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アイヴズ:交響曲第4番

2012-05-06 22:22:11 | CD


チャールズ・アイヴズ:
・交響曲第4番

指揮:ホセ・セレブリエール
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ジョン・オールディス合唱団

Chandos: CHAN 8397



 アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズは、父親から音楽の手ほどきを受けてイェール大学で専門の勉強をしたにもかかわらず、卒業後は保険会社に勤めて最終的には自分で会社を設立し、作曲は趣味の範囲内にとどめて長い間無名であり、脚光を浴びた後は西洋音楽の歴史をひっくり返すほどのインパクトを楽壇に与え、当の本人はそんなことにお構い無し、ということがよく語られています。

 アイヴズの音楽の何がインパクトがあったかと言うと、無調・多調・複(ポリ)リズム・多様式などのその後の現代音楽での語法が、20世紀初頭に既に駆使されていたからです。それはヨーロッパから離れたアメリカだから可能であったことでしょうし、しかも雑多でありながらもシンプルな文化が大きく影響したと想像できます。もちろんアイヴズ自身の「へそまがり爺さん」ぶりも大きな要因でしょうけど。

 そのアイヴズの代表作がこの交響曲第4番です。4楽章制で割と普通の交響曲かと思いきや、合唱やピアノやオルガンも伴った大編成オーケストラが必要なのは序の口で、指揮者が3人必要とまで言われているカオスな(部分もある)音楽です。第1楽章は3分程の短いものですが、合唱が賛美歌の一節を朗々と歌い、「人生の目的は何か?」という問いを発します。その問いに対する答えを以下の3つの楽章で示していくのですが、第2楽章でいきなりカオスが炸裂し、「人生とはコメディーだ」との答えが提示されます。アメリカ民謡の断片が嵐のように吹き荒れて、何が何だかわからずに笑ってしまうしかありません。旋律に意味は全くなく、リズムもハーモニーも一つの断片の中でしか機能していません。アイヴズの音楽ではこのような書法がしばしば聴かれますが、なんでも複数のマーチングバンドがすれ違ったときの体験から着想したものだそうです。

 第3楽章では、トロンボーンソロを伴うクソ真面目なフーガが奏でられて、逆に面食らってしまいます。これは「人生とはしょせん形式と儀式だよ」という答えだそうです。それにしても崇高な音楽で、アイヴズは本気でこういう音楽を書きたかったのだけど「照れ隠し」でここに紛れ込ませたんじゃないかって思う程に堂々としています。個人的にはトロンボーンってところも高ポイント。そして最後の第4楽章は霧の中をさまようような混迷した音楽。メインのオーケストラの他に、別の弦楽器のグループと、「バッテリーユニット」と定義された打楽器グループという編成で、それぞれが異なるテンポとリズムで演奏されるというものです。ここでは「実存する人間とその神格化」という答えを提示しているようですが、確かに何らかの神秘体験のような音楽で、前3楽章に比べて桁違いのスケールの大きさを感じさせます。そしてスケールが大きくなりすぎて、どんどん希薄になって消えるように終わります。

 このように全体として統一感もなく、どこまで本気で作られたのかわからないような作品ですが、完成した1916年と言えばヨーロッパではストラヴィンスキーの原始主義音楽やシェーンベルクの無調音楽がセンセーションを巻き起こしてからほんの数年後のことです。その時代にこれほどの先進性を持った音楽が生まれていたとは驚きです。それはもちろんストラヴィンスキーやシェーンベルクの才能がアイヴズと比べて劣っていたというわけではなく、西洋音楽の辺境であるアメリカに住み実業家として生きていたアイヴズは音楽家として失うものが何も無かったことも大きいでしょう。最もフリーダムな音楽の一つであることは間違いありません。

 この演奏の指揮をしているホセ・セレブリエールはウルグアイ生まれの指揮者兼作曲家で、ストコフスキーに師事しています。ストコフスキーはアイヴズの交響曲第4番の初演をしており、その時にセレブリエールは助手を務めていたそうです。それだけにこのディスクではなかなかの熱演を聴かせてくれています。



 こちらの動画はマイケル・ティルソン・トーマス指揮の演奏のもののようで、第2楽章の後半部分です。この曲で最もグチャグチャな部分で、1分18秒くらいからトランペットでフォスターの「主人は冷たい土の中に」がトランペットで演奏されるのが笑えます。


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