
建部大社(滋賀県大津市)を掲載しました。
建部大社(たけべたいしゃ)
<通称>たてべさん
【鎮座地】〒520-2132 滋賀県大津市神領1丁目16-1 旧近江国 栗太郡
【御祭神】日本武尊 (配祀)天照皇大神 大己貴命
【例祭】 4月15日 例祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
近江國一宮
式内社 近江國栗太郡 建部神社 名神大
【御由緒】
当社は古来建部大社、建部大明神などど称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。 御祭神日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書記に記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。
景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の当大社である。
歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、平家に捕われ、十四才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永歴元年(1160年)三月二十日当社に参篭して前途を祈願した事が平治物語に記されている。
頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年)十一月右大将として上洛の際再び社前に額き曩年蒙った深い神助に対し、幾多の神宝の神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。
爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁昌、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、明治十八年四月官幣中社に、同三十二年七月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。
昭和五十年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。そして平成二年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに、御神威の程畏き極みである。
(神社パンフレットより抜粋)
滋賀県大津市にあります。瀬田唐橋から東へ500m、名神高速「西瀬田IC」の北東600mほどの神領1丁目に鎮座しています。
参道の鳥居
一の鳥居をくぐり100mほど進み左折(北に)すると松並木の参道です。左は駐車場、正面に重厚な神門が見えます。
神門
官幣大社の風格のある茅葺の神門です。
神門から拝殿
神門をくぐると玉砂利の敷き詰められた広い境内です。左に社務所、正面すぐに御神木の三本杉から入母屋造の拝殿です。
拝殿

拝殿前の三本杉は当社が現在地に遷された時に一夜にして生じたと伝えられ、神紋になっています。
入母屋造の拝殿です。入口両側に歴史を感じさせる狛犬があります。
社殿全景
左から、拝殿、中門から瑞垣内に幣殿、本殿(左)、権殿(右)です。
本殿と権殿

御祭神は本殿・日本武尊、相殿・天照皇大神(天明玉命)、権殿・大己貴命、天平勝宝7年(755)大和一の宮大神神社からされました。
瑞垣内に本殿(左)と権殿(右)と同じ一間社流造で並んであります。
相殿の御祭神について、神社パンフレット、一の鳥居そばの案内板には天照皇大神となっていますが、参道の由緒掲示板、神社辞典その他では天明玉命となっています。この違いの経緯は不明です。
景行天皇46年(116年)に神崎郡建部郷(現在の東近江市五個荘付近)に、景行天皇 の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりとされています。
昭和天皇御手植の松
本殿右にあります。
大正7年4月4日、昭和天皇御手植の松です。
拝殿左の境内社
左より、末社蔵人頭神社(膳夫神社、七掬脛命=料理の神)、末社行事神社(吉備臣武彦 大伴連武日)、摂社大政所神社(播摩稻日太郎媛=景行天皇の皇后で日本武尊の母)、摂社聖宮神社(大足彦忍代別命=日本武尊の御父、第12代景行天皇)です。
拝殿右の境内社
右より、末社箭取神社(石占横立 田子稻置 乳近稻置)、末社弓取神社(弟彦公)、摂社若宮神社(建部稻依別命=日本武尊の御子)、摂社藤宮神社(布多遲比賣命=日本武尊の御后)です。
境内末社八柱神社
境内右にあります。
御祭神藤時平、融大臣 事代主命 市杵嶋姫命 素盞男命 豐玉彦命 櫛名多姫命が合祀されています。
境内末社稲荷神社、大野神社
八柱神社の右に並んで稲荷神社(稻倉魂命)、大野神社(草野姫命=地主神)です。
桧山神社遥拝所
境内右奥にあります。
桧山神社遥拝所
桧山(ひのきやま)神社旧本殿
この神社は境内御旅山に鎮座し、御祭神 伊邪那美命、大山祇命、息長足姫命、武内宿祢大臣、住吉大神を祀り元熊野神社、山神社(7ヶ所)、鞭指神社の御祭神を合祀して桧山神社と改称された。
平成七年四月本殿改築に伴い江戸時代建立の本殿を解体修理をしてこの地に移築し遥拝所として保存することになった。
社宝の石灯籠
本殿右にあります。
鎌倉時代中期、文永7年(1270)在銘の石灯籠で国指定重要文化財です。
御神石
境内右奥にあります。
長寿石、祈願石と称し、神前で願い事を祈願し持ち帰り神棚に祀り、満願成就となった時、新しい石と共に返納します。
宝物殿
昭和50年御鎮座1300年記念事業として建設されました。
国指定重要文化財の木造女神像三体(平安時代)などが収蔵されています。
拝殿から神門
境内地は約3万平方メートルと広大でゆったりとしています。右には日本庭園などもあります。
建部大社(たけべたいしゃ)
<通称>たてべさん
【鎮座地】〒520-2132 滋賀県大津市神領1丁目16-1 旧近江国 栗太郡
【御祭神】日本武尊 (配祀)天照皇大神 大己貴命
【例祭】 4月15日 例祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
近江國一宮
式内社 近江國栗太郡 建部神社 名神大
【御由緒】
当社は古来建部大社、建部大明神などど称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。 御祭神日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書記に記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。
景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の当大社である。
歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、平家に捕われ、十四才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永歴元年(1160年)三月二十日当社に参篭して前途を祈願した事が平治物語に記されている。
頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年)十一月右大将として上洛の際再び社前に額き曩年蒙った深い神助に対し、幾多の神宝の神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。
爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁昌、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、明治十八年四月官幣中社に、同三十二年七月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。
昭和五十年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。そして平成二年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに、御神威の程畏き極みである。
(神社パンフレットより抜粋)
滋賀県大津市にあります。瀬田唐橋から東へ500m、名神高速「西瀬田IC」の北東600mほどの神領1丁目に鎮座しています。
参道の鳥居

一の鳥居をくぐり100mほど進み左折(北に)すると松並木の参道です。左は駐車場、正面に重厚な神門が見えます。
神門

神門から拝殿

神門をくぐると玉砂利の敷き詰められた広い境内です。左に社務所、正面すぐに御神木の三本杉から入母屋造の拝殿です。
拝殿


拝殿前の三本杉は当社が現在地に遷された時に一夜にして生じたと伝えられ、神紋になっています。
入母屋造の拝殿です。入口両側に歴史を感じさせる狛犬があります。
社殿全景

左から、拝殿、中門から瑞垣内に幣殿、本殿(左)、権殿(右)です。
本殿と権殿


御祭神は本殿・日本武尊、相殿・天照皇大神(天明玉命)、権殿・大己貴命、天平勝宝7年(755)大和一の宮大神神社からされました。
瑞垣内に本殿(左)と権殿(右)と同じ一間社流造で並んであります。
相殿の御祭神について、神社パンフレット、一の鳥居そばの案内板には天照皇大神となっていますが、参道の由緒掲示板、神社辞典その他では天明玉命となっています。この違いの経緯は不明です。
景行天皇46年(116年)に神崎郡建部郷(現在の東近江市五個荘付近)に、景行天皇 の皇子である日本武尊を建部大神として祀ったのが始まりとされています。
昭和天皇御手植の松

大正7年4月4日、昭和天皇御手植の松です。
拝殿左の境内社

左より、末社蔵人頭神社(膳夫神社、七掬脛命=料理の神)、末社行事神社(吉備臣武彦 大伴連武日)、摂社大政所神社(播摩稻日太郎媛=景行天皇の皇后で日本武尊の母)、摂社聖宮神社(大足彦忍代別命=日本武尊の御父、第12代景行天皇)です。
拝殿右の境内社

右より、末社箭取神社(石占横立 田子稻置 乳近稻置)、末社弓取神社(弟彦公)、摂社若宮神社(建部稻依別命=日本武尊の御子)、摂社藤宮神社(布多遲比賣命=日本武尊の御后)です。
境内末社八柱神社

御祭神藤時平、融大臣 事代主命 市杵嶋姫命 素盞男命 豐玉彦命 櫛名多姫命が合祀されています。
境内末社稲荷神社、大野神社

八柱神社の右に並んで稲荷神社(稻倉魂命)、大野神社(草野姫命=地主神)です。
桧山神社遥拝所

桧山神社遥拝所
桧山(ひのきやま)神社旧本殿
この神社は境内御旅山に鎮座し、御祭神 伊邪那美命、大山祇命、息長足姫命、武内宿祢大臣、住吉大神を祀り元熊野神社、山神社(7ヶ所)、鞭指神社の御祭神を合祀して桧山神社と改称された。
平成七年四月本殿改築に伴い江戸時代建立の本殿を解体修理をしてこの地に移築し遥拝所として保存することになった。
社宝の石灯籠

鎌倉時代中期、文永7年(1270)在銘の石灯籠で国指定重要文化財です。
御神石

長寿石、祈願石と称し、神前で願い事を祈願し持ち帰り神棚に祀り、満願成就となった時、新しい石と共に返納します。
宝物殿

国指定重要文化財の木造女神像三体(平安時代)などが収蔵されています。
拝殿から神門

境内地は約3万平方メートルと広大でゆったりとしています。右には日本庭園などもあります。
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