全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「新時代の戒め」

2017-12-29 00:15:56 | 全能神の発表

 

 あなたがたはの言葉をもって自らを備えるよう言われているが、あなたがたのために何が備えられていたとしても、神が自らの手で指揮するものであるから、あなたがたの熱心な祈りや嘆願は必要ではない。それらは役に立たないのである。しかし、現在の状況から見れば、あなたがたの直面する現実的な問題は、あなたがた自身には想像がつかない。もしあなたがたが単に神が物事を整えてくれることを待っているのであれば、あなたの進歩は非常に遅く、どのように経験するかわからない人にとっては消極的な要素が多い。だから、もしあなたがこれらのことを通して完全に理解できないのであれば、あなたの経験においてあなたは混乱していて愚かであるということになる。また、もしあなたがたが言葉だけで現実を伴わないのであるならば、それは間違っているということの表われではないのか。あなたがたこの一団に当てはまる人たちには、この間違いが多く見て取れる。今日では、あなたがたは「奉仕する者」の様に試練を乗り越えることはできないし、神の言葉に関連してその他鍛錬される点を考えつくこともできなければそれを成し遂げることもできないのである。実践が必要なものの多くは、固く守らなければならないことである。つまり、人は自分の為すべき多くの本分に忠実でなければならないということである。これが、人が守りまた実行すべきことである。聖霊によって為されるべきことは聖霊にまかせるべきで、そこに人間のできることはない。人は人によって為されるべきことに忠実であるべきで、そこに聖霊は関係しない。これが正に人の為すべきことであり、旧約の時代に律法を守っていたように、戒めとして守るべきなのである。今は律法の時代ではないが、律法の時代の言葉に似た多くの言葉がやはり存在し、それらを守らなければならない。それらの言葉は、単に聖霊の働きに頼るのではなく、人が守るべき事柄によって実現する。例えば、実際神の働きを裁いてはならない。神の証しする者に反抗してはならない。神の前では、自分の本分を守り放蕩であってはならない。口数は少なくし、自分の言葉と行動が神の証しする者の按配に従うものでなければならない。神の証しを敬い畏れなければならない。神の働きとその口から出る言葉を無視してはならない。神の口調と言葉を真似てはならない。外見では神の証しする者に明らかに反抗することは一切してはならないなどである。これらのこと全てが、人がそれぞれ守るべき事である。神は時代ごとに律法のような多くの規則を定め人に守らせてきた。これらの規則を通して、神は人の性質を拘束してその誠意を測るのである。旧約聖書時代の言葉「あなたの父と母を敬え」を例に取ってみよう。この言葉は今日では適用されない。当時、これらの言葉は、単に人の外面的な性質を拘束していたのであり、人の神に対する信仰の誠意を示すために使われ、神を信じていることの一つの印であった。現在は神の国の時代であるが、人が守るべき規則はまだ多くある。過去の規則は適用できないため、現在は人が実行するのにより適当な実践が多く存在する。それらは不可欠であり、聖霊の働きと関係なく、人によって為されるべきことである。

 恵みの時代に、律法の時代の実践の多くは当時の働きに特に効果がなかったため廃止された。それらが廃止された後に、当時に適応した実践が定められ、その多くが今日の規則にもなっている。そして今日の神が現れた時に、これらの規則は免除されて守る必要がなくなり、神が今日の働きに適応する実践を多く定めた。今日これらの実践は規則ではなく、効果を発揮するためのものであり、今日の状況に適応している。もちろんいつかは規則になる可能性もあるが。要するに、あなたは今日の働きに有益なものを守るべきなのである。明日の事は気にかけずとも良い。今日のことは今日のために為されるのである。もしかしたら明日は、あなたが行うのにもっと良い実践があるのかもしれないが、特にそれは気に留めずに、神に背かないよう今日守るべきことを守らなければならない。今日人が守るべき最も肝心なことは次の通りである。あなたの目の前にいる神を欺くまたは神から何か隠すことをしてはならない。神の面前で、みだらな話をしたりでたらめを言ってはならない。神の信頼を得るために、あなたの目の前の神を上手い言葉やたくみな話で欺いてはならない。神の前で不遜な態度を取ってはならない。神の口から話された全ての言葉に従うべきで、それに対し反抗したり逆らったり議論してはならない。神の口から話される言葉を自分の好きなように勝手に解釈してはならない。あなたの舌を戒めなければならない。それは、あなたの舌ゆえに悪い者の欺瞞的な計画に陥らないためである。あなたの歩みを戒めなければならない。それは、あなたが神の定めた境界線を超えて、神の立場から自惚れた尊大な話をして、神に忌み嫌われないためである。むやみに神の口から話された言葉を繰り返してはならない。でなければ他人があなたをあざけり悪魔が嘲笑するだろう。今日の神の仕事に全て従わなければならない。例えあなたが理解していなくとも裁いてはならず、ただ探し求めて尋ねていき、他者と交わるべきである。誰も神の本来の地位を超えてはならない。あなたにできるのは、人の立場から、今日の神に奉仕するだけである。人の立場から今日の神を説いてはならない。これは間違ったやり方であるからだ。誰も神の証しする者の地位に立ってはならない。あなたがたの言葉、行動、内なる思いにおいて、人の立場に立っていなければならない。これは従うべきことであり、人の責任であり、誰にも変更ができず、変更したときには神の行政に背くことになる。そして、これが全ての人が覚えておくべきことである。

 神が長い間、話しまた声を発することに多くの時間を費やしてきたため、人は神の言葉を読んで暗記することを第一の勤めとするようになった。つまり、誰もそれを実践することに注意を向けず守るべきことを守らなかったため、あなたがたの奉仕に多くの問題が生じているのである。もし、神の言葉を実践する前に、あなたが守るべきことを守らなければ、あなたは神に見捨てられる。あなたは、実践を真剣かつ誠実に守り、束縛と思わず、戒めとして守るべきである。どのような効果を達成できるのかということは、今は考えずとも良い。つまり、これが聖霊の働く様であり、それに背く者は死ななければならない。聖霊に感情はなく、あなたが現時点でどれほど理解しているかということには配慮しない。もしあなたが今日聖霊に背けば、彼は罰するし、あなたがもし彼の「管轄内」で彼に背けば、彼は容赦しない。あなたがどれほど真剣にイエスの言葉を守っていようが神は配慮しないし、もしあなたが今日過ちを犯せば、それは死刑を意味するのである。それでもなお、あなたは守ることをしないと言えるだろうか。それがたとえ多少の痛みを伴うとしても、忠実に守らなければならないのである。いかなる分派、集団、国家あるいは宗派であろうと、今後これらの実践に皆従わなければならない。それは、誰一人例外とせず、全ての人が免れることがない。これらの実践が今日の聖霊が為す業であるから、誰も背いてはならない。これらの実践は大きな働きではないが、復活した後天に昇ったイエスによって人に示された戒めであって、人は皆行なわなければならない。「道…(7)」の中で、イエスは、あなたを正しいとするか罪有りとするかは、あなたの今日の神に対する態度によると言わなかっただろうか。誰もこの点を見逃してはならない。旧約のパリサイ人は先祖代々神を信仰してきたが、恵みの時代が到来したときイエスを知ることをせず、イエスに反抗した。つまり、彼らがそれまで行って来たことを全てを無駄にし、神はそれを良しとしなかった。もしあなたがこの点を見て取るなら、あなたは容易に罪を犯さないだろう。おそらく多くの人が神と対比して自らを計ってきただろうが、神に逆らうとき、どんな味がするのだろうか、苦いのか甘いのか。あなたは、理解できないふりをせず、このことを良く心得ていなければならない。おそらく心の中では未だ納得していない人もいるだろうが、果たしてどんな味がするのか試してみてほしい。そうすることで、多くの人が常に疑わないで済むのである。神の言葉を読みながら心の中では神に反発している人も多いのだろうが、そのように反発した後は、胸がえぐられるような思いをして、仮に家庭での不和や、身体の不調または子供達に関する悩み事などを生むのではないだろうか。たとえあなたの肉体が死を免れたとしても、神の手から逃がれることはできないし、そのような単純なことではないのである。これは、神に近い人ほど特に気をつけるべきことである。あなたは、時が経つにつれてこのことを忘れ、気付かないうちに誘惑に嵌り、全てに無頓着になり、そしてその時からあなたが罪を犯す始まりになる。これは取るに足らない些細な問題だと、あなたは思われるだろうか。もし実践を守れば、あなたは完全にしてもらう機会を得る。そして神の面前で、神の口から直接その助言を受けることができる。それを重要としないのであれば、あなたにとってこれは災いになる。つまり、神に対し反抗的になり、あなたの言葉と行動が放蕩になり、遅かれ早かれ強風と巨大な波に流されるということである。あなたがたは一人ずつ、これらのことを心に留めておくべきである。神の証しする者は、あなたを罪に定めないかもしれないが、神の霊はあなたの裁きを終えていないし、神はあなたを赦さない。それでもあなたは、神に対して罪を犯すことができるのか。そういうわけで、神が何を言っても、あなたは神の言葉を実践し、あらゆる手段を使って忠実に守らなければならない。それは決して容易なことではないが。


 

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