九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

戸上神社(北九州市門司区)、他に参拝

2005-11-06 20:01:12 | 神社参拝
11/04(金)、戸上神社(北九州市門司区)、他に参拝しました。

 戸上神社はJR鹿児島線門司駅から戸の上山に向かっておよそ1km程上がった北九州都市高速の高架の手前に一の鳥居があります。この高架をくぐると参道にでます。

 御祭神は天御中主神 伊邪那岐神 伊邪那美神の三柱はじめ17柱合祀されています。

 ご創建は
当神社は北九州市門司区の最高峰戸ノ上山(海抜521米)頂に上宮、麓に本宮を有し、同一祭神を奉祀している神社であります。社記によれば、宇多天皇の寛平年間、約1千80余年の昔、鎮西の霊峰戸上山上に三柱の大神を奉祀したことに始まると伝えています。奉祀の際、御霊代を枝折戸に奉戴して山上に奉安してから山を戸上と号し、神社を戸上神社と称するようになりました。(平成祭りデータ)
 
 現在の社殿は平成14年11月千百年記念事業として造営されています。
 

御所神社

 柳の御所
寿永2年(1183年)木曽義仲に都を追われた平家一門は、安徳天皇を奉じて西に逃れ、太宰府に落ちていった。しかしここでも、豊後の豪族・緒方三郎惟義が攻め寄せると聞いて、さらに遠賀郡山鹿の城を経て、豊前国柳ヶ浦にたどりついた。この柳ヶ浦が現在の大里のことで、古い記録に「内裏」と書かれているのは、しばらくの間、仮の御所があったからである。
 現在、戸上神社のお旅所となっているこの地がむかしの仮御所の跡であろうと伝えられて「柳の御所」と呼ばれている。
(境内 案内板)

現在の社殿は明治天皇の御休憩所として使われました。
 

門司港近くの清滝公園の貴布弥神社
 

同じく甲宗八幡神社
御由緒
大阪大成館版部

清和天皇の貞観2年(皇紀1520年西暦860年)大宰大弍清原真人岑成、勅命により、西門鎮護の要津門司の霊峰筆立山麓の地を卜して宇佐神宮の御分霊を祀り、神功皇后御着用の御甲を御神霊(御神体)に奉じて当社を創建す。故に甲宗八幡と称し奉る。祭主は宇佐神宮初代宮司大神比義を始祖とする第23代大神宮司家は祖先に遣唐使を出したる家柄にて、門司が当時朝鮮・中国大陸との国際交流の要衝なるにより、義勝以後歴代の宮司は五摂家近衛家より門司ヶ関の関守に任ぜらる。創建以来源範頼、同義経、足利尊氏、毛利元就の造立あり。幾度か兵火の厄に遭うも、小笠原忠真、毛利広封等の造復を受く。更に慶長年間細川家より神領の寄進あり。寛永9年小笠原候入国に際しては、当社を豊城鎮守五社の上位に列し、毎年幣帛を贈るを例とするなど、日本精神の具現、文化啓蒙、産業改発、交通安全の神として、歴代将軍、領主等の尊崇篤く、また小倉紫川と曽根竹馬川を結ぶ線の以北の大都と門司一円の総氏神として、古来庶民の崇敬もまことに篤し。昭和32年に特別表神社に昇格、同33年の大祀には50年に1回と定められたる御神体拝観の儀ありたり。
文治元年源範頼、源義経社殿造立、建武3年足利尊氏造立、永禄12年大江元就造立、慶安2年小笠原忠真造立、明治元年毛利広封造立、古老伝に言う、貞観年中御鎮坐の時皇后の御甲を神璽と鎮め永く外国をして朝せしむる。皇国西門と言うを以て、外朝西門鎮守と号し、玉と其時社前の磯に巨石三つあるに、三つの綱を括付け、三韓の朝貢は此の石の天に上る迄、貢船絶えず、皇国の西門に繋し事を祝したり、之を三綱石と名付く。其の巨石の上に付したる螺(にな)を取りて、甲宗宮大祭に奉るは、三韓をして螺の如く頭を垂れ、尻を上げて皇国に仕奉るに表せり。中古三綱石を螺石とも言う。海岸埋築市街地となるを以て、現今境内に装置す。明治5年郷社となる。
以上
(平成祭りデータ)
 

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