九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)

2010-04-11 13:44:34 | 神社参拝ー近畿
 熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)を掲載しました。

 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
<通称>那智山、熊野権現(なちさん、くまのごんげん)
【鎮座地】〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山1 旧紀伊国 牟婁郡
【御祭神】
第一殿 滝宮(飛瀧権現遥拝殿) 大己貴命(千手観音)
第二殿 証誠殿 家都御子大神(国常立尊・阿弥陀)
第三殿 中御前 御子速玉大神(伊弉諾尊・薬師)
第四殿 西御前 熊野夫須美大神(伊弉冉尊・千手観音)
        以上の第二殿から第四殿までが主祭神。
第五殿 若宮(若一王子宮) 天照大神(十一面観音)
第六殿(上下八社殿)
    禅師宮 忍穂耳尊(地蔵)
    聖宮 瓊々杵尊(竜樹)
    児宮 彦火々出見尊(如意輪観音)
    子守宮 鸕鷀草葺不合尊(聖観音)
    一万宮 国狭槌尊(文殊)
    十万宮 豊斟渟尊(普賢)
    勧請十五所 埿土煮尊(釈迦)
    飛行夜叉 大戸之道尊(不動)
    米持金剛 面足尊(多聞天)
 (神社辞典・東京堂出版より)
【例祭】1月11日 手釿始式 7月14日 例祭
【旧社格等】官幣中社(現別表神社)
【御由緒】
 熊野那智大社の御案内
この地を「熊野」と申します。クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意があり、そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけています。「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地といえます。
 神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇五年(約一六八〇年前)この地に社殿を建立したと伝えています。
 古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、御社名を「熊野那智大社」と申し、御祭神は、熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神「伊弉冉命」を主神とし十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。
 重畳と續つく紀伊の山々の果て、前面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川八十余里、往復一ケ月を要し後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。
 御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦杜・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では、昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。
 更に、平成十四年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。
              那智山 熊野権現 熊野那智大社
 (境内案内板より)

 紀伊半島の南端近く、熊野灘に面した那智勝浦町にあります。那智勝浦の海岸から那智川沿いに県道43号、46号線をおよそ5km北上、那智山に鎮座しています。

 鳥居前左に「熊野那智大社」の社号標、右の御祭神の案内には熊野夫須美大神(伊弉冉尊)御子速玉大神(伊弉諾尊)家都御子大神(素盞嗚尊)他十神奉斎とあります。
 その左隣には、プロゴルファー福嶋晃子さん等奉献の「世界遺産の碑」があります。 平成17年4月吉日の日付があります。

 鳥居をくぐると左に朱塗りの手水舎から、ゆるやかな階段の参道が続きます。

 二の鳥居 
ゆるやかな階段を上ると、さらに階段上に社殿のある境内入り口の二の鳥居です。
 扁額には一の鳥居の「那智山熊野権現」と違い、「熊野那智大社」とあります。
鳥居の前に桜があり、参拝時ちょうど見頃となっていました。

  社殿全景
 左から宝物殿、正面に拝殿、奥に本殿屋根の千木と鰹木が覗いています。右は二の鳥居から手水舎と続き、奥に授与所です。

 拝殿 
当社は熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山と呼ばれ、熊野信仰の中心地となって全国に鎮座する約4千余社の熊野神社の御本社です。
 扁額には「日本第一大霊験所 根本熊野三所権現」拝殿前に護摩焚きの釜?があります。

  本殿
 熊野那智大社社殿 八棟
  重要文化財 平成七年十二月二十六日
  世界遺産  平成十六年七月一日
  指定理由  歴史的価値の高いもの
第一殿 瀧 宮
第二殿 証誠殿
第三殿 中御前
第四殿 西御前
第五殿 若 宮
第六殿 八社殿
御縣彦杜
鈴門・瑞垣
 熊野那智大社は熊野三山の一つに数えられ中世以降は日本第一大霊験所・根本熊野三所権現として全国的に信仰された古杜である。
 社殿は東西横一列に配された第一殿から第五殿と、第五殿の正南方に並ぶ第六殿・御縣彦杜からなる。各社殿は瑞垣で仕切られており、各社殿の正面には鈴門が開かれている。
 第一殿から第六殿が嘉永四年から七年(一八五四)の建立、御縣彦杜は慶応三年(一八六七)の建立である。
 社殿はその規模が大きく良質で彫刻をほとんど用いない等、配置や形式に特徴があり、全国の神社建築に影響を与えた熊野三山の社殿形式を伝えるものとして、我が国の神社建築史上貴重である。
 鈴門及び瑞垣は境内の景観を構成する上で重要である。
                    文 化 庁
                   熊野那智大社
                  和歌山県教育委員会
 (社前案内板より)

 第六殿 八社殿(右)と御縣彦杜拝殿左、瑞垣内に並んでいます。
 御縣彦杜の御祭神は八咫烏に化身したとされる建角身命、稻荷大神が合祀されています。

  八咫烏
 神武天皇が熊野から大和に入られた時に道案内をした、三本足のカラス「八咫烏」です。昭和63年10月、神武天皇熊野御上陸二千六百五十年記念として奉納されました。

 那智の樟拝殿前、右にあります。
熊野三山造営の勅使、平重盛手植えの樟と伝えられています。裏に回ると鳥居があり樟靈祠が祀られ、根元に空洞に胎内潜りが出来るようになっています。

  和歌山県指定文化財
  天然記念物那智の樟(くす)
 この樺は、樹齢約800年と推定され樹高は27m、幹回り約8.5m、枝張るは南北25mもあります。県下でも珍しい樟の大樹で、根幹部は空洞化しています。
 熊野三山造営の勅使として参った平重盛の手植えの樟と伝えています。
               熊野那智大社
  (現地案内板より)

 宝物殿昭和41年(1966年)「熊野那智大社創建1650年祭」の記念事業として建設されました。

  展示品のご案内
館内には熊野権現信仰の遺宝が数多く展示されております。
国指定重要文化財
 一、古銅印
 一、金銀装宝剣拵
 一、熊野那智大社文書
   四十六巻十一冊二帖二枚
 一、三一六点
県指定文化財
 一、那智山熊野権現宮曼荼羅
 一、奉納鏡八十二面
 一、那智経塚出土品一括
 一、其の他刀剣等多数
拝観料 大   人 三〇〇円
    中学生以下 二〇〇円
   熊野那智大社宝物殿
 (現地案内板より)

  二の鳥居からの景観
 標高500mに位置する二の鳥居からは眼下に素晴らしい景観が広がります。

 兒宮 多富気王子神社一の鳥居の近くにあります。
道祖神を祀る兒宮 多富気王子神社です。1877年(明治10年)大門坂から摂社として境内に移され、さらに此処に移されたようです。

 社前駐車場から境内
 多くの土産物屋が並ぶ表参道下に駐車して長い石段を上るのが王道ですが、今回は\800支払って神社専用道路から一の鳥居そばの駐車場を利用しました。 
 右に境内に隣接する、天正18年(1590)豊臣秀吉が再建したと伝わる青岸渡寺、透かし塀の奥に本殿の屋根が見られます。さらに大楠から参拝者休息所(展望所)と続いています。

 熊野古道・大門坂
神社お寺前の駐車場に続く500mほどの熊野古道石段の入口です。このすぐ下の県道46号線沿いに観光バスが止まって上から降りてくる観光客を待っています。

 大門坂入口県道46号線沿いにあります。
写真左の狭い道路を進むと、「夫婦杉」、「多富気王子跡」から「大門坂」に出ます。右は那智の瀧から参道の階段下に通じる県道46号線です。
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