
「1941」(1979)
日本海軍の潜水艦が、真珠湾攻撃から6日後の1941年12月13日カリフォルニアの沖に浮かび上がる。司令官が、同乗のドイツ士官をののしりハリウッドを攻撃しようとする。日本軍襲来の噂が広まる。そんな中、軍人のダンスクラブ会場ではコンテストが開催され、ひょんなことから陸軍伍長シタルスキーを中心に大乱戦。ハリウッド大通りにまで広がる混乱が起きトリー軍曹が戦車で来る。空では、戦闘機乗りのワイルド・ビル・ケルソーが日本軍と間違えて米軍機を追い、ハリウッド大通りは収拾がつかなくなる。製作費をたっぷりと注ぎ込み豪華さがあるが全体として騒がしさが目立ち、まとまりの無い作品で批評も芳しくなく、興行的にもそれまでの作品の中でもっとも成績の悪い結果になってしまった。私は、映画の舞台がハリウッド大通りであること、スピルバーグ作品のパロディ満載の映画であることで楽しめた。脚本は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の監督ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが原案とともにあたっている。受けなかったのは、あまりにも時代を先取りしたせいだ。彼自身の言葉、「僕は、残りの人生をこの映画は僕の作品ではないと否定するために費やすだろう」と語っているが、そんなことはない。
まず、当時のキャストが魅力的。トゥリー軍曹役のダン・エイクロイド。この作品が映画デビューとは知らなかった。その後「ブルース・ブラザース」「ゴースト・バスターズ」などに出演しコメディ作品にはなくてはならない俳優となる。また、TV「サタデー・ナイト・ライブ」で人気者になり共演のジョン・ベルーシーとザ・ブルース・ブラザースというデュエットを組んだ。本作では、超愛国的なアメリカ陸軍軍用自動車係。いつのまにかM3の戦車の司令官となりハリウッド大通りに現われUSO(慰問班)パーティの混乱ぶりを見て「アメリカ人同士が争ってはいけない」と演説。日本軍が攻めてくると信じている。ハリウッド大通りの明かりを機銃で連射。ウォード・ダグラス役のネット・ビーティは、私の好きな作品「スーパーマン」でジーン・ハックマン扮するルーサーの子分を熱演していたが、本作ではサンタモニカの海を臨む丘に家を持つ民間人で、娘のベティの父。陸軍の高射砲を庭に置かせたりして協力的。ところが、自宅前に潜水艦が現れたので大変。彼の小柄ながらハチャメチャぶりの演技がおもしろく大いに笑いをそそる。ワイルド・ビル・ケルソー役のジョン・ベルシーは、破壊男「アニマルハウス」でスターになった怪人。天才コメディアンとして高く評価されたが、薬中毒になり惜しくも若くして亡くなった。本作では、荒削りで狂った性格の戦闘機乗りを演じている。ダグラス夫人役のロレイン・ゲイリーは、スピルバーグの「ジョーズ」でロイ・シャイダーの妻を演じ印象に残る。クロード役のマーレイ・ハミルトンは、遊園地のゴンドラの上で日本軍の襲来を監視する役。いつもは、生真面目なキャラクターが多いのにコミカルな演技を披露してかえっておかしかった。他の作品では、「ジョーズ」のアミティの市長役や「卒業」「追憶」などがあったが、惜しくも亡くなった。ドイツ仕官フォン・クラインシュミット役のクリストファー・リー。日本軍の潜水艦になぜか乗っているドイツ軍を演じている。ドラキュラ役者№1として有名でその後、「007/黄金銃を持つ男」。記憶に新しいところでは、スピルバーグの友人ルーカスの「スター・ウォーズ/エピソード2.3」でドゥ-ク伯爵を演じている。司令官ミタムラ役の三船敏郎。黒澤明の名作「羅生門」「用心棒」「椿三十朗」「七人の侍」「ミッドウェイ」「グランプリ」などに出演。世界のミフネがスピルバーグのためにコメディに出演したのが驚き。潜水艦司令官を三船らしく存在感のある演技を披露して笑いもさそう。今は亡き大スター。ドナ役のナンシー・アレンは、スティルウェル将軍の秘書で飛行機を見ると欲情的になる性格の持ち主を好演。操縦桿を握るだけで感じてしまう。また、P-40に追撃されている時もブラジャーで操縦桿を固定しコトに及ぶセクシーぶりを発揮している。エロティックな雰囲気を感じさせる女優で、プロポーションも抜群で特に豊満なバストはとても魅力的。その他の作品では、スピルバーグの友人ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」「殺しのドレス」「ミッドナイト・クロス」がある。ちなみに1979年1月そのデ・パルマ監督と結婚。最近は顔をスクリーンで見ないのが残念だが、「ロボコップ」のマーフィ刑事の良き同僚役の演技が記憶に残っている。太平洋を泳ぐ女の子役のスーザン・バックリニーは、「ジョーズ」で最初の犠牲者クリシーを熱演。この作品でも冒頭で「ジョーズ」のパロディを演じている。
また、ハリウッドの大通りの大セットが素晴らしい。それもそのはず「未知との遭遇」の視覚効果でオスカーにノミネーされたグレゴリー・イーエンが、ミニチュア製作を担当している。彼は、バーバンクスタジオでハリウッド大通りや遊園地をつくった。さらに、撮影を担当したのが「未知との遭遇」も担当したウィリアム・フレイカーである。彼は、「天国から来たチャンピオン」や「ミスター・グッドバーを探して」でアカデミー賞にノミネートされている人で他にも「カッコーの巣の上で」、「ローズマリーの赤ちゃん」、「ブリット」、「エクソシスト2」、「イルカの日」、「ペンチャー・ワゴン」などの名作を手がけている。彼の力量も本作で充分発揮されている。特にダンスクラブのシーンとラストの家の俯瞰撮影のカメラワークが素晴らしい。これは、彼がラウマ・クレーンというカメラをのせると360度どこでも映せる機材を開発したためである。効果部門は、「トラ・トラ・トラ」、「ポセイドン・アドベンチャー」でともにオスカーを受賞したA・D・フラワーズとL・B・アボットである。
そして、ダンスクラブのシーンは、1940代から1950年代のMGMのミュージカル映画を見ているかのように華麗で統一された動きがジョン・ウィリアムズが、ビッグ・バンド(グレン・ミラー)の曲、とりわけ「シング・シング・シング」をもじって作曲した「スイング・スイング・スイング」が流れるなか展開され目を見張るものがあり素晴らしい。
「1940年代」に特別な愛着をもつスピルバーグらしい作品。そして、特に、1941年は、スピルバーグの思い入れの年である。ディズニーアニメの「ダンボ」公開の年。1940年代は、MGMを中心とするミュージカル映画全盛の時代。そして、その頃の映画は、ハリウッド黄金期で大スターが映画の主役。音楽に関しては、ビック・バンドのスイングジャズが大流行した。スピルバーグは、そのような時代に思いを馳せて父の時代である第二次大戦のゼメキス脚本による戦争コメディをつくった。
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