(2012年1月撮影)
※2013年10月修正。写真をすこし大きめにしました
和歌山市から南下しまして新宮とほぼ中間に位置する田辺市にやってまいりました。
ここ田辺は武蔵坊弁慶生誕の地で有名ですが、合気道をたしなむ方なら必ずご存知の植芝盛平翁(合気道の創始者)も
ここ田辺の出身。武術家が多いですね。南方熊楠もここの出身ですから、かなり大物を輩出する土地柄なのでしょう。
紀伊田辺の駅舎。洋館風ですが、昭和7年の開業当初からのものだそうです。
駅前にはステーションホテルの看板もあり、昭和テイストを感じさせます。
駅前の商店街にはアーチも。
反対側から。大東一(ダイトーイチ)は和歌山の地酒。
弁慶ゆかりの街らしく、信号機の制御機ボックスにも弁慶のパネルが。
商店街を歩き、すこしわき道へ。市立歴史民俗資料館の裏手付近にて。
お向かいに医院があったのですが、その医院の旧建物でしょうか。
さらに西へすこし歩き、上屋敷2丁目の錦水旅館に遭遇。この建物のすぐ裏は税務署です。
再び線路のあるほう、北側へ歩きまして、NTTのビルを横目に左折、上屋敷1丁目付近にて。
田辺新地のアーチが!地図で見てみますと、このあたりは割烹のお店が密集しているようです。
時間が早いこともあってか、ゆるい時間が流れております。
裏手には純木造家屋も。
さらに北を目指します。県道を越え、田辺第一小学校の北あたり、福路町にて。
さすがに田辺は要衝だけあって、商店街がいくつも各所にあり歩いていても意外なところに商店街があり楽しい。
同じ通りの酒蔵と思われる建物。
今も入手可能かどうかわかりませんが、田辺の地酒のようです。
すっかり色あせてしまった看板。モデルの絵柄も「おでき」も昭和ですね。
同じ通りのお店。角のアールが特徴的。
1本北側の栄町商店街へ。独特のロゴの宝庫でした。
線路沿いに大阪方向へすこし歩いてみました。高雄町付近にて。
このあたりは地図を見ると、ちょうど魚の骨のように路地が左右対称に斜めに通っており、
どういう謂れがあるのか気になります。
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※2013年10月修正。写真をすこし大きめにしました
和歌山市から南下しまして新宮とほぼ中間に位置する田辺市にやってまいりました。
ここ田辺は武蔵坊弁慶生誕の地で有名ですが、合気道をたしなむ方なら必ずご存知の植芝盛平翁(合気道の創始者)も
ここ田辺の出身。武術家が多いですね。南方熊楠もここの出身ですから、かなり大物を輩出する土地柄なのでしょう。
紀伊田辺の駅舎。洋館風ですが、昭和7年の開業当初からのものだそうです。
駅前にはステーションホテルの看板もあり、昭和テイストを感じさせます。
駅前の商店街にはアーチも。
反対側から。大東一(ダイトーイチ)は和歌山の地酒。
弁慶ゆかりの街らしく、信号機の制御機ボックスにも弁慶のパネルが。
商店街を歩き、すこしわき道へ。市立歴史民俗資料館の裏手付近にて。
お向かいに医院があったのですが、その医院の旧建物でしょうか。
さらに西へすこし歩き、上屋敷2丁目の錦水旅館に遭遇。この建物のすぐ裏は税務署です。
再び線路のあるほう、北側へ歩きまして、NTTのビルを横目に左折、上屋敷1丁目付近にて。
田辺新地のアーチが!地図で見てみますと、このあたりは割烹のお店が密集しているようです。
時間が早いこともあってか、ゆるい時間が流れております。
裏手には純木造家屋も。
さらに北を目指します。県道を越え、田辺第一小学校の北あたり、福路町にて。
さすがに田辺は要衝だけあって、商店街がいくつも各所にあり歩いていても意外なところに商店街があり楽しい。
同じ通りの酒蔵と思われる建物。
今も入手可能かどうかわかりませんが、田辺の地酒のようです。
すっかり色あせてしまった看板。モデルの絵柄も「おでき」も昭和ですね。
同じ通りのお店。角のアールが特徴的。
1本北側の栄町商店街へ。独特のロゴの宝庫でした。
線路沿いに大阪方向へすこし歩いてみました。高雄町付近にて。
このあたりは地図を見ると、ちょうど魚の骨のように路地が左右対称に斜めに通っており、
どういう謂れがあるのか気になります。
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2013年4月の火災で「田辺新地」アーケードおよび、その両側の建物が全焼、アーケードも撤去されるとのこと。
消失したアーケードは2000年に再興されたものですが、地元紙の報道によりますと、今後は復活させる予定は無いとのことです。
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=251859