Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

中島京子「かたづの!」

2018-10-08 19:36:23 | 読書感想文(小説)


中島京子の「かたづの!」という、歴史小説かと思って読み始めたらファンタジー小説でもあった、ちょっと変わった小説を読みました。戦国時代末期、八戸南部氏の女大名・祢々(ねね)と、角を一本しか持たない羚羊「片角(かたづの)」の波乱の物語です。

一本しか角を持たない羚羊が山で出会ったのは、八戸南部20代当主直政の妻・祢々だった。祢々は羚羊を城へ連れて帰り、羚羊が城暮らしに飽きて山に帰ってからも2人の交流は続いた。やがて羚羊は亡くなり、骸は城に届けられ、角は宝物「片角」として納められた…が、羚羊の魂はその片角の中に宿り、祢々の波乱の人生を見守ることとなる。夫と嫡男を相次いで亡くし、出家して清心と名を改めて女当主となり、叔父である南部宗家27代当主・利直の謀略に立ち向かおうとする彼女のそばで、片角は何を見たのか―


当主と嫡男を亡くした妻が、家を守るために女大名となって戦国の世を生き抜こうとする-読む前は、去年の大河ドラマ「おんな城主直虎」みたいだなと思っていたのですが、小説の中で祢々が利直に当主になることを認めてもらおうとする場面で直虎の名前を挙げていたので、おお!と感動しました。直虎が女性だったかどうかははっきりしないそうですが、女性であったという前提で書かれているんですね。直虎と同じ、戦国を生き抜いた女性の物語。この物語は慶長5年、1600年から始まるので、直虎が生きた時代より少し後ですが。亡くなった祢々の夫の名前が直政なのは史実通りなのですが、なんとなく因縁を感じますね。

八戸で夫と穏やかに暮らしていた祢々の生活は、夫の突然の死と、その直後にまだ赤ん坊だった嫡男の久松が亡くなったことでガラリと変わってしまいます。その変わってしまった祢々の様子を語るのは、羚羊の「片角」。角に宿った羚羊の魂が語り部となって、魂ならではのフリーダムなメタ視点で、八戸南部氏に起きた事を語るのです。朝ドラでよくある、「主人公の死んだおばあちゃんがナレーションを担当する」みたいな感じです。いや、祢々のちの清心にふりかかる困難は、朝ドラでは放送できないレベルのものなんですが。直虎ほどはハードではありませんけど。出先で死んだ人が帰ってくる時は首だけになってる、ということはなかったので。

女大名の波乱の人生と言っても、関ヶ原の戦いはもう終わってたし大阪冬の陣・夏の陣も小説の中ではあっさり書かれていて、物語と深く関わってはいません。女大名・清心尼の頭を悩ますのは、主にというかすべて叔父である利直からの無理難題です。なので、天下を揺るがすような事件が起きるわけではないのですが、小さくても一国を背負う大名にしてみれば大問題、苦難の連続です。きっと、全国各地で似たようなことがあったんでしょうね。

清心尼と片角がその困難をどう乗り越えたのかは、これから読む人のために伏せておくとして、この小説は人間たちの駆け引きの物語だけでなく、人間以外の生き物(と呼んでいいのか)の物語も書かれています。死してなお自分の角に魂を宿してこの世に留まっている片角からしてもう後者の一員ではあるのですが、それ以外にも。昼は屛風の中にいて、夜になると屛風から抜け出すぺりかんとか、頭に皿があって胡瓜と人間の尻子玉が大好きなあの生き物、河童とか。河童と言えば遠野が有名ですが、その所以もこの小説には書かれています。いやホントかどうかは知らんけど。なのでぜひ、興味のある方はご一読を。ただ、私は河童の歴史に詳しくないので楽しく読みましたが、河童マニアの方にはどう受け止められるのかはわかりませんので、その辺はご容赦くださいませ。

女であるがゆえに叔父の利直に侮られ、家臣たちの胸の内を読めず騒動が起きても蚊帳の外に置かれたりして、清心尼の人生には常に「女性の苦悩」がつきまといますが、これは現代でも、責任ある立場にいる女性が持つ悩みなのではないかと思います。もっとも、そういった立場に立ったことがない私が言うのも何なんですが…なんかこう、SNSとかで聞く話だとそんな感じかなーと思うので。

そしてもうひとつ、現代に通じる問題を想起させたのは、作中の登場人物のセリフ、

「何でもいいから叩けるものを叩くということをせぬうちは、叩きたいという気持ちはいつまでもくすぶって、消し炭のようにすぐに火がついてしまう。そういうものかもしれませんぞ」

でした。読んですぐ、現代のSNSの炎上騒動が頭に浮かびました。もちろん、すべての騒動にあてはまることではないのですが。

八戸南部氏に起きた史実がベースなので、理不尽な出来事が理不尽なままに終わったり、現代の価値観では理解しがたかったり、難題の解決に物の怪が介入したりするので、読み終わってスカッとする小説ではないのですが、しみじみと切ない結末まで読み終えたら、心に温かいものが広がりました。中盤は利直にムカつきすぎて頭をカッカさせながら読んでいたというのに!中島さんは人の一生の最後の時を書くのが上手な人だと前から思っていましたが、それは人間だけではなく羚羊でもそうなんだなと、改めて思いました。なのでぜひ、どんな結末なのか興味がある方はご一(以下略)

主人公と片角だけでなく、小説の中ではたくさんの人と生き物が死んでいきます。中でも印象に残ったのは、片角の伴侶である白い雌の羚羊でした。片角と妻の別れの場面は、ある悲しい出来事を思い起こさせるものなので、読んでつらい気持ちになる人もいるかもしれません。ちなみに私は泣きました。その出来事の当事者でもないのに。悲しい場面だけれど、歴史小説を読んであの出来事に思いを寄せることが出来るとは思わなかったので、個人的にはよかったです。

祢々と片角の組み合わせは、小説の冒頭でも出てくるように、フランスのクリュニー美術館にあるタペストリー「貴婦人と一角獣」がモデルなのでしょうが、西洋の美術品から歴史小説が生まれたのなら、なんとも興味深い話です。小説家の想像力、おそるべし。

とても面白かったので、ドラマか映画で映像化してほしいなーと思いましたが、直虎をやったばかりなので難しいでしょうね。でもファンタジー要素があるから、別物として許してくれるかな?清心尼が怒りのあまり庭の松の枝をへし折ってしまう場面、実写で見てみたいなー(そこかよ)。


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