釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

バスに乗って海を見に行く

2009年07月11日 06時01分00秒 | お散歩日記/東京地名の話
みなさんは、中央区豊海町をご存知でしょうか?
東京在住の方でもなかなかすぐに思い浮かばない場所です。
隅田川は永代橋の下流で二つに分かれます。その間に大きな中洲の島が二つあります。
西側の築地に面しているほうが、北から、佃島、月島、勝どきの各町で、東側の中洲が晴海になります。




ここは、江戸時代のはじめに、摂津国佃村の漁師33人が住んだ佃島から、徐々に埋め立てられて作られた土地です。
明治20年に旧・月島地区(現・月島、勝どき)、昭和はじめに晴海が埋め立てられています。
そしてその月島・勝どきの一番先端にあるのが豊海町です。
埋め立てが完了して、住民投票で豊海町と名付けられたのは昭和38年。オリンピック寸前の出来事で、中央区では最後の埋め立て地です。

その豊海町までは、東京駅からと亀戸駅からバスが走っています。
バスの終点は「豊海水産埠頭」。
名前のとおり豊海町にはたくさんの水産会社や倉庫が林立しています。
みなさんが食べている魚介類はここからみなさんのもとにいっているのかもしれません。

ここに行くのはいつも休日。
だから人々の働く活気に接したことがありません。
休日の豊海はのんびりしています。

最近は大江戸線勝どき駅の完成や銀座まで至近な距離のおかげで、勝どきの町名がつく町まではたくさんの人が住んでいます。だから終点のひとつ手前のバス停まで住民の方が多く乗っておられますが、さすがに倉庫街の終点まで乗る人はいません。

バスを降りて、岸壁まで進むと正面にレインボーブリッジ、その左にお台場。
左手には晴海埠頭。
右前方には、芝浦から日の出桟橋、古川の河口、そして竹芝桟橋、遠くに東京タワー。
右手には浜離宮から築地市場が、ぐるりと見渡せます。
すごい爽快感。
梅雨空もなんのその。
東京でこんなにも海を感じる場所はありません。

行き交う水上バスやプレジャーボート。貨物船も通ります。
岸壁には東京海洋大学の練習船の姿も見えます。


出航していった貨物船


東京海洋大学の海鷹丸
東京商船大学と東京水産大学が一緒になって東京海洋大学になったんだね。

夜は東京の夜景の名所だそうですが、生憎と夜景を眺めて語り合う相手もいないし・・・。
まだ夜景は未経験です。

豊海町を隅田川沿いに遡ると、臨港消防署があります。そこから勝鬨橋まではデッキが完備されて、隅田川沿いを散歩できます。



デッキからは対岸の浜離宮や築地市場がよく見えます。
もちろん画像のように勝鬨橋もよく見えます。

勝鬨橋のたもとでは釣り人が大きな鱸をたくさん釣り上げていました。
勝鬨橋を渡るとそこは築地。

勝鬨橋は1933年完成。
中央部分から開閉する橋ですが、1970年11月29日以来開いていません。



橋の中央は、橋が開いていたときの裂け目が今でも在ります。
・・・・・当たり前ですが、今でも開こうと思えば開くそうです。

築地まで来れば、銀座は目と鼻の先。
こんな都心の近くで海が楽しめます。
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