もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

映画「Space Battleship YAMATO」 - それは当然なのですか?

「宇宙戦艦ヤマト」は自分がアニメを見た年代のほぼ最後の頃にあたる作品だった。

松本零士の銀河鉄道などでも共通するのだけれども、これから先の時代を無理に想像してできる普通のSF作品でない、前世代のノスタルジーが多分にブレンドされた、と言うよりどちらかと言うとそちらの方が主になっているとも思える異質さに魅了されたものだった。


この実写版、マレーシアでも公開されるとの事だったけれども結局映画館の前にYAMATOの看板を見ることは無かった。実際に公開されたのかそれともされなかったのかは不明。

ただ、自分でこうしてDVDを見てみると、以下の2つの理由から、公開されなくても良かった、または公開などされないべきだったのではないかと感じないでもない。

(1)内容はどうあれ、そしてマレーシア人が戦艦大和を知っているかどうかに関わらず、マレーシアも日本の戦争被害国なのだと言う事。大義名分があろうと大和を象徴として使う映画を楽しめるのかどうか、と思わないでもない。
(2)マレーシアでも普通にハリウッド作品、最近ではトランスフォーマーやアバターなどを見ているのでSF作品としてどうしても見劣りする。



別の方向から...

森雪「どうしてあの時古代さんはそこにいなかったのですか!」(正確ではない)
と言う意味の台詞がある。

この部分は作品的には単に古代進のあの時点での心情や状況を引き出すためのものに過ぎない。日本人なら誰もがその台詞は当然そこにあるべき台詞として聞き流すものだと思う。あの状況、可能ならば全員が一丸となって戦うべき、その時。それはそうしない事は有り得ない、だから当然なのだと。

宇宙を扱った作品として有名なものにスタートレックと言うのがある。

多分、あちらでは森雪のような台詞は成立しないだろう。いろいろな星のいろいろな登場人物が当然のようにそこにいて、言葉を介さずともわかる共通認識が少ないと考えられるからだ。そうした意味ではYAMATOの世界はとても狭いと言わざるを得ない。SFの広がりよりも日本のある時代のある人たちの狭いノスタルジーそのものと言える。

「坂之上の雲」と言う小説がある。

秋山兄弟と言う優秀な兄弟がそこにいてある時代の一端を担う。これは実話だそうだ。彼らは戦争をするけれどもYAMATOにおけるように"当然"の熱の中でそれをしはしなかった。想像するよりミスター・スポックなのだ。YAMATOにおける"当然"の熱はそのもっと後の時代のものだろう。ただ、その熱はこの現代にも未だ残っていてこうした映画作品を未だに作らせる原動力の一部になっている。

その力は今までの日本の社会を支えるものになっていないとは言えない。

その証拠に「どうしてあの時XXさんはそこにいなかったのですか!」に似たようなニュアンスの台詞を今でも聞く事ができる。誰も「あなたはここに居るべきだ」と先に明確には言わない。"居て当然だろう"、"わかっているだろう"、"それが普通だろう"と誰もが思う。わざわざ言葉に出して言うべき事でないと思っているからだ。

もし沖田館長の考えが間違っていたら....などと言ってはいけない雰囲気の映画、どうにも胃にもたれるものがある。





演技
キムタクは嫌いではないが、スターに対してもうちょっと厳しくすべきじゃないのか、と思った。同じことが山崎努氏にも。あの台詞をベッドで聞いてその表情は無いだろう....。
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