこともなかった。いわば未踏の世界に入ったといえるかもしれない。最初のうちは、なれないことばかりで、妙に肩に力がはいってしまったり、一人相撲をしていたこともある。
しかし4年間自分なりに必死でやってきて、見えてきたこともたくさんある。
その中でもっと議会を市民に近づけることが必要だと感じている。はじめのころ自分が感じた違和感や戸惑いは、市民の方々が感じる議会の姿だろうと思う。
できるだけ、市民に見えるような形に議会ができないか、と考える。
それには、インターネットなどの中継や録画で、本会議や委員会がいつでも誰でも視れるようにすることや
議会報告会や意見交換会などで、直接市民と議会との接点を作ることも必要だと感じている。
そして何よりも大事なのは、議員同士がもっと議会の場で議論しあうことだと思う。本会議や委員会では理事者側に質疑や質問をすることはあっても、また反対や賛成の討論をすることがあっても、自由に討議する機会はじつはあまりない。
それぞれが自分の主張を持っていても、それぞれの言い分を自分の知っている市民に言うだけでは本当の議論にはなっていかないだろう。
議員同士の自由な討議もはずせない。討論があるのだからいいだろう、と運営委員会で言われたが、「それとは違う、議会改革に自由討議ははずせない」と粘った。議会の中で賛成か反対かを明確にしながら議論をつくさなければ、議員としての意味がない。こうした活発な論議の中で、議員が力をつけ、理事者側と対等にわたりあうような議員が選ばれるのなら、議員の数を減らしてもいいと、思っている。しかし、数の力で、減らすことを目的とするような動きからは、数を減らしたからといって議員の質的な向上などはかれはしない。まずは一人ひとりが議会の中で十分にぎろんができることからはじめたい。