曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

村上春樹「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」の感想

2017-03-21 23:42:00 | 


まず、「7年ぶりの本格長編」という煽りが気に食わない。まるで前作「色彩を持たない〜」が手抜きの長編みたいじゃないか。村上春樹自身が「一冊で終わる長編は僕の中では中編」みたいなことを言ったのは確かだが、一冊だった前作は十分に分厚かった。ちなみに7年前の「1Q84」は新潮社で、「色彩を持たない〜」は文藝春秋で、今作は新潮社だ。僕の中で新潮社株が少し下がった。

まだ第一部を読んだだけなので、これから書く感想や疑問の中に、第二部も読んだ人からすると見当違いのものがあるかもしれない。

そして、今書いてしまうけど、僕は文庫本になるまで第二部を読まないかもしれない。

「1Q84」以来、村上春樹の新作はイベント化されてしまった。ネタバレする前に読んでしまわないと、という強迫観念に囚われて発売即購入してきたけど、特に気をつけてなくても、ネタバレしたことなんて一度もない。「1Q84」の最後はこうなんだよ、という話をどこかで見たり聞いたりしたことは一度もない。

皆そういうことを書いたり言ったりしないようにしてるのもあるんだろうけど、語りたくなるような結末じゃないってのがあると思う。あと、語れるようなはっきりした結末でもないってのも。

今作もきちんと終わらない話じゃないかなと思っている。今作は、きちんと終わらなかった「ねじまき鳥クロニクル」に少し似ているから。

「海辺のカフカ」以来、主人公が作り込まれたキャラクターだったが、今作は久しぶりに作者自身に似た「僕」に戻った。作者は否定しそうだが、今作の「僕」は、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「ダンス・ダンス・ダンス」「ねじまき鳥クロニクル」と変化しながら続いてきた「僕」の系統に連なる「僕」のように思える。

だが、簡単かつドライに女性と寝てしまう癖は悪質化している。主人公の罪悪感がどんどん希薄になっている。そして40すぎの人妻でも呼称が「ガールフレンド」のまま。作者にとってセックスは何かの比喩的表現なのだろうが、それなしでも表現できるようになれよいい加減に。

村上春樹は免許を取ってランチア・デルタ・インテグラーレを乗り回すようになってから、車の描写が具体的になった。昔だったらクジラのように巨大で滑らかに進む高級セダン、みたいな書き方だったのが、赤いミニ(オリジナル)や水色のプリウスやカローラ・ワゴンといったように実車名を書くようになった。今回は、何と言っても白いスバル・フォレスターに対する強烈な拒否感だろう。スバルも、まさか世界の村上春樹からDISられるとは思っていなかっただろう。僕の従兄弟がまさに白いフォレスターに乗っているので、今度会ったら感想を聞いてみたい。

向こうの峰に見える免色氏の豪邸は、村上春樹が好きな「グレート・ギャツビー」のギャツビー氏の屋敷を思わせる。夕暮れ時、きらきらした豪邸を遠くから眺めるシーンみたいなのが村上春樹の原風景みたいなものになっているのだろう。その割には、あの憧憬は作品の中では初登場のような気もする。

免色氏の正体は? 古い鈴は何? 彼女は本当に免色氏の娘なのか? ユズとはどのようにヨリを戻すのか? 穴はノモンハンの井戸(「ねじまき鳥クロニクル」)みたいなものだろうけど、羊男的に壁抜けをしそうな気もしなくもない。その辺の興味で読み進めてようやく第1部終わったのだが、落ち着いて考えると、どれもその先の展開や正体を1800円払ってでも知りたいという欲求が湧いてこない。第2部買って、読んですぐ売ってもたいした金にならないしなあ…。

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