平成22年4月6日の朝日新聞夕刊第8面の
『窓』の「論説委員室から」の記事は
伊藤智章論説委員の『司馬史観への疑問』です。
安川寿之輔の福沢論をもとに
丸山真男の福沢観も批判して、
「明るい明治」を描いた司馬遼太郎の小説に
疑問を投げています。
窓 論説委員室から 司馬史観への疑問
「明るい明治」を描いた司馬遼太郎の小説を読むと、大国ロシアを破った栄光の時代からたった40年でなぜ「暗い昭和」へと転落したのか、考え込んでしまう。
本当は「明るくない明治」が昭和を用意したのではないのか。
名古屋大名誉教授、安川寿之輔さん(75)が「福沢諭吉のアジア認識」(高文研)などの著作で、司馬史観を批判している。
日清、日露戦争と、明治の膨張主義は顕著で、内には専制主義だった。
そこをあえて明るく描くのは戦後の著名な政治学者、丸山真男に源流があるという。
丸山は、福沢に代表される明治前期の「健全なナショナリズム」と、昭和の「超国家主義」の違いを際だたせる。
そのうえで、戦後の改革が占領軍の手で進んでいる最中に、日本にも明治には先駆的な民主思想家はいたのだと紹介。
民主化が日本に異質のものではないとして民衆啓蒙に務めた、というわけだ。
だが、実際には福沢が率いた新聞はアジア蔑視で、政府べったりの言説が目立つ。
実態以上の評価がかえって日本の民主主義を弱くした、とは安川説だ。
戦後、墨塗り教科書を使わされ、その後は戦後民主教育の後退を目撃した世代の恨みもこもる。
同時代、勝海舟は日清戦争に反対し、足尾鉱毒を告発した田中正造と交流していた。
別の明治の可能性もあったのか。
安川さんは現在、福沢分析の4冊目を準備中。
「福沢諭吉のアジア認識」は中国版に続き、韓国版も出版される。 〈伊藤智章〉
平成22年4月6日 朝日新聞夕刊から
『窓』の「論説委員室から」の記事は
伊藤智章論説委員の『司馬史観への疑問』です。
安川寿之輔の福沢論をもとに
丸山真男の福沢観も批判して、
「明るい明治」を描いた司馬遼太郎の小説に
疑問を投げています。
窓 論説委員室から 司馬史観への疑問
「明るい明治」を描いた司馬遼太郎の小説を読むと、大国ロシアを破った栄光の時代からたった40年でなぜ「暗い昭和」へと転落したのか、考え込んでしまう。
本当は「明るくない明治」が昭和を用意したのではないのか。
名古屋大名誉教授、安川寿之輔さん(75)が「福沢諭吉のアジア認識」(高文研)などの著作で、司馬史観を批判している。
日清、日露戦争と、明治の膨張主義は顕著で、内には専制主義だった。
そこをあえて明るく描くのは戦後の著名な政治学者、丸山真男に源流があるという。
丸山は、福沢に代表される明治前期の「健全なナショナリズム」と、昭和の「超国家主義」の違いを際だたせる。
そのうえで、戦後の改革が占領軍の手で進んでいる最中に、日本にも明治には先駆的な民主思想家はいたのだと紹介。
民主化が日本に異質のものではないとして民衆啓蒙に務めた、というわけだ。
だが、実際には福沢が率いた新聞はアジア蔑視で、政府べったりの言説が目立つ。
実態以上の評価がかえって日本の民主主義を弱くした、とは安川説だ。
戦後、墨塗り教科書を使わされ、その後は戦後民主教育の後退を目撃した世代の恨みもこもる。
同時代、勝海舟は日清戦争に反対し、足尾鉱毒を告発した田中正造と交流していた。
別の明治の可能性もあったのか。
安川さんは現在、福沢分析の4冊目を準備中。
「福沢諭吉のアジア認識」は中国版に続き、韓国版も出版される。 〈伊藤智章〉
平成22年4月6日 朝日新聞夕刊から
つまり、、大国ロシアが本気で戦ってきたら、日本なんて、ひとたまりもない。
それに、終戦条約で、勝ったはずの日本が、ロシアに大金と領土を渡してるってこと。。
その謎解きなんですが、、結局は、中国、朝鮮半島での不穏な動きは小国日本にとっては、大変、危惧すべき事態で、でもはっきりとした証拠も掴ませない、テロリズムが押し寄せている中で、
ロシア国と戦争するということで、テロ資本の民を蹴散らそうというものだったのではないだろうか?
ということは、、ロシアに北海道以北を守ってください!ということで、領土を私てるということではないでしょうか?
まず、世界中に散在しているコリアン・タウンの民が、自国の狭い国土におさまらないというので?日本列島を実は江戸中期以降から付け狙ってきたのではないだろうか?
朝鮮半島は多分、中国人の民族が派生してきたのでしょうが。。
それものっとったのが韓国、ハン国ではないだろうか?
阪神大震災前の米ハン動体研究開発所での精神異常者が多いことが話題になっていたが、、
また、DNA研究でも、本来人類が手がけていい分野なのか、問題にされていたが、
さらに、宇宙衛星研究でも、宇宙に人為的な異物を打ち上げると、矛盾やリスクが高まって、
次々、ぶつかって連鎖爆発に至らないか?など、問題視されてましたが、
それら最先端のアメリカのどの研究所にも、韓国や中国や東南アジアの留学生が多かったのを思い出します。
彼らは、笑顔で、確かに怖いけど、興味があるからし続けるのだと言っていた。。
むしろ、、彼らは自分たちの落ち着ける国をのっとる為に?科学技術の最先端を所有したかったのではないだろうか?
昭和期の韓国人とは容貌も容姿も全く違っていますよね。why?
最先端科学で?。。。。?
それと、、かれらは、とても社交的ですが、、政権が変わると手のひらを返すように、態度が変わることでも昭和期から話題になっていました。。