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戦争放棄の日本だからなめられていたのでは?

2019-08-01 09:05:40 | 米屋の親父のつぶやき
日本は第二次世界大戦の敗戦を受け、憲法にも記されているように「戦争放棄」の国である。
長らく「喧嘩」を売られても、「外交対話」による説得に終始し、決して「買う」ことはなかったのかもしれない。

しかし、「隣国」との間では話が違うことに。
「新しい戦争」の1つである「貿易戦争」を繰り広げている(笑

元々「戦争」とは、「武力行使」を伴うものであった。
だから日本は決して「武力行使」を行わず(戦争の対義語である)「対話」で解決しようとしてきた。
近年、アジアの大国は勝手な解釈をもって領土拡大をすすめ、わざと領空侵犯を繰り返す。
日本は「警告」はしても「実力行使」は控えるとわかっている。
続いて隣国はこれまた勝手な解釈で「実行支配」を続けている。

いつも日本は冷静に冷静に「対話」を続けているが・・・

なめられている

そう思わざるを得ないのだ。
「北方領土」をはじめとした「領土問題」にしろ、何も目立った進展がない。
北の大国は対話をあと100年でも、し続けると(笑

現代の「戦争」の定義は、以前の「武力行使」を伴うものではない。
例えば、「貿易戦争」(国内貿易法の国際的な適用、重要技術の封鎖、経済制裁など)、「金融戦争」(ヘッジファンド、通貨切り下げ、金融制裁など)、「新テロ戦争」(テロリスト(個人集団)とハイテク技術(バイオ、サイバー技術)の遭遇)、「生態戦争」(技術を活用して地球の物理的環境を破壊)などは従来の軍事の範囲ではないが、多大な経済的、社会的損失を国家に与えることが可能である。また、戦争の相手は必ずしも国家ではない。特に伝統社会のルールに縛られない非国家勢力に対して、「一定のルールに従って行動し、無限の手段を持っていながらも限度のある戦争しかできない国家は、戦闘開始の前から不利な立場に立たされる」わけである。
*超限戦 21世紀の新しい戦争より
http://www.hitachi-hri.com/bookreview/b033.html

そんでもっての「貿易戦争」。
世界的にみれば、「米国」がしかけた「中国」への戦争がある。
世界中を巻き込み大騒動に(笑

それに続き日本が隣国にとうとうしかけた。
これは「一方的」攻撃である(笑
それも一次的なものでなく、二次も。
何度も対話を通じて「信頼関係を模索」し、「警告」も度々したにも関わらず、隣国は「強気な態度」で。
それは「日本はしかけてくることはないだろう」と高を括っていたと隣国側からも発信されていた。

なめられてばかりでは「対話」も成り立たない。
そろそろ「反撃」それも一方的に日本は行動した。

明日8月2日が「第二次攻撃」のリミット。

同盟大国が「仲裁」に入るらしいが・・・さてどうなる?
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