九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

聖母宮(長崎県壱岐市)

2007-02-11 11:45:42 | 神社参拝ー九州
 聖母宮(長崎県壱岐市)を掲載しました。

 聖母宮(しょうもぐう)
【鎮座地】〒811-5501 長崎県壱岐市勝本町勝本浦554 旧壱岐国 壱岐郡
【御祭神】氣長足姫尊
 (配祀)足仲彦尊 譽田別尊 上筒男尊 中筒男尊 底筒男尊 天照皇大神
【例祭】10月10日 例大祭 10月13日 例大祭
【旧社格等】
 式内社 壹岐嶋壹岐郡 中津神社 名神大
 式内社 壹岐嶋壹岐郡 手長比賣神社
【御由緒】
聖母宮
  旧号 香椎大明神 聖母大菩薩
  鎮座地 壱岐郡勝本町勝本浦正村
  祭神 息長足姫尊(神功皇后)
     足仲彦尊(仲哀天皇)
     誉田別尊(応神天皇)
     住吉大神
    配祀 天照大神
由緒  『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願し、土器崎より壱岐に向けて3,270艘の軍船を出発させた。この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。
 壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。
 皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてまつったのがこの神社であると伝う。
 また、一説には異敵の首101,500を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
文化財 昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名 壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗沙門(花押)天正廿年 敬白』の銘がある。
 その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。
 この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。
(境内案内板より)

 壱岐の最北端、漁港の町、勝本町の港近くにあります。
本殿、西門、南門は平成16年2月、長崎県指定文化財・建造物に指定されています。

 西門(正門)
四脚門、切妻造、本瓦葺
 天正二十年(1592)四月に加藤清正(肥後熊本城主)が朝鮮出兵の際に寄進したものであるが、明和五年(1768)、勝本の鯨組土肥家四代土肥一兵衛により脚部が取り替えられている。またこの時、蟇股が加藤家の「蛇の目」紋から土肥家の「中陰の蔦」紋に替えられている。

 珍しい手水鉢
南洋の大きなしゃこ貝でできています。

 拝殿と扁額 

 本殿(三間社流造り)
 社記によれば、養老元年(717年)に国家安泰祈願の勅が下されて神殿が造られた。
現在の建造物は宝暦二年(1752)に松浦肥前守源朝臣誠信により再建され現在に至っている。
 残念ながら保護壁で覆われていて往時の姿は見られないようです。

 境内社
 この建物の中に天満神社、八坂神社と厄神社が祀られています。

  社殿全景

 南門(脇門)
天正二十年(1592)鍋島直茂(肥前佐賀城主)により寄進された。蟇股には加藤家の「蛇の目」と鍋島家の「抱茗似」紋が陽刻されている。
鍋島家寄進の門に加藤家の家紋があるはずがなく、明和五年に西門から取り去られた加藤家の紋章入りの蟇股が組み込まれたのであろうか。
 (境内案内板より

  馬蹄石
神功皇后の足跡とその神馬の足跡と云われています、石碑には馬蹄石 正三位伯爵源詮書(平戸藩主 松浦 詮)と記されています。



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